表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わたしを見て  作者: かわさきはっく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/50

第6話 違和感

 モニターいっぱいに広がった、暗く、静かな海。

 佐々木健太は息を詰めて画面を凝視していた。

 心臓が耳元でドクドクと不規則に脈打っている。

 アパートの部屋の冷え切った空気が肌に張り付くようだった。

 どれくらい、そうしていただろうか。

 五秒。十秒。あるいは、一分が経過したかもしれない。


 ……何も、起きなかった。


 絵は、ただの絵だった。

 画面から何かが飛び出してくるわけでも、奇怪な音が鳴り響くわけでもない。

 噂にあったような、即効性のある恐怖は訪れなかった。

 健太は張り詰めていた息を細く、長く吐き出した。


「……なんだよ」


 拍子抜けだった。

 あれほど三上と衝突し、覚悟を決めてクリックしたというのに、結果はこれだ。

 安堵(あんど)が、じわじわと全身に広がっていく。

 呪われなかった。失明もしないし、発狂もしない。

 だが、その安堵と同時に健太の胸の内には別の黒い感情が芽生えていた。


(落胆……してるのか? 俺)


 そうだ。健太は心のどこかで期待していたのだ。

 これが「本物」であってほしかった。

 三上が「臆病者」で、自分の選択が「正しかった」のだと証明してほしかった。

 オカルトを馬鹿にする連中を見返せるだけの圧倒的な「現実」が欲しかった。

 結局これも「ごっこ遊び」だったのか。

 俺も、あのハッシュタグで騒いでいた連中と同じだったのか。


(……馬鹿みたいだ)


 三上の冷めきった目が脳裏に蘇る。『自殺志願だ』『病気だ』。

 あながち間違っていなかったのかもしれない。

 俺はcalm(カーム)という匿名の画家に自分を重ねすぎていた。

 急激に興奮が冷めていく。

 残ったのはびしょ濡れの服の寒さと、どうしようもない自己嫌悪だけだった。

 健太はノートPCの画面を乱暴に閉じた。

 その夜はひどく寝つきが悪かった。


 翌朝。

 健太はスマートフォンのアラーム音で重い体を起こした。寝不足で頭が痛い。

 アパートの薄いカーテン越しに差し込む朝日が、やけに眩しく感じられた。


「……行きたくねえ」


 独り言が漏れる。

 編集部に行けば、三上と顔を合わせなければならない。

 昨日の今日で、どんな顔をすればいいのか。

 『クビにする』という言葉が重くのしかかる。

 だが、このままバックれては本当に三上の言う「臆病者」になってしまう。

 健太は冷たい水で顔を洗い、無理やり意識を覚醒させると、重い足取りでアパートを出た。


 編集部のドアを開けると、そこはいつも通り、締め切り明けの淀んだ空気が流れていた。


「……おはよう、ございます」


 健太が絞り出した声に、最初に反応したのは奥のデスクにいた三上だった。


 三上はコーヒーカップを片手にこちらを一瞥いちべつした。

 その目には何の感情も浮かんでいないように見えた。


「……おう」


 低い声が返ってきただけだった。

 編集部の他のスタッフも、俺たちの間の険悪な空気を察しているのか誰も口を開かない。

 健太は逃げるように自分のデスクに座った。


(最悪だ……)


 気まずさで胃がキリキリと痛む。

 三上は何も言ってこなかった。

 UMAのレポートのことも、昨夜の口論のことも、何も。

 それがかえって、健太を追い詰めた。


 午前中、健太はひたすら無心で、放置していた多摩川のUMAの資料に目を通した。

 目撃証言のリストアップ、過去の類似事例の検索。

 だが、文章がまったく頭に入ってこない。

 集中しようとすればするほど、昨夜のcalm(カーム)の海の絵が、網膜の裏に焼き付いてちらつく。

 そして、もう一つ。どうにも、PCのモニターの光が目に刺さるのだ。


(……チカチカする)


 最初は気のせいだと思った。

 寝不足のせいだ。昨夜、暗い部屋であのサイトを凝視していたから、目が疲れているだけだ。

 健太は瞬きを繰り返した。

 こめかみを押さえ、ぎゅっと目を閉じてみる。

 だが、目を開けて再びモニターに向かうと、白いWord(ワード)の画面が、まるで細かいガラスの破片でもき散らすかのように視界の端でちらついていた。


 ――まず、この絵をじっと見ていると、目がチカチカし始めるらしいです。

 自分が三上に説明した呪いの第一段階。その言葉が不意に脳裏をよぎった。


(馬鹿言え。ただの眼精疲労だ)


 健太は必死でその不吉な連想を打ち消した。

 これは「ごっこ遊び」だ。集団暗示だ。

 俺は自分で自分に暗示をかけているだけだ。

 だが、違和感は消えなかった。

 蛍光灯の光さえもが、いつもよりぎらついて感じる。


「……佐々木」


 不意に三上の声が飛んできた。

 健太はビクリと肩を揺らして顔を上げた。


「UMAのレポート、進んでるか」


 三上はデスクに山積みになった資料を整理しながら、こちらを見ずに言った。


「あ、はい……今、まとめてます」


「そうか。今日中に叩き台、上げろよ」


「……ッス」


 それだけの会話だった。

 だが、三上の顔を直視した瞬間、健太はその背後にある窓から差し込む光が、ナイフのように目を刺すのを感じた。

 思わず目を細め、うつむく。


「……どうした。まだ寝ぼけてんのか」


 三上の声に、わずかな苛立ちが混じった。


「い、いえ……なんでもないです。寝不足なだけ、です」


「そうかよ」


 三上はそれ以上何も言わず、自分の作業に戻った。


 健太は自分のデスクの引き出しを乱暴に開け、常備していた目薬を取り出した。

 天井の蛍光灯を見上げ、乾いた目に液体を叩き込む。

 冷たい感触が、一時的に熱を持った眼球を冷ましてくれた。

 よし。大丈夫だ。これで治る。

 健太は再びPCのモニターに向き直った。

 だが、目のチカチカは消えていなかった。

 それどころか、さっきよりも少しだけ、そのちらつきが強くなっているような気さえした。

 背中に冷たい汗が一筋、流れ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ