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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第52話 生存者の責務

 黒田は雨宮の遺体に自身のジャケットを被せると、懐からスマートフォンを取り出した。

 短縮ダイヤルを押す指先が微かに震えているのが気配で分かった。


「……あー、俺だ。……いや、本部じゃねえ。個人的な頼みだ」


 黒田は押し殺した声で、馴染みの同僚らしき相手に事情を説明し始めた。

 場所は神社の離れ。遺体が一つ。事件性はなし。ただ、丁重に扱ってほしいと。


 通話を終えると、黒田は俺、三上悟の方に向き直った。


「……手配はした。じきに所轄の人間が来るだろう。今は街中がパニックで機能不全だが、ここならまだ荒らされずに済むはずだ」


「……そうですか」


 俺は見えない目で、雨宮が横たわっているであろう闇を見つめた。

 置いていくのか。命を燃やして俺たちを守ってくれた人を。

 だが、感傷に浸っている時間はなかった。雨宮さんが作った(なぎ)の時間は砂時計の砂のように刻一刻と落ちている。


「……行くぞ、三上。弔い合戦だ」


「……どこへですか」


「決まってる。蒼月海琴のところだ」


「……俺も、ですか」


 俺はよろめきながら問うた。


「……雨宮さんは言っていました。俺は歩く起爆装置だと。俺が近づけば、呪いを加速させてしまうかもしれない」


「……じいさんの懸念も分かる。だがな」


 黒田は俺の襟首を掴み、顔を近づけた。タバコの臭いが鼻をつく。


「……俺には呪いだとか儀式だとか、そういうオカルトの理屈は一切わからん。……だが、刑事として現場を見てきて、一つだけ確信してることがある」


「……確信?」


「ああ。……違和感だ」


 黒田は俺を支えながら、神社の出口へと歩き出した。


「……高嶋茜は死んだ。発症してすぐにだ。……だが、お前はどうだ? 誰よりも早く発症し、目も見えなくなり、こんなひどい体になりながら……まだ生きている」


 俺はハッとした。

 言われてみればそうだ。他の被害者たちは数日、あるいは数時間で死を選んでいる。

 なのに俺だけがこうして意識を保っている。


「……三上。お前は『生かされている』んだ」


「……生かされている……」


「そうだ。……あの『凪』とかいう怨念はお前に用があるんだよ。……ただの器としてか、あるいは別の意図があるのかは知らんがな」


 黒田は俺を助手席に押し込み、自分も運転席に乗り込んだ。


「……それに、もう一つ」


 黒田がギアを入れながら続けた。


「……呪いだ祟りだと騒いでいるが、余計な情報を取っ払えば、これはこじれた姉妹喧嘩だ」


「……姉妹喧嘩?」


「……妹は姉に分かってもらいたい。姉は妹を傷つけた罪悪感で逃げ回っている。……ただ、それだけの話が、土地の因縁だのと絡み合って最悪の形で爆発した」


 車が走り出す。


「……だから、お前が必要なんだ。三上」


 黒田の声には迷いのない響きがあった。


「……お前は今、死んだ妹と繋がっている。……いわば、あっちの世界との直通電話だ。……お前と、姉である海琴が腹を割って話せれば、もつれた紐を解けるかもしれん。……俺の勘だがな」


 俺はシートに深く身を沈めた。

 黒田の勘はいつだって論理よりも鋭い。

 俺が生きている意味。それは姉妹の仲裁をするためなのかもしれない。


 車はK市の封鎖されたバリケードの隙間を抜け、海琴が隠れ住んでいるというアパートへと向かった。


 ***


 車が止まったのは古びた集合住宅特有の、湿ったコンクリートの匂いがする場所だった。

 黒田に肩を借り、俺は階段を上った。

 二階の角部屋。

 黒田がインターホンを押しても反応はない。

 だが、居留守を使っている気配がする。ドアの向こうで息を潜めている誰かの存在を視力を失った俺の耳と肌が捉えていた。


「……蒼月海琴さん」


 黒田がドア越しに、低い、しかしよく通る声で呼びかけた。


「……警察だ。……いや、今はただの、あんたの妹の被害者遺族の代表として来た」


 中からの反応はない。


「……開けてくれ。話がある」


「……帰ってください」


 ようやく、ドア越しに細い声が返ってきた。拒絶の声だ。


「……もう、話すことはありません。……私は何も知らない。……妹のことはもう……」


「……高嶋茜が死んだ」


 黒田は遮るように事実だけを告げた。


 ドアの向こうの気配が、凍りついたのが分かった。


「……先日、あんたと会った女医だ。……昨夜未明、勤務先の病院から飛び降りて死んだ」


「…………」


「……それだけじゃない。……さっき、神社の神主も死んだ。……暴走したあんたの妹の呪いを命懸けで止めるためにな」


 黒田の声は淡々としていた。怒鳴り散らすよりも、その静けさが事の重大さを物語っていた。


「……今、この街が静かなのは神主が死んだからだ。……だが、それも長くは続かない。……次に呪いが動き出したら、多くの被害がでるだろう。……あんたも含めて、命の保証もできないほどに」


 カチャリ、と鍵が開く音がした。

 ドアがゆっくりと開き、チェーンもかけずに蒼月海琴が姿を現した。

 俺には見えない。だが、黒田の反応で分かった。


 彼女は泣いていたのだろうか。それとも恐怖で顔を引きつらせているのだろうか。


「……三上」


 黒田に促され、俺は足を引きずって部屋に入った。

 家具の少ない、生活感の希薄な部屋だった。

 そこには、逃亡者特有の息苦しい空気が漂っていた。


 海琴は部屋の隅に座り込んでいた。俺と黒田も、その向かいに腰を下ろす。


「……死んだって……本当、ですか」


 海琴の声は震えていた。


「……あの、お医者さんが……?」


「……ああ」


 黒田が短く答えた。


「……俺たち仲間が二人、死んだ。……たった一晩でな」


 海琴が息を呑む音がした。

 彼女は俺の方を見たようだ。視線を感じる。

 包帯だらけで、皮膚がただれ、目が白濁した、異形の男。

 それが、彼女の妹が作り出した作品の成れの果てだ。


「……三上さん……ですよね?」


 海琴が俺の惨状を見て、言葉を詰まらせた。


「……俺は、まだ何とか生きてます」


 俺はかすれた声で言った。


「……雨宮さんが守ってくれたから、ここにいます」


「……どうして……」


 海琴は両手で顔を覆った。


「……どうして、こんなことに……。……私はただ、忘れたかっただけなのに……。……凪も、死んだら終わるって……」


「……終わってねえよ」


 黒田が畳に拳を置いた。


「……終わらせてくれなかったんだ。あんたの妹は」


「……私のせい、ですか」


 海琴が顔を上げた。その声には深い絶望がにじんでいた。


「……私が、あの子の写真をネットに流してしまったから……。……私が、あの子を裏切ったから……。だから、あのお医者さんも、神主さんも、死んだんですか……?」


 自責の念。

 それは俺や雨宮さんが抱えていたものと同じ、重い鎖だ。

 彼女はずっと、この3年間、たった一人でその鎖に繋がれていたのだ。


「……海琴さん」


 俺は彼女のいるであろう方向へ、見えない目を向けた。


「……黒田さんが俺を連れてきたのは、あなたを責めるためじゃない。……俺を通して凪の声を聞いてもらうためです」


「……凪の、声?」


「……俺はあの子と繋がっています。……ずっと、頭の中で彼女の声が聞こえてました。……今は静かですが、完全に消えたわけじゃない」


 俺は胸に手を当てた。


「……俺には分かるんです。……凪が本当に望んでいることが、復讐なんかじゃないってことが」


 部屋に沈黙が落ちた。

 外から微かに風の音が聞こえ始めた。

 雨宮が命を賭して作った(なぎ)の時間が、早くも終わりかけている予感がした。

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