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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第49話 死への誘い

「茜さん! 茜さん!」


 俺は叫びながら、半ば転がり落ちるようにして神社の庭へと躍り出た。

 視界がない分、距離感が掴めない。足が何もない空を切ったかと思うと、次の瞬間、砂利の地面が荒々しく俺の身体を受け止めた。

 掌に鋭い痛みが走る。だが、構っていられなかった。


「離せ! 行かなきゃならないんだ!」


 泥だらけになって立ち上がろうとする俺の肩を太い腕が強引に押さえ込んだ。


「落ち着け三上! その体でどこへ行く気だ!」


 黒田刑事だった。その声には珍しく焦りの色がにじんでいた。


「離してくれ! 茜さんが……茜さんが呼んでるんだ!」


「だから落ち着けと言ってるんだ! 闇雲に動いてどうにかなる状況じゃねえ!」


 黒田に怒鳴りつけられ、俺は息を呑んだ。

 黒田は震える俺の背中を強く叩き、無理やりその場に座らせた。


「……いいか、よく聞け。今、署の方から連絡が入った」


 黒田が耳元の無線機を押さえながら、苦々しい顔で告げた。


「……K市で暴動が起きてる」


「暴動……?」


「ああ。原因不明のパニックだ。住民が錯乱して暴れ回ってるらしい。道路も封鎖された。今ここから飛び出したところで、病院に辿り着く前に巻き込まれて終わりだ」


 俺は絶句した。凪の呪いは特定の個人だけでなく、土地そのものを汚染し始めているのか。


「……じゃあ、どうすればいいんだ! このまま指をくわえて見てるのか!」


「誰も見捨てるなんて言ってねえ!」


 黒田が強い口調で遮った。


「夜明けを待つ。明日の朝、俺が車を出す。お前と、そこの神主も連れて行く」


 黒田の視線が、崩れた座敷から出てきた雨宮に向けられた。


「……警察手帳を使ってでも検問は突破する。だが、状況が把握できていない状態で突っ込めば、俺たちまでミイラ取りがミイラになりかねん。……明るくなるまで待て。それが一番確率の高い方法だ」


 俺は拳を握りしめ、地面を殴りつけた。

 論理的には黒田が正しい。だが、感情がそれを拒絶している。

 あと数時間。その数時間の間に茜さんの心が壊れてしまったら――。


「……頼む、もってくれ……」


 俺はK大学病院のある方角の空を見上げ、祈るようにつぶやいた。


 ***


 その頃。K大学病院の個室は粘りつくような濃密な闇に包まれていた。

 高嶋茜はベッドの上で耳を塞ぎ、ガタガタと震えていた。


 聞こえる。


 さっきからずっと、耳元で、あの女の声が聞こえるのだ。


『……ねえ』

『……痛いよ』

『……熱いよ』

『……苦しいよ』


 幻聴ではない。鼓膜ではなく、脳に直接響いてくるような濡れた声。


「……ごめんなさい……許して……」


 茜はかすれた声で謝罪を繰り返した。

 恐怖で涙も涸れ果てていた。精神は限界を超え、擦り切れる寸前だった。


「……もうやめて……お願い、助けて、凪……!」


 茜は虚空に向かって手を合わせた。

 興味本位で首を突っ込んだことへの許しを乞うた。私が浅はかだった、と。


 その瞬間、部屋の空気が凍りついた。

 ベッドの足元に、ゆらりと黒い影が立った気配がした。


『……助けて?』


 凪の声がくすりと笑った。


『……わたしはね、訳も分からず死んだのよ? 自分がなぜこんな目に遭うのか、何も知らされずに、暗闇の中で溶けていったの』


 影が茜の顔を覗き込むように近づいてくる。腐臭と共に冷たい指先が茜の頬を撫でた。


『……それに比べて、あなたはいいわよねえ。自分がどうして呪われているのか、ちゃんと理由が分かっているんだもの』


 凪の声は氷のように冷酷で、底知れぬ悪意に満ちていた。


『……理由が分かっているだけでも、あなたはずっと幸せよ』


「あ……あぁ……」


 茜の喉から、言葉にならない悲鳴が漏れた。


 通じない。


 もう、ここには人間の心を持った凪はいない。ただの呪いの塊が理不尽な復讐を楽しんでいるだけだ。


 プツン、と茜の中で何かが切れる音がした。

 これ以上、この恐怖に耐えることなどできない。

 朝が来るまで待てない。誰の助けも期待できない。

 この苦しみから逃れられるなら、もう何でもいい。


「……もう、いい」


 茜は虚ろな目でつぶやいた。


「……もう、連れて行って」


 それは完全な敗北宣言であり、死への渇望だった。凪の気配が満足げに歪んだのが分かった。


『……いいよ。楽にしてあげる』


 茜は操られるように、ふらりとベッドから降りた。

 点滴のチューブを引き抜き、裸足で冷たい床を踏みしめる。

 向かう先は、バルコニー。

 踏み台を使えば、外へと飛び出せる。

 茜は吸い寄せられるように窓枠に手をかけ、鍵を外した。


 夜風が吹き込んでくる。


 その風に乗って、凪の手が優しく茜の背中に回された。


『……さあ、いこう』


 茜は微かに微笑み、躊躇なくその身を夜空へと投げ出した。

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