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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第45話 古文書の捜索

「……よし。やるぞ」


 黒田刑事が重い沈黙を破るように言った。


 彼は上着を脱ぎ捨て、ワイシャツの袖をまくり上げた。その動作の音だけで、彼が刑事としての常識を捨て、未知の領域へ踏み込む覚悟を決めたことが伝わってくる。


「警察の捜査も、医者の治療も、もう追いつかない。……残る手掛かりは、あんたの専門分野だけだ、神主」


「……承知いたしました」


 雨宮神主の声にも、迷いはなかった。


「神社の蔵には、歴代の神主が書き記した日誌や、この土地に伝わる伝承をまとめた古文書が眠っております。……そこから、凪殿が呪いを構築する際に参照した『元ネタ』、あるいはこの土地の穢れを鎮めるための『作法』を探し出しましょう」


 雨宮が立ち上がり、足早に部屋を出て行った。

 砂利を踏む音が遠ざかり、しばらくして、重い木戸を開ける音が響いた。

 俺、三上悟は、布団の中でじっと天井の方角を見上げていた。

 体は鉛のように重く、指先一つ動かすのも億劫だ。

 全身の皮膚が熱を持ち、包帯の下で膿が滲む感触がある。

 だが、不思議と痛みは遠のいていた。麻痺しているのか、それとも俺の肉体が完全に「あちら側」へ適応しつつあるのか。


(……俺は何もできないのか)


 悔しさが胸の奥で燻る。

 黒田も、雨宮も、そして電話の向こうの茜さんも、必死に戦っている。

 それなのに、すべての元凶である当事者の俺が、ただ寝かされているだけなんて。


「……気に病むな」


 俺の心を見透かしたように黒田がつぶやいた。


「お前は、生きてそこにいるだけでいい。……お前は人質であり、同時に通信機だ。凪の動きを感知できるのは、世界でお前しかいない」


「……通信機、ですか」


 俺は自嘲気味に笑った。壊れた通信機だ。今は沈黙したままだからな。


 やがて、廊下を軋ませる重い足音と共に、雨宮が戻ってきた。

 ドサッ、ドサッ、と畳の上に何かが置かれる音がする。

 埃っぽい、古い紙と墨の匂いが舞い上がった。数百年分の歴史の匂いだ。


「……とりあえず、重要そうなものを運び込みました」


 雨宮の息が荒い。


「江戸期のものから、戦後の区画整理の際の記録まで……。この『舟倉』という土地が、いかにして『穢れ』を溜め込む壺となったか、その変遷が記されております」


「上等だ。……片っ端から洗うぞ」


 黒田が老眼鏡を取り出す気配がした。

 そこからは、紙をめくる乾いた音だけが、部屋の支配者となった。

 カサッ、カサッ、という音が、リズムを刻む。

 時折、黒田が「読めねえ……なんだこのくずし字は」と(うめ)|き、雨宮がそれを解説する声が挟まる。


「……やはり、そうですか。……この土地は古くから『流し場』だった」


 雨宮がある文書を読み上げながらつぶやいた。


「疫病で死んだ者、飢饉で倒れた者……。そうした遺体や、行き場のない『不浄』を、川を使って海へ流す。その最終集積地が、この神社の裏手にある淵だったのです」


「……ゴミ捨て場、ってことか」


 黒田の声が渋い。


「言葉は悪いですが、そうです。……人々は、自分たちの生活圏から『死』や『穢れ』を切り離し、ここに押し付けた。……そして、溢れそうになる穢れを封じるために、定期的に『人柱』を立ててきた」


 俺は闇の中でその話を聞いていた。

 蒼月凪の呪い。それは、彼女個人の怨念だけでできたものではない。

 数百年もの間、人間社会が「見たくないもの」として切り捨ててきた膨大な負の歴史。


 凪は、ネットという現代のツールを使って、その蓋を開けたに過ぎないのだ。

 いや、彼女自身もまた、現代社会が生み出した「見たくないもの」として、ここに捨てられた一人だった。


(……だから共鳴したんだ)


 凪と土地。

 二つの巨大な絶望がリンクし、制御不能なエネルギーとなって噴き出している。

 それを止めるには、どうすればいい?

 ただの除霊や、サーバーの削除でどうにかなるレベルじゃない。


「……ここだ。……『鎮めの儀』……」


 雨宮の声が微かに弾んだ。


「……穢れが満ちた時、神主は身を清め、祝詞と共に……いや、これは……」


「どうした?」


「……『己が命を灯火(ともしび)と為し』……。……命と引き換えにする以外に鎮める術はないと書かれております」


 沈黙が落ちた。

 雨宮は覚悟していたとはいえ、改めて突きつけられた「死刑宣告」に、言葉を失ったようだった。


「……まだだ」


 黒田が強い口調で言った。


「諦めるな。他の文献もある。……三上がまだ生きてるってことは、凪にもまだ、人間としての理屈が通じる余地があるってことだ。……抜け道を探せ」


 再び、ページをめくる音が始まった。


 カサッ、カサッ。


 その音は、まるで俺の意識を削り取るヤスリの音のように聞こえた。


「……水、飲むか」


 黒田が作業の手を止めずに俺に問うた。


「……いえ、大丈夫です」


 嘘だった。喉はカラカラだった。

 だが、俺にはもう、水を飲み込む力さえ残っていなかった。

 強烈な睡魔が襲ってきていた。

 ただの眠気ではない。

 底なしの沼に引きずり込まれるような、抗いがたい重力。


(……また、潜るのか)


 俺の意識が深い闇の底へ落ちていく。そこには凪がいるはずだ。

 沈黙したまま、膝を抱えて、世界が壊れていくのを待っている妹が。

 黒田と雨宮の話し声が、遠くの水音のように歪んで聞こえる。

 俺はその音をBGMに、二度目の長い眠りへと落ちていった。

 その先に待つのが取り返しのつかない悪夢であることも知らずに。

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