第40話 裏切り者
雨宮の軽トラックが、神社の参道に敷かれた砂利を踏みしめ、音を立てて停まった。
蒼月海琴はアパートから、妹の唯一の形見である古いノートPCが入ったバッグだけを抱え、後部座席から降りた。
K市で生まれ育ったにもかかわらず、舟倉に近いこの神社に足を踏み入れたのは初めてだった。
海琴は妹の業を、そして自分の過去を直視するために、雨宮への協力を決めたのだ。
離れ座敷。
黒田と茜が重い表情で二人を迎えた。
部屋の中は暗闇だった。
光を遮るため、障子にはさらに黒い布がかけられている。
そして、その暗闇の奥から異臭がした。
あの日、妹の部屋で感じた、あの、薬品と皮膚が腐っていく匂い。
「……三上さん」
茜が暗闇の奥に静かに声をかけた。
「……海琴さんをお連れしました」
暗闇の中で布団がわずかに身じろぎする気配がした。
「……そうか」
俺の声はかすれて、乾いていた。
暗闇の中から聞こえた男の声に海琴は息を飲んだ。
雨宮が懐中電灯の一番弱い光で、その場所を照らし出した。
「……あ……」
海琴は声にならない悲鳴を上げ、両手で口を覆った。
そこにいたのは人間ではなかった。
布団の上にうずくまる、何か。
顔も、首も、包帯でぐるぐる巻きにされ、その隙間から覗く皮膚は赤黒く爛れ、膿んでいる。
目は光を失い、固く閉じられている。
何よりも、その異臭。
三年前、妹の凪が光を失った部屋で独り苦しんでいた、あの最期の姿。
それが、今、目の前に、生身の人間として再現されていた。
「……凪……」
海琴は無意識に妹の名を呼んでいた。
その言葉に三上の体がビクリと痙攣した。
『……姉さん……?』
俺の頭の中で凪の声がした。
それは今までの怒りや拒絶の声ではなかった。
信じられないものを見たかのような、純粋な動揺の声だった。
『……なんで……。なんで姉さんが、そいつと……』
「……三上です」
俺は爛れた顔を声のする方……海琴がいるであろう方角へ向けた。
「……あんたの妹さんの声が聞こえる……」
「……!」
海琴はその場に崩れ落ちた。
茜が彼女の背中を支える。
「……あの子は……。凪は今、なんて……?」
「……『なんで姉さんが、そいつらと』。……『裏切ったのか』って」
俺は幻聴をそのまま伝えた。
「……ああ……! 凪! 違う、違うの……!」
海琴は暗闇の中にいる妹の魂に向かって泣き叫んだ。
もう、彼女に隠し立てするものはなかった。
彼女は黒田と茜に向き直り、二人の顔を見つめる。
「……わたしが……」
海琴は三上を、そして妹の怨念を前に全ての真相を告白し始めた。
妹が人柱の運命を背負っていたこと。
自分が善意で凪の寝顔の写真をSNSに載せてしまったこと。
それが流出し、日本中の見世物にされたこと。
『化け物』『ゾンビ』と、凄惨なネットリンチを受けたこと。
妹が呪術に傾倒し、世界そのものへの復讐を誓ったこと。
そして、『BlueLull』を遺し、『姉さんだけは見ないで』と言い残して、死んでいったこと。
黒田と茜は呪いの動機のあまりにもおぞましく、そして、あまりにも現代的なその真相を、ただ、聞くしかなかった。
「……そうか」
黒田が重々しく言った。
「……動機はネットリンチへの『復讐』……。……これで全て繋がった」
対抗勢力の四人はついに呪いの核心を共有した。
その瞬間。俺の頭の中で凪の声が変わった。
動揺が絶望へ。そして絶望が、冷たい、冷たい殺意へと。
『……姉さん』
凪の声は涙声のようだった。
『……なんで、話したの?』
『……なんで、そいつらに、わたしの苦しみを? また見世物にするの?』
『……姉さんだけは味方だと思ってたのに……』
「……違う、凪! 俺は……!」
俺はその声の変貌に必死に抵抗しようとした。だが遅かった。
『……裏切り者』
声はそう言った。
『……姉さんも』
『……そいつらも』
『……三上さん、あんたも』
『……全員、許さない』
俺の意識がその強烈な憎悪の奔流に飲み込まれていく。
その呪いは最後の拠り所であった姉にさえ裏切られたと認識し、悪意の奔流となって、全てに牙を剥こうとしていた。




