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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第39話 炎上の真相

 雨宮は杖を引きずるようにして、K市の古いアパートの階段を上っていた。

 黒田が教えた蒼月海琴の現在の住まい。

 『シーブリーズ』のあった丘とは反対側の日当たりの悪い古いアパートだった。

 彼女は妹が死んだ舟倉の家から逃げ、無機質なコンクリートの箱で息を潜めていた。


 雨宮はためらわなかった。

 舟倉の土地の古い因習を知る者として、やらねばならぬという使命感に突き動かされていた。


 コン、コン。


 乾いたノックの音。

 中から、チェーンがガチャリとかかる音がした。

 ドアが、わずかに開く。

 隙間から、昨日、黒田と茜が対峙した、あの怯え切った瞳が覗いた。


「……!」


 海琴は雨宮の神主としての白衣と袴を見て、息を飲んだ。


 まただ。


 昨日は警察と医者。そして今日は神主。

 妹の死から三年の時を経ているのに、忘れる事を、逃げる事を、許されない。


「……お帰りください」


 海琴はドアを閉めようとした。


「……昨日の者たちとは違う。話を聞いてもらえんか」


 雨宮の声は黒田のような威圧感も、茜のような焦りもなかった。


 ただ静かで、冷たい水のように染み込んでくる声だった。


「……何のご用ですか。うちにはもう、神様にすがるようなことは……」


「蒼月海琴殿」


 雨宮は彼女の名をはっきりと呼んだ。


「わしはこの土地の神に仕える、雨宮という。……あんたに呪いの話をしに来たのではない」


「……え?」


「あんたの家系……蒼月家が、このK市の舟倉で何を背負ってこられたのか。……その『業』の話をしに来た」


 海琴の手から力が抜けた。

 チェーンが、カラン、と虚しい音を立てる。


 『業』


 その一言は法や医学という「現代」の言葉では決して届かなかった、彼女の心の一番奥深くにある「恐怖」の正体だった。


 海琴は亡霊のように、ゆっくりとドアを開けた。

 雨宮は静かに一礼し、狭いアパートの一室に入った。

 部屋は驚くほど物がなかった。

 妹の死と共に、彼女の時間も止まってしまっているかのようだった。


 雨宮は座布団も勧められぬまま、畳の上に正座した。

 海琴はその対面に距離を取って座った。


「……なぜ、あなたが、そのことを」


 海琴の声は震えていた。


「……知っております」


 雨宮は静かに語り始めた。


「この土地の『穢れ』を海に流す舟倉の役目。……そして、その『穢れ』をその身に引き受ける『人柱』の一族。……それが蒼月家だ」


 海琴の目から堰を切ったように涙が溢れ出した。


「……おばあちゃんが……」


 彼女は嗚咽を漏らした。


「……おばあちゃんが言ってた……。『この家は呪われている』『この土地の悪いものを全部吸い込んでしまう家なんだ』って……」


「……」


「私は迷信だって思ってた……! でも凪が……!」


 海琴は顔を覆った。


「あの子が物心ついた時から、あの酷い皮膚の病気で……! 光を浴びるだけで皮膚が爛れて……! 医者も原因が分からないって……!」


「それが『業』の顕現だったのでしょう」


 雨宮が静かに続けた。


「妹君は蒼月家の最後の人柱として、あの土地の呪いをたった一人で、その身に引き受けておられた」


「……!」


「わしら神職も、その役目を見て見ぬふりをしてきた。……彼女が、どれほどの苦しみを背負っているかも知らずに」


 雨宮の言葉は海琴を責めてはいなかった。


 それはこの土地の大人としての深い贖罪の言葉だった。

 海琴は初めて妹の苦しみを理解する人間に出会ったのだ。


「……あの子は……」


 海琴は涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。


「……あの子は耐えてたんです。ずっと一人で……。部屋に閉じこもって、絵を描くだけが、あの子の全てだった……!」


「……だのに」


 雨宮が続けた。


「……何かが、あの子の『器』を壊した。……何があったのですかな? 三年前」


 海琴の呼吸が止まった。

 彼女の脳裏に、あの地獄のような数日間が蘇る。

 妹が人柱であったことを、この神主は理解してくれた。


 だが、その妹を本当に殺したのは土地の呪いではなかった。


「……わたし、なんです」


 海琴は罪を告白するように言った。


「……わたしが……あの子を殺した……」


「……」


「あの日……凪が珍しく、窓際で穏やかな顔で眠っていて……」


 海琴は途切れ途切れに語り始めた。


「……私、嬉しくて……。あの子の苦しんでいない顔を初めて見た気がして。……写真を撮ったんです」


「……」


「……それを私の……SNSの鍵をかけたアカウントに載せた。『妹の寝顔、天使みたい』って……。ただ、それだけだったのに……」


 海琴の指が畳を強く引っ掻いた。


「……誰かが……。私の友達の誰かが……。その写真を盗んだ……」


「……!」


「……写真が流出したんです。……匿名の掲示板に……!」


 黒田と茜が漠然と「ネットリンチ」と呼んでいたもの。その引き金が姉である海琴の善意の行動だった。


「……凪の、あの、病気の顔が……。『K市に化け物が出た』『ゾンビだ』『伝染る』って」


 海琴は当時のおぞましい書き込みを今も鮮明に覚えていた。


「あの子の本名も、学校も、全部晒された! 人柱として光から逃げて、息を潜めて生きてきたあの子が! 日本中の見世物にされたんです!」


 雨宮は目を閉じたまま、その告白をただ聞いていた。


「……凪はそれを見た。私のアカウントがバレたから……。でも、あの子は私を責めなかった。……ただ、『姉さん、ありがとう』って言ったんです」


「……」


「『これで、分かった』って。『わたしを見てくれなかった世界が、本当はわたしをどう見ていたのか、やっと分かった』って……」


 絶望。

 それは蒼月凪が人柱としての器を完全に破壊された瞬間だった。

 彼女が守ろうとしていた世界そのものが、彼女を化け物として指差し、嘲笑したのだ。


「……あの子は変わってしまった」


 海琴は虚ろな目で続けた。


「……あの日から部屋に閉じこもり、あの、おばあちゃんが『読んではいけない』と言っていた、蔵の古い本……」


「……呪術の書か」


 雨宮が静かに言った。


「……はい。……『穢れ』とか、『呪詛返し』とか……。……私は怖くて止められなかった……」


 そして凪は『BlueLull(ブルー・ラル)』を完成させた。

 それは彼女が引き受けていた、この土地の穢れと、彼女自身が受けた苦しみを、世界へ逆流させるための呪いの装置だった。


「……あの子は言いました」


 海琴は妹の最期の言葉を震える声で紡いだ。


「……『姉さんだけよ、わたしを見てくれたのは』……『だから、姉さんだけは絶対に、これ(サイト)を見ないで』って……」


 それが姉妹の最後の会話だった。

 数日後、凪はあの光のない部屋で衰弱し、息を引き取った。


 雨宮は目を開けた。

 全ての動機が明らかになった。


「……海琴殿」


 雨宮は深く、深く、頭を下げた。


「……我ら、この土地の人間が、あんたたち一族に全てを背負わせてきた。……わしが謝って済むことではない。……だが」


 雨宮は顔を上げた。


「……凪殿の苦しみはまだ終わっておらん。……あの子の怨念は今、わしらの仲間が、その身に引き受け、そして死にかけておる」


「……!」


「……あの子を本当の意味で弔うために。……あんたの力を貸してはもらえんか」


 海琴は泣き続けていた。

 妹の呪いが今、他人を苦しめている。その事実に彼女はもう、逃げることをやめると決意した。

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