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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第38話 雨宮の説得

 黒田の私用車が神社の参道に敷かれた砂利を踏みしめ、音を立てて停まった。

 エンジンが切られると、K市の山際は虫の声一つしない不気味な静寂に包まれた。


 離れ座敷の障子が開く。

 顔を出したのは神主の雨宮だった。

 車から降りてきた黒田と茜の顔を見るなり、雨宮は全てを察したように小さく首を振った。


「……駄目でしたか」


「……ああ」


 黒田は疲労困憊の茜を先に座敷へ上がらせると、自身も縁側にどかりと腰を下ろした。

 部屋の奥、布団が敷かれた暗闇の中から、俺、三上悟のか細い呼吸音が漏れている。


「……ダメだ。あいつは俺たちを『敵』だと思い込んでやがる」


 黒田は神社の暗い森に向かって、タバコの煙を吐き出した。


「……あれは何かに怯え切った被害者の目だ」


「……海琴さんは妹さんが受けた『仕打ち』……ネットリンチが、今度はご自身の身に降りかかることを極度に恐れているようでした」


 茜が震える声で報告を引き継いだ。


「私たちが彼女の『聖域』を土足で踏み荒らす『マスコミ』か何かだと思っている……」


 三者が沈黙に包まれた、その時だった。


「……ぐ……うう……!」


 部屋の奥の暗闇から、俺の苦悶の声が漏れた。


「三上さん!」


 茜が慌てて駆け寄る。


 俺は布団の上で、爛れた顔を押さえて身をよじっていた。

 黒田と茜が海琴に接触していた、この数時間。


 俺の頭の中で、蒼月凪の幻聴はかつてないほどに激しく荒れ狂っていた。


「……あいつ……、怒ってる……」


 俺は茜に支えられ、かろうじて上体を起こした。


「……俺たちが凪の姉さんに近づいたことに……、激怒してる……」


 失明した俺の目から熱い涙が溢れた。痛みと呪いの奔流による、生理的な涙だ。


「……『姉さんを汚すな』……『見世物にするな』……。……そればかり、だ……」


 黒田が苦々しげに舌を打った。


「……チッ。こじれてやがる」


 完全に手詰まりだった。

 黒田も、茜も、俺も、ただ、蒼月凪の苦しみの連鎖に飲み込まれようとしている。


「……いや」


 その沈黙を破ったのは雨宮だった。

 彼は座敷の柱に立てかけてあった古い杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。


「……まだ道はある」


 三人の視線が神主に集まった。


「……わしが行こう」


「あんたが?」


 黒田が意外そうな顔をした。


「……あんたが行って、どうなる? あの女はもう誰の話も聞く耳を持たんぞ」


「法では動かせなんだ」


 雨宮は黒田を見た。


「医学でも、救えなんだ」


 雨宮は茜を見た。


「そして、呪いをその身に受けた三上殿では近寄りすぎた」


 雨宮は俺のいる暗闇を見た。


「……あの娘の心を縛っておるのは現代社会への『恐怖』だけではない。……もっと古い、この土地の『因習』への恐怖でもある」


「……人柱の家系……」


 茜がつぶやいた。


「そうだ」


 雨宮はうなずいた。


「彼女は妹が『業』を背負って死んだことを知っている。……そして、自分が、その『生き残り』であることも知っている。……だからこそ過去から逃げ、自分を隠し、息を潜めて生きている」


 雨宮の静かな声が俺たち三人の焦りを鎮めていくようだった。

 雨宮は座敷の入り口に立った。


「この土地の『穢れ』を知り、蒼月家が背負ってきた『業』を理解する者……。この土地の古い『習わし』を知る者であれば、あの娘の心を開けるかもしれん」


 黒田と茜は何も言い返せなかった。

 彼らの「現実」は海琴の前で、完全に無力だったのだ。


「……黒田さん。あの娘の今の住まいは?」


「……ああ。車で張り込みながらナンバーを照会した」


 黒田は手帳を開き、海琴が逃げ帰ったアパートの住所を読み上げた。

 『シーブリーズ』のあった丘とはまた別の町外れの古いアパートだった。


「……承知した」


 雨宮はうなずいた。


「……雨宮さん。……あんた、まさか、一人で行く気か?」


 黒田が戸惑いを隠せない声で言った。


「ああ」


 雨宮は振り返らなかった。


「これは警察の『捜査』ではない。医者の『治療』でもない。……これはこの土地の古い『弔い』だ。……わしがやらねばならん」


 雨宮は杖をつき、ゆっくりと神社の暗い境内へ歩き出していった。

 黒田と茜はその背中を、かける言葉もなく見送るしかなかった。

 俺は暗闇の中、凪の幻聴が雨宮の行動を察知し、「やめろ、行くな」と、さらに激しく抵抗を強めていくのを、ただ、耐え続けていた。

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