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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第35話 幻聴の中のヒント

 離れの座敷は重い沈黙に包まれていた。

 四人の前に突きつけられた絶望的な「壁」。

 呪いを解く鍵を握る唯一の人物、蒼月海琴が「行方不明」。


 黒田が火の消えたタバコを苛立たしげに噛み潰す音が、やけに大きく響いた。


「……どうする?」


 黒田が低い声で言った。


「住民票が三年前から動いていないとなると、今の居場所を短期間で特定するのは、ほぼ不可能だ。K市中のアパートをしらみ潰しにするか? いや、時間がかかりすぎる。……その間にあんたは……」


 黒田の視線が俺に向けられていた。

 その通りだ。その間に俺は死ぬ。そして、呪いはさらに拡散し、全国で死者の数が増え続ける。


「……何か方法はないんですか?」


 茜が絞り出すように言った。


「彼女が、まだK市内にいる可能性は……」


「分からん。完全に過去を捨てて、東京か、あるいはもっと遠くへ行っているかもしれん」


 黒田は立ち上がろうとした。


「……こうなれば強行策だ。本庁に戻って正式に捜査本部を立ち上げ……」


「待ちなさい」


 雨宮が黒田を制した。


「……警察が動けば、どうなる? 『蒼月海琴』はマスコミの餌食になる。彼女は蒼月凪の姉として日本中の好奇の目に晒されてしまう」


「……!」


「それは弟である凪が最も憎んだことではないのか? 『見られる』という呪いの引き金を我々自身が引くことになりかねない」


 黒田が苦々しげに顔を歪めた。まさに、その通りだった。

 蒼月凪は病気 (呪い)で爛れた素顔を「見られる」ことに絶望して死んだ。

 その姉を今度は俺たちが、社会の「見世物」にしようとしている。

 そんなことをすれば、呪いは鎮まるどころか、さらに激化するだろう。

 法も、科学も、伝承も、すべてが手詰まりだった。


 その時だった。俺の頭の中で、それまで俺たちの会話を静観していた蒼月凪の声が再び響き始めた。

 それは今までの俺の弱さにつけ込む声でも、俺を導く穏やかな声でもなかった。純粋な、激しい怒りに満ちた拒絶の絶叫だった。


『……姉さんを探すな!』


「……ッ!」


 俺は激しい頭痛に襲われ、畳の上にうずくまった。

 頭蓋骨の内側を金槌で殴りつけられるような、強烈な衝撃。


「三上さん!?」


「おい、どうした!?」


 茜と黒田の声が遠くで聞こえる。


『姉さんを見世物にするな!』


 凪の声が俺の脳を直接揺さぶる。


『お前たちも同じだ! あの時の奴らと同じだ! 俺の顔を見て笑った奴らと同じだ!』


「……ぐ……あああっ!」


 俺は爛れた顔を押さえ、畳の上を転げ回った。


 「壊貌病(かいぼうびょう)」の痒みと痛みが、この精神攻撃に呼応して、全身で爆発する。


 痒い。痛い。熱い。

 そして、凪の憎しみが俺の意識を乗っ取ろうと、奔流のように流れ込んでくる。


「三上さん! しっかりして!」


 茜が俺の肩を掴む。だが、その手さえもが今の俺には苦痛だった。


『姉さんを汚すな! あそこにはもう、誰も行かせない!』


「……あそこ……?」


 俺は苦痛の中で、その言葉を聞き逃さなかった。


『……姉さんだけだった! いつも、絵を褒めてくれたのは! あの丘の上で!』


 憎しみに満ちた絶叫の中に、ポロリと、過去の「記憶」が混じった。

 俺は最後の理性を振り絞り、その声に意識を集中させた。

 呪いの「器」としての俺の役目を果たすために。


「……聞け……凪……。お前の姉さんを俺たちは……!」


『うるさい! 海の見える丘の、あのカフェで! わたしの目を見て話してくれたのは、姉さんだけだった!』


「……!」


 俺は掴んだ。茜の腕を力任せに掴み、この瞬間の出来事を伝えようとしたのだ。


「……茜さん……! 今……!」


「三上さん!?」


「……『海の、見える、丘』……。……『カフェ』……!」


 俺は途切れ途切れに幻聴から盗み聞きしたキーワードを叫んだ。


 茜の顔がハッとしたように強張ったのが気配で分かった。

 彼女は黒田に向き直った。


「黒田さん! 『海の見える丘』! K市に、そんな場所は……!?」


 黒田も、俺の異様な叫びと茜の剣幕に即座に反応した。彼はスマートフォンを取り出し、K市の地図アプリを起動した。


「……海の見える丘……。……この辺りはほとんど海沿いだが……『丘』……」


 黒田の指が地図をスライドしていく。


「……待て。……ここか? 舟倉地区とは反対側の東側の高台……。観光用の『港見の丘公園』ってのがある」


「カフェは……!?」


 俺は凪の絶叫に耐えながら叫んだ。


「……ああ」


 黒田の声にわずかな光が宿った。


「……あるぞ。公園の展望台に、一軒だけ……。古い喫茶店だ。……『シーブリーズ』……」


『……シーブリーズ……』


 俺の頭の中で凪の声が、その名を懐かしむように弱々しく繰り返した。

 間違いない。そこだ。そこが蒼月凪にとって、姉との唯一の「聖域」だった場所だ。


「……黒田さん!」


 俺は顔を上げた。


「……行ってくれ! そこに海琴がいる……! きっと何かを知ってるはずだ!」


 凪は今、俺たちを拒絶することで最大のヒントを自ら明かしてしまった。

 黒田と茜は顔を見合わせた。もはや、迷いはなかった。


「……三上」


 黒田が俺の肩を掴んだ。


「……よく耐えた。……あとは俺たちに任せろ」


「……雨宮さん。こいつを頼めますか」


「承知した」


 雨宮が静かにうなずく。


「……黒田さん。高嶋さん。……急がれよ。呪いの拡散は今も止まっておらん」


「ああ、分かっている」


 黒田と茜は立ち上がった。

 二人は俺と雨宮を残し、神社の離れ座敷を嵐のように飛び出していった。


 黒田の車のエンジン音が遠ざかっていく。

 俺は畳の上に倒れ込んだまま、荒い息をついていた。

 体はもう限界だった。

 だが、俺の耳元で、蒼月凪の声は激しい憎悪に満ちた声で俺を呪っていた。


『……よくも……! よくも、姉さんの場所を……!』


『許さない。……お前も、あの二人も、絶対に許さない……!』


 呪いの奔流が俺の意識を再び闇の底へと引きずり込んでいった。

 俺たちはついに最後の鍵を握る人物の居場所にたどり着いたのだ。

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