第30話 第四の勢力
「……役者が揃ったようね」
蒼月凪の声が俺の頭の中だけで楽しそうにコロコロと笑った。
廃屋の中は二つの懐中電灯の光が乱反射し、埃とカビの匂い、そして、俺の体から発せられる腐敗臭が混じり合い、混乱の様相を呈していた。
高嶋茜と名乗った医師は俺の姿に絶句したまま立ち尽くしている。
黒田が俺から茜へと鋭い視線を移した。
「……医者だと? あんたも、こいつの関係者か?」
「違います!」
茜は俺の姿から目を逸らさずに答えた。
「私はこの現象を……いえ、この壊貌病を追って、T県から来ました。発生源を突き止めるために」
「壊貌病……。週刊誌が騒いでいる、アレか」
黒田が吐き捨てる。
「俺は全国で起きている連続不審死を追って、ここにたどり着いた。……だが、三上、お前の言う通りなら、これは事件じゃねえ」
黒田の懐中電灯の光が再び俺の足元を照らした。
その光はもう俺を拷問するためではなく、目の前の現実を確認するために、戸惑いながら揺れていた。
俺は壁に背を預けたまま、かろうじて声を絞り出した。
「……あんたたちも……蒼月凪の仕業だと?」
「そうだ」
黒田が答えた。
「全国の被害者のPCから、calmと『BlueLull』の履歴が出た。……そして、作者の蒼月凪が死亡している事実にたどり着いた」
「私も、同じです」
茜が続けた。
「私の病院で死んだ患者も、『calmの海の絵』と言っていました。……彼女の無念を晴らすためにも、私は……」
茜の声が罪悪感で震えているのが分かった。
刑事と医者。
現実の人間が法と科学の力で、この呪いの震源地を突き止めた。
だが、たどり着いたところで、どうするというのだ。
相手は三年前の死者だ。
俺たち三人は絶望的な事実を前に廃屋の中で立ち尽くすしかなかった。
「……無駄だ」
俺は二人に、そして俺自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「そいつはもう死んでる。俺たちには何も……」
その時だった。俺たち三人が照らす光の届かない、廃屋の一番奥の暗闇から静かな声がした。
「……その通り。死人を法で裁くことも、医学で治すこともできんよ」
「!?」
「誰だ!」
黒田が即座に懐中電灯を声の主に向けた。
光の中に、ゆっくりと一人の老人が姿を現した。
簡素な、しかし糊のきいた白衣と袴。その恰好から神職だと思われる。
年の頃は六十か、七十か。白髪を後ろで束ね、その目は懐中電灯の眩しい光を浴びているというのに細められることすらなかった。
老人は俺たち三人と、そして、俺の醜い姿を、まるで最初から全てを知っていたかのように、静かに見つめている。
「……あんたは?」
黒田が警戒を解かずに問いかけた。
「わしはこの土地の神に仕える者。雨宮という」
神主を名乗る雨宮は俺の足元に落ちた腐りかけた床板を見つめた。
「……やはり、間に合わなかったか。怨念の蓋が開いてしまった」
「……どういう意味だ。あんたはこの家のことを知っているのか?」
黒田が続ける。
「知っていたとも。ここは蒼月の家だ。そして、この舟倉という土地は……」
雨宮は俺に向かって一歩近づいた。
不思議と、この男からは薬剤師や通行人が示したような嫌悪が感じられなかった。
「……あんたのその症状……。目と、その皮膚の爛れ。それはあんたの中で、二つの呪いが混じり合っている証拠だ」
「二つ……?」
俺は思わず聞き返していた。
「……どういうことだ? これはcalm……蒼月凪の呪いでは……?」
「半分は、な」
雨宮は廃屋の奥を指さした。
「この舟倉という土地は古くから穢れを捨てる場所だった。疫病、飢饉、海で死んだ者たちの怨念。それら全てをこの入り江に封じ、海に流してきた。……『壊貌病』と、あんたたちは呼んだかな。それはこの土地に溜まった古い風土病……いや、呪いそのものの症状だ」
俺たちは息を飲んだ。
茜が新種の病気と呼んだものは、この土地の古い怨念が引き起こす、風土病のような呪いだったという。
「それが、蒼月凪とどう関係する?」
黒田が疑念をぶつける。
「蒼月凪……あの子はこの土地の呪いを最も強く受け継ぐ血筋だった。そして、生前、その呪い……皮膚の病に苦しんだ」
皮膚の病を改めて確認するかのように、雨宮は俺の方を見た。
「三年前、彼女は新しい時代の疎外――インターネットとか言うそうだが、それに絶望し、命を絶った。その時、彼女の強い怨念が引き金となり、彼女の苦しみと、この土地の古い呪いが結びついてしまったのだ」
「……!」
「蒼月凪の怨念が、この土地の古い呪いを解き放ち、インターネットという現代の水路に乗せて、日本中に撒き散らした。今、起きているのはそういうことなのだ」
絶望的な真実だった。
俺たちが戦う相手は蒼月凪という一人の怨念だけではなかった。
この土地に何百年も蓄積された、名もなき者たちの怨嗟の集合体そのものだというのだ。
黒田は懐中電灯を下ろし、深く息を吐いた。
「……馬鹿げてる。だが、今、この目の前にいる三上と、あんたの話が、一番、筋が通ってる」
茜も震える声で言った。
「そんな……もしそれが本当なら、どうすれば……」
雨宮は俺たち三人を見回した。
「奇妙な組み合わせだが、ここに引き寄せられたのも何かの縁だろう」
雨宮は俺を指さした。
「……とくにあんたは呪いをその身に受けながら、まだ意識を保っている。呪いに対抗できる何かが、あるのかもしれん」
刑事、医師、神主、そして呪われた元記者。
俺たちはこの日、この瞬間、蒼月凪という死者が作り上げた最悪の舞台の上で手を組むことになった。




