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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第27話 K市へ集う点

 東京、霞が関。警視庁捜査一課。

 黒田は何杯目か分からない、ぬるくなったインスタントコーヒーを啜り、デスクに広げられた報告書の山を睨みつけていた。


 深夜だというのにフロアの蛍光灯は無慈悲に白く、くたびれた刑事たちの顔を照らしている。

 彼のデスクの上はもはやM大学の学生二名の資料だけではなかった。


 北海道、札幌市。十八歳、男子高校生。自宅マンションから飛び降り。

 大阪府、吹田市。二十歳、女子大学生。アパートから飛び降り。

 福岡県、福岡市。十九歳、専門学校生。校舎の屋上から飛び降り。


 ここ数日で全国から上がってきた同様の不審な飛び降り自殺の報告書。

 その数はすでに数十件に達していた。


「……どういうことだ」


 黒田は低く(うな)った。

 すべての現場で共通の状況が確認されている。

 被害者は全員、十代から二十代の若者。

 全員が死の数日前から「目が痛い」「光が怖い」と訴え、自室に引きこもっていた。

 そして、全員のPCやスマートフォンから、あのサイト……『BlueLull(ブルー・ラル)』の閲覧履歴が検出された。


 黒田の立てた「三上悟=自殺教唆の教祖」という見立ては、この全国的な拡散を前に完全に崩れ去っていた。

 三上一人が、この短期間で、これだけの人間を同時に扇動することなど物理的に不可能だ。

 では、三上は?

 数日前、三上のアパートを見張らせていた部下から、拍子抜けするような報告が上がってきた。「三上はアパートの裏窓から、人目を避けるように脱出。そのまま行方を(くら)ませた」と。

 教祖が逃げた?

 いや、あの三上の姿はどう見ても教祖ではなかった。

 むしろ何かに怯え、追い詰められた……そう、犠牲者の顔だった。


「……クソッ」


 黒田はタバコに火をつけた。

 三上があの規制線の前で叫んでいた言葉が耳の奥で蘇る。


『呪いだ! 二人ともcalm(カーム)のサイトを見たんだ!』


 呪い。

 ベテラン刑事としてのプライドが、その非科学的な言葉を拒絶する。

 だが現実に起きている、この説明不可能な現象を前に、プライドなど何の役にも立たなかった。 これは従来の事件ではない。

 これはウイルスのように目に見えない何かが日本全土に広がっていく災厄だ。

 黒田は三上のアパートから押収された、一枚のメモを睨んだ。

 『calm=nagi=蒼月凪?』

 そして、三上自身が失踪直前にPCで検索していたキーワード。『蒼月凪 死亡』『蒼月凪 神奈川県 K市』


 震源地はそこだ。

 黒田は決断した。これはもう、霞が関のデスクで報告書を待つ捜査ではない。

 自分の目で大元の現象を確かめに行く戦争だ。

 黒田は有給休暇の申請書をデスクに叩きつけると、くたびれたトレンチコートを羽織り、誰にも告げず、警視庁を後にした。


 目的地はK市。


 ***


 K大学病院。

 高嶋茜は自分のPCの前で唇を噛み締めていた。モニターには一通の死亡診断書が表示されている。

 患者名、相田真奈。十七歳。

 数日前、茜の眼科外来を訪れ、「光が痛い」「黒い染みが」と泣きじゃくっていた、あの女子高生だった。

 彼女は昨日、自宅アパートの五階から飛び降りた。

 眼科で「異常なし」と診断され、皮膚科で「原因不明の湿疹」と診断され……そして、誰にも救われないまま死んだ。


「……!」


 茜はデスクを強く叩いた。

 院内の倫理委員会は茜のレポートを科学的根拠に乏しいと保留にした。


「集団ヒステリーの可能性が高い患者に医師側が過剰に反応すればパニックを助長する」

「病院の評判に傷がつく」


 彼らが組織の体面と科学という名の権威を守っている間に患者は死んだのだ。

 ヒステリーが人を殺すのか。

 ヒステリーが顔の皮膚をあそこまで醜く爛れさせるのか。


 茜はもはや組織の許可を待つことをやめた。

 これは医師として、一人の人間として、見過ごすわけにはいかない。

 彼女は病院のネットワークではなく、私物のスマートフォンを使い、calm(カーム)、そして『BlueLull(ブルー・ラル)』の調査を独自に再開していた。

 医学論文や症例報告を検索しても何も出てこない。

 ならば、と、茜は暗いネットの海へ潜った。

 古いアートフォーラム。

 『nagi』というハンドルネーム。

 『光が苦手』『蒼い月』という、キーワード。

 そして、地方新聞の三年前の訃報記事にたどり着いた。


『蒼月凪さん(当時十九歳)が市内の自宅で死亡しているのが発見された』『K市在住』


「……死んでいる……?」


 茜は絶句した。

 トリガーとなっているサイトの作者は故人。

 これは医学ではない。公衆衛生でもない。

 だとしたら、一体……?


 茜の脳裏にあの相田という少女が診察室で漏らした言葉が蘇る。


『だって、あのアートサイト見てから、みんな変なんだもん……』


 彼女の苦しみを「異常なし」の一言で片付けたのはこの私だ。

 私にも彼女を殺した責任の一端がある。


 茜は立ち上がった。

 机上の『集団心因性視覚障害』と題したレポートを掴み、それを真っ二つに引き裂いた。病名など、どうでもいい。

 今、起きているのは、情報が、あるいは感情が、人を死に至らしめているという厳然たる事実。


 発生源を叩かなければならない。


 彼女は病院長室に一枚の書類を提出した。『公衆衛生の現地調査』という名目での長期休暇届。

 上司の制止を振り切り、茜もまた、白衣を脱ぎ捨て、コートを羽織った。


 ***


 K市。

 静かな潮の匂いがする寂れた港町。

 この小さな街に今、三つの視点が集おうとしていた。

 すでに闇の中で呪いと一体化しつつある、元記者。

 法と現実の狭間で苦悩する、刑事。

 科学と罪悪感の間で揺れる、医師。

 彼らはまだ、お互いの存在を知らない。

 ただ、蒼月凪という、三年前の死者の怨念に引き寄せられるように、その運命をK市で交差させようとしていた。

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