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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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24/55

第24話 パニックの兆候

 週明けの月曜日。

 駅の売店に並んだ週刊誌の吊り広告が、黒と赤の毒々しい見出しで恐怖を煽り立てていた。


『現代の奇病か! 謎の「壊貌病(かいぼうびょう)」首都圏で蔓延!』

『失明、幻聴、そして皮膚が爛れる……呪いのサイト「calm」の正体!』

『専門家「新種のウイルスか? 大規模集団ヒステリーの可能性」』


 それはもはや、オカルト雑誌『深淵』や、匿名のネット掲示板だけで囁かれる都市伝説ではなくなっていた。

 火は一気に燃え広がったのだ。

 健太が死んだあの日、そして、ゲーム配信者が面白半分で撒いた火種は週末を挟んで、日本中の若者たちのスマートフォンを焼き尽くしていた。

 テレビのワイドショーも、このネタに飛びついていた。

 司会者が深刻ぶった顔で切り出す。


「さて、今日はネットを中心に急速に広がっている、この不気味な噂についてです。calmという謎のWEBサイトを見た若者が、次々と原因不明の視覚障害や皮膚の異常を訴えているというんですが……ひどいものになると、このように顔が醜くただれてしまうと。これは一体、何なのでしょうか」


 コメンテーターの元官僚が眼鏡を押し上げながら断言する。


「馬鹿馬鹿しい。集団ヒステリーですよ。昔流行った『コックリさん』と同じです。誰かが『目が痛い』と言えば、自分もそう思い込んでしまう。特に現代の若者はSNSで繋がりすぎていますから、こういう負の同調圧力がかかりやすい」


 すると、対談相手の医師が難しい顔で反論した。


「しかし、現実に私の病院にも、器質的な異常がないにも関わらず、強い羞明(しゅうめい)や視界の欠損を訴える患者が急増しています。ヒステリーで片付けるには症状が画一的すぎます。私は何らかの未知の神経毒、あるいはウイルス性の疾患も疑うべきだと考えます」


 パニックとはこうして作られる。

 誰も真相を知らないまま、憶測と不安だけが電波に乗って拡散していく。

 そして、そのテレビの光もまた、呪われた者たちにとっては耐え難い苦痛でしかなかった。


 K市の安宿『みなと屋』。

 ガムテープで目張りした暗闇の部屋で、俺はそのパニックの中心にいながら、社会から完全に切り離されていた。

 腕が痒い。背中が熱い。顔が引きつる。

 昨夜、右腕だけだったはずの発疹は悪夢が一晩で現実を侵食するように、俺の全身に広がっていた。

 もう、服で隠せる範囲を超えている。

 何より最悪なのは、それが顔にまで達していることだった。

 手探りで頬に触れると、米粒大の硬い隆起が、いくつも確かにそこにあった。


「……クソッ……!」


 俺はうめき声を漏らした。

 このままでは俺もテレビで報じられている壊貌病(かいぼうびょう)の患者そのものだ。

 だが、俺には病院に行くという選択肢はない。

 黒田に捕まるか、あるいは「異常なし」と診断されて精神科に送られるか。どちらにせよ終わりだ。

 そんな折、食料が尽きかけていた。

 そして軟膏もだ。気休めにしかならないと分かっていても、塗らなければ、この灼けるような痒みと痛みに発狂してしまいそうだった。


 行くしかない。

 俺は日が完全に落ち、街が夜の闇に包まれるのを待った。


 ***


 午後七時。

 俺はリュックを背負い、サングラスをかけ、フードを深く被った。

 ボロボロのスウェットの上から、着られるだけの服を羽織り、ただれた皮膚を隠す。

 異様な姿だった。まるで映画に出てくる、終末世界を生き延びた生存者だ。


 宿の老婆は俺が帳場に鍵を置く音を聞いても、薄暗い奥の部屋から出てはこなかった。


「少し、外出してくる」


 俺はそれだけつぶやいて外に出た。


 冬の夜の空気は肌を刺すように冷たかったが、光がないだけ、朝より遥かにマシだった。

 だが、それでも。


「……ッ!」


 駅前の商店街から漏れるコンビニや街灯の光。

 それらが、サングラス越しでも俺の網膜を無慈悲に焼いた。

 俺はうつむき、壁を伝うようにしてドラッグストアに向かった。


 店は開いていた。幸い、夜のこの時間、客はまばらだった。

 俺は一番強いステロイド軟膏と、ガーゼ、包帯、そして水とカロリーバーをほとんど見えない目で手探りするように掴み、レジへ向かった。


「……これで」


 若い女性の薬剤師が俺の姿を見て、一瞬、体を強張らせた。


「……はい」


 彼女は俺の顔を直視しないようにしながら、商品をスキャンしていく。

 俺が財布から小銭を出そうと手袋を外した、その時だった。


「……ひっ」


 薬剤師が小さな悲鳴を上げた。


 俺の手の甲。そこにも発疹は広がり、一部は潰れて赤黒くただれていた。


「お客様……!」


 彼女の声は恐怖と嫌悪に震えていた。


「……その手、どうされたんですか? ……ひょっとして、それ……」


 彼女の視線がテレビで見た「壊貌病(かいぼうびょう)」と俺の手を結びつけているのが痛いほど分かった。


「……なんでもない。ただの火傷だ」


「で、でも、その軟膏はそんな症状には……! すぐに病院に……!」


「いいから、会計しろ!」


 俺は荒い声を上げた。


 その声に驚き、薬剤師は震える手で釣銭をトレーに叩きつけるように置いた。

 俺は商品と釣銭をひったくるように掴むと店を飛び出した。

 すれ違いざま、仕事帰りらしいサラリーマンの男が、俺の姿を見て露骨に舌打ちをした。


「……なんだよ、あのバケモノ……」


 宿への帰り道。

 俺はフードをさらに深く被り、早足で歩いた。

 すれ違う数少ない人々が、俺を避けていくのが分かる。

 もう、俺は人間の側にはいられない。

 俺は彼らにとって呪いそのものだった。


『……ほらね』


 頭の中で呪いの声がした。


 それは昨日までの俺の弱さにつけ込む声とは違っていた。

 ただ、深い、深い諦念と共感を込めた声だった。


『誰も、あなたを見ない』

『醜いから。怖いから』

『それが、わたしが生きてきた世界』

『ようこそ、三上さん』


 俺は宿の暗闇の部屋に転がり込むと鍵をかけ、その場に崩れ落ちた。

 光への恐怖。皮膚の痛みと痒み。そして社会からの完全な拒絶。

 俺の孤立は完成した。


 ***


 同じ頃、警視庁。

 黒田は自分のデスクで、湯気の立つコーヒーを睨みつけていた。

 彼の前には全国の所轄からファックスで送られてきた、不審死の報告書の山ができていた。


 北海道、札幌市。十八歳、男子高校生。自宅マンションから飛び降り。

 大阪府、吹田市。二十歳、女子大学生。アパートから飛び降り。

 福岡県、福岡市。十九歳、専門学校生。校舎の屋上から飛び降り。


 死者の数はこの二日間で、すでに十人を超えていた。

 そして、すべての現場で共通の物証が上がっていた。

 『BlueLull(ブルー・ラル)』の閲覧履歴。

 『calm(カーム)』という単語。

 そして遺族や友人の証言。


『最近、目が痛いと言っていた』

『光を怖がり、部屋に閉じこもっていた』


「……どういうことだ」


 黒田は低く(うな)った。


 M大学の事件。あれは三上悟というオカルト記者が教祖となって扇動した、小規模な集団自殺だと思っていた。

 だが、これはどうだ。

 北海道から福岡まで。三上一人が、この短期間で、これだけの人間を教唆することは物理的に不可能だ。

 三上は教祖などではない。

 あいつもまた、この巨大な何かの最初の犠牲者に過ぎなかったのか?

 黒田は三上が叫んでいた言葉を思い出した。


『呪いだ!』


 馬鹿馬鹿しい。

 だが、この、ウイルスのように全国に同時多発する自殺の連鎖を、呪い以外の現実的な言葉で説明できるものが黒田の中にも、もうなかった。

 これは三上悟一人を捕らえれば終わる事件ではない。

 もっと巨大な、得体の知れない現象そのものなのだと、この老刑事はようやく認めざるを得なくなっていた。

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