第23話 醜貌
K市の安宿『みなと屋』の光を遮断した四畳半。
俺は布団の中で、うめいていた。
もはや、目の痛みだけではなかった。
右腕全体が燃えるように熱く、そして耐え難いほど痒い。
昨日、公園のベンチで無意識に掻きむしったせいか、症状は急速に悪化していた。
俺は手探りでスマートフォンのライトをつけ、光量を最低に絞って、自分の右腕を照らした。
「……ひっ……」
息を呑む音が暗闇に響いた。
そこにあったのはもはや人間の腕ではなかった。
肘から手首にかけて、おびただしい数の赤い発疹が密集し、小さな水疱となって黄色い膿を持っていた。そして、いくつかはすでに潰れて、赤黒い粘液をにじませている。
掻き壊した皮膚はただれてめくれ上がり、まるで火傷の痕のようだった。
健常な皮膚の色はもうほとんど残っていない。
さらに、その異常は右腕だけにとどまらず、左腕にも、腹部や胸元にも、飛び火するように広がり始めていた。
「……なんだよ、これ……なんなんだよ!」
俺は恐怖と混乱で叫びそうになるのを必死でこらえた。
健太はこんなことにはならなかった。
ただ「飛び降りた」だけだったはずだ。
なぜ俺だけが?
これは呪いのバージョン違いか?
それとも俺が核心に近づきすぎたことへの罰なのか?
『……痛そうだね』
声がした。呪いの声だ。
暗闇の中、それは同情するような、しかしどこか嘲笑うような響きを帯びていた。
「……黙れ」
『光だけじゃない。見た目も醜くなる。……わたしと同じように』
「お前と……同じ……?」
『誰も、わたしを見てくれなかった。みんな、わたしの醜い皮膚だけを見て笑った』
声は淡々と、しかし深い怨念を込めて語り続ける。
『だから教えてあげる。見られることの痛みと恐怖を』
そうか。
これはきっと、蒼月凪が生前苦しんでいた症状なのだろう。
呪いは、ただ光を奪うだけでは飽き足らず、自分が受けた最大の苦しみを俺に追体験させようとしている。
光への恐怖と、この醜い皮膚の二重の呪い。
俺はあまりの悪意に吐き気を催した。
痒い。痛い。熱い。
そして何より、怖い。
このまま全身が腐っていくのか。
俺は慌ててリュックを探り、昨日薬局で買った、一番強いステロイド系の軟膏を取り出した。
光のない中で、手探りでチューブを絞り出し、ただれた腕に塗りたくる。
ひんやりとした感触が、一瞬だけ灼けるような熱さを和らげてくれた。
だが、すぐに耐え難い痒みがぶり返してくる。
薬など気休めにもならない。これは病気ではないのだから。
俺は布団に顔を埋め、ただ嵐が過ぎ去るのを待つように耐えるしかなかった。
調査どころではない。
このままでは俺は蒼月凪の情報を得る前に、この宿の一室で腐り果てて死ぬ。
その頃、K市のK大学病院の眼科医局。
高嶋茜はモニターの前で腕を組んでいた。目の下には濃い隈ができている。
彼女がまとめた緊急レポート『WEBサイト閲覧に起因すると思われる集団心因性視覚障害の発生について』は、院内の倫理委員会で「時期尚早」「科学的根拠に乏しい」として保留扱いとなっていた。
上層部は、この奇妙な病が自分たちの病院から発生したスキャンダルになることを恐れていたのだ。
だが、茜の懸念は日増しに強まっていた。
「異常なし」と診断されたはずの若者たちが今度は皮膚科を受診し始めているという情報が入ってきたからだ。
「……高嶋先生」
ノックと共に皮膚科の若手医師が心配そうな顔で医局に入ってきた。
「例の件ですが……やはり、増えています。原因不明の湿疹、あるいは接触性皮膚炎のような症状なんですが、ステロイドも抗ヒスタミン剤も、ほとんど効果がないんです。しかも進行が異常に速いケースもあって……特に顔面に症状が出た患者さんは……」
若手医師は言葉を濁した。
彼が見せてくれたタブレットには匿名化された患者の写真が表示されていた。
茜は息を呑んだ。
それはもはや湿疹と呼べるようなものではなかった。
顔全体が赤黒く腫れ上がり、皮膚は爛れ、黄色い膿が滲み出ている。
痛々しいというより、おぞましいと形容すべき状態だった。
「……この患者さん、先日、先生のところで『異常なし』と診断された相田さん、ですよね?」
「ええ……。まさか、こんな短期間で……」
相田という女子高生。
茜がcalmというキーワードを得るきっかけとなった患者だ。
彼女もまた、この未知の皮膚症状を発症していた。
「先生、これはもう、ただのストレスやヒステリーじゃないかもしれません」
若手医師は声を潜めて言った。
「実は眼科を受診した患者さんの中に皮膚症状も併発している人が他にも複数いるんです。そして、彼らに共通しているのは……例の『アートサイト』を見た、ということです」
茜は確信した。
目と皮膚。二つの症状は明らかに繋がっている。
そして、そのトリガーはcalmのサイト。
「……院内で眼科と皮膚科の合同カンファレンスを開きましょう。すぐに」
茜は決断した。
「それと同時に他の大学病院や感染症研究所にも、情報提供と照会をかけます。これはもう私たちの病院だけの問題じゃない」
上層部の意向など気にしている場合ではない。医師としての使命感が彼女を突き動かしていた。
これは未知の感染症か、あるいはもっと別の……。
茜は自分のPCで、再びcalmについて検索を始めた。
その時、茜の目に、ある匿名掲示板のスレッドが飛び込んできた。
スレッドタイトルは『【呪い】calmの呪い、ガチでヤバい奴Part3【失明注意】』。
書き込みをいくつか拾い読みする。
『>>345マジレスすると、目だけじゃないぞ。俺、腕にブツブツ出てきた』
『>>348それな。俺も顔ヤバい。写真うpしたいけど、グロすぎて無理』
『>>350これ、皮膚にも来るってこと? 失明だけでも怖いのに……』
『>>352感染するってマジ? 俺、見た奴と昨日会っちゃったんだけど……』
『>>355皮膚症状出た奴、ソース出せよ。どうせ釣りだろ』
やはりネット上でも、すでに噂が広がり始めていた。
目の異常だけでなく、皮膚症状もまた「calmの呪い」の一部として認識されつつあった。
釣りだと疑う声もあるが、その数は急速に増えている。
不安が、恐怖が、ネットを通じて増殖していく。
茜はこの現象が、もはや医学だけの問題ではないことを予感し始めていた。




