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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第21話 K市

 電車の揺れが鈍い痛みのように全身に響いた。

 俺は車両の連結部に近い優先席の隅で、まるで犯罪者のように身を縮こませていた。

 サングラス越しでも車内の蛍光灯の光は拷問だった。

 目を開けているだけで、視神経が焼き切れるような激痛。

 それよりも辛いのは音だった。

 車輪が線路を擦る甲高い音。

 乗客たちの無遠慮な話し声。

 それら全てが普段より何倍も増幅され、俺の脳を直接揺さぶる。


(……まだか)


 神保町のアパートを脱出してから二時間が経過していた。

 黒田の監視を撒けたかどうかも分からない。

 ただ、俺は呪いが聞かせた声――『K市に来て』という命令に従い、南へ向かう電車に乗り込んだ。

 右目の視界はもうほとんど闇だった。左目も、中心を除いて黒い染みが広がっている。

 このままではK市に到着する前に完全に視力を失うかもしれない。

 その恐怖が俺を支配していた。


『……もうすぐ……』


 頭の中で声が囁いた。呪いの声だ。

 俺がK市へ向かうことを決意してから、それは道案内のように時折、言葉を投げかけてくるようになった。


「……黙れ」


 俺は誰にも聞こえないようにつぶやいた。

 やがて、電車の速度が落ち、ブレーキ音が響いた。


『まもなくー、Kー、Kー』


 車内アナウンスが俺の目的地の名を告げた。

 重い体を引きずり、俺はホームに降り立った。

 薄曇りではあったが、それは容赦なく俺の目を焼いた。


「ぐ……ッ!」


 俺はうずくまりそうになるのを堪え、壁伝いに改札へと向かった。

 サングラス越しでも、世界は白く飛んで見える。

 駅の構造も、人の流れも、半分くらいしか認識できない。


 K市。

 想像していたよりも寂れた港町だった。

 駅前ロータリーには古い商店街へと続くアーケードが口を開けていたが、人影はまばらだ。

 潮の匂いが鼻をつく。

 あの日、呪いの絵を見た瞬間に感じた、あの匂いと同じだった。


 俺はまず、拠点となる安宿を探すことにした。

 目の前にある観光案内所は便利そうではあったが、もし黒田が手を回していれば、俺の顔は割れているかもしれない。そんなことを考え、できるだけ人目を避けるように歩いた。

 俺は目の痛みに耐えながらも、スマートフォンの地図アプリを頼りに、駅から少し離れた古い旅館や民宿が立ち並ぶ一角へと向かった。


 何軒かは断られた。

 サングラスをかけた挙動不審な男は泊めたくないのだろう。そう思わせるような口ぶりだった。

 陽が傾き始め、焦りが募る。

 ようやく見つけたのは港に近い路地裏にひっそりと佇む『みなと屋』という看板を掲げた木造二階建ての古い建物だった。

 帳場にいたのは(しわ)だらけの老婆が一人だけだった。


「……泊まれますか」


 声を絞り出すと、老婆は俺の顔をじろりと一瞥し、やがて小さくうなずいた。


「……素泊まりで三千円。前金だよ」


 俺は財布から千円札を三枚取り出した。


 通された部屋は二階の一番奥の四畳半だった。窓からは隣の建物の壁しか見えない。

 薄暗く、カビと潮の匂いが混じった部屋。

 俺にとってはそれが救いだった。

 俺は礼も言わず部屋に入ると、すぐに障子と襖を閉め切り、さらに持ってきたガムテープで隙間を目張りした。

 東京のアパートと同じ完全な暗闇。

 ようやく俺は息をつくことができた。


 疲労が一気に押し寄せ、俺は布団に倒れ込んだ。


(調査は明日からだ)


 まずはこの目と体を休ませなければ。

 だが、眠れない。

 暗闇の中で視界の大部分を占めるようになった黒い染みが、まるで生きているかのように脈打っている。


『……おつかれさま』


 声がした。呪いの声だ。労うような穏やかな響き。


「……黙れ」


 俺はうわごとのようにつぶやいた。


 ***


 その夜。

 東京では有名なゲーム配信者が、数万人の視聴者を前に冗談めかして叫んでいた。


「はい、どうもー! 今日はネットで噂の呪いのサイト、『BlueLull(ブルー・ラル)』に凸ってみたいと思いまーす!(笑)」


 彼のチャンネルを見ている若者たちはその言葉に熱狂し、コメント欄は凄まじい勢いで流れていく。

 その配信の裏で、『BlueLull(ブルー・ラル)』へのアクセス数が指数関数的に跳ね上がっていることに、まだ誰も気づいていなかった。


 俺はK市の安宿の暗闇の中で、無意識に自分の右腕を掻いていた。

 服の下で何かが痒い。

 汗疹(あせも)か、あるいは蚊にでも食われたか。

 俺は袖を捲り上げ、手探りで腕を触った。

 そこには小さな、しかし確かな感触があった。

 米粒ほどの大きさの硬い隆起。

 発疹だ。赤い発疹が、一つ。俺の腕に確かに浮かび上がっていた。

 疲れか、アレルギーか。

 俺はその時、まだ気にも留めていなかった。

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