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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第18話 侵食する日常

 翌朝、俺、三上悟は地獄のような頭痛で目を覚ました。


「……ッ!」 


 声にならないうめきが漏れた。

 こめかみの奥で太い鉄の杭を力任せに打ち込まれ続けるような、鈍く、しかし猛烈な痛み。

 それだけではなかった。

 俺はアパートの薄いカーテンの隙間から差し込む冬の弱い朝日を浴びていた。

 いつもなら、もっと寝ていたいと感じるだけの、ただの光。

 だが、今の俺にとって、それは暴力だった。

 目を閉じていても、瞼の裏が焼けるように痛い。


 俺はベッドから転がり落ち、四つん這いになって、光の届かない部屋の隅へ逃れた。

 健太が叫んでいた言葉が、そのまま自分の口から漏れ出た。


「……痛い……ひかりが、いたい……ッ!」


 もう、気のせいではない。昨夜の錯乱でも、暗闇に目が慣れた反動でもない。

 俺の肉体は確実に変質を始めていた。


 俺は壁を伝いながら洗面所へ向かった。

 電気はつけない。

 廊下の小さな窓から漏れる光だけで鏡の前に立つ。

 ひどい顔だった。

 一睡もしていない目は充血し、頬はこけ、まるで三日前の健太をなぞっているかのようだ。

 俺は右目に意識を集中させた。

 そこにあった。

 昨夜、俺の視界を侵食し始めた、あの小さな染み。

 白い鏡を背景にしても、それは消えていなかった。

 それどころか、昨夜よりもわずかに、その輪郭を広げているようにさえ思えた。

 インクの染みは俺の視界に確かに根を下ろしていた。


 俺は呪われた。その事実を腹の底から受け入れるしかなかった。


 俺はアパートの押し入れから、ガムテープと、溜め込んでいた古い新聞紙を引っ張り出した。

 健太がアパートで何をしていたか、俺はもう理解している。

 やらなければならないことは決まっていた。

 俺は窓枠の隙間に新聞紙を詰め、その上からガムテープで目張りをした。

 アルミサッシの隙間という隙間を光が一筋も漏れないよう、執拗に塞いでいく。

 玄関のドアポストも、郵便受けも、換気扇の小さな明かり取りさえも、すべて塞いだ。

 数十分後、俺の六畳一間は真昼間だというのに、健太の部屋と同じ完全な暗闇に包まれた。


 皮肉なものだ。

 オカルト記者として散々、呪いを「ネタ」にしてきた俺が、今や、その呪いから逃れるために、自ら光を捨てている。

 俺は健太が体験した恐怖を今、追体験しているのだろう。


『あんたが臆病者だから、見えないだけだ』


 健太の最後の言葉が暗闇の中で蘇る。

 俺はあいつを救えなかった。それどころか、あいつを病気だと突き放した。

 その罰がこれだった。


 だが俺は健太とは違う。

 俺は呪いに共感するためにここにいるのではない。

 こいつを暴き、止めるためにいる。

 俺はノートPCを開いた。

 モニターの輝度はすでに最低レベルに設定してある。

 それでも、暗闇に慣れた目には突き刺すような苦痛が走った。


「……ぐッ!」


 俺は目を細め、涙を流しながら画面にしがみついた。

 俺の命のタイマーはもう作動している。

 健太の七日間か、高橋由紀の一日か。どちらにせよ時間はない。

 視界が完全に奪われる前に、やるべきことをやる。


 検索窓に昨日突き止めた情報を叩き込む。

 『蒼月凪』『神奈川県』『K市』。

 K市。神奈川県の海沿いにある、古くからの港町。都心からのアクセスは悪くないが、大規模な開発から取り残された、寂れた観光地。

 俺はK市のローカルな情報をネットの地図サービスと、個人のブログ記事から拾い集めた。

 訃報記事にあった『市内在住』という情報だけでは蒼月凪の家までは特定できない。

 だが、あいつがnagiと名乗っていたフォーラムにヒントがあった。


 『神奈川の海は夜が一番青い』

 『光が苦手』


 あいつは海を見ていた。そして、光を嫌っていた。


 俺はK市の地図上で、海岸線に沿って、古い住宅街を探した。

 その時だった。


 ブウウウウ、ブウウウウ。


 暗闇の中で俺のスマートフォンがテーブルの上で震えた。

 着信だ。

 画面が発光し、俺の目を再び激痛が襲う。


「……ッ!」


 俺はディスプレイを見ないように、手探りで通話ボタンをスライドさせた。

 知らない番号だった。


「……もしもし」


 低い、分厚い声が聞こえた。黒田刑事だった。


「よう、教祖様。おとなしく、お祈りでもしてるか?」


 神経を逆撫でする粘ついた声。


「……何の用だ」


「別にな。あんたの身柄が心配でな。あんたがそそのかした学生が、また一人、昨日死んだ。M大学の佐藤って男だ。これで三人目だ」


「……!」


 佐藤。民研の名簿にあった名前だ。

 高橋由紀が死んだ、その翌日。

 呪いの速度はやはり健太とは比較にならないほど速い。

 残りは50人。


「俺のせいじゃねえ! 呪いだ!」


「まだそんなこと言ってんのか」


 黒田は心底呆れたように言った。


「あんたが次に接触するのはどこのどいつだ? 言っとくが、あんたのアパート、張ってるからな。一歩でも外に出たら、即、任意同行だ。せいぜい暗い部屋で反省してろ。……ああ、それと」


 黒田は何かを思い出したように続けた。


「あんたが騒いでいた、『BlueLull(ブルー・ラル)』とやらだがな。解析が調べたが、ただの古いアートサイトだ。サーバーは海外。悪質なコードも、ウイルスも検出されなかった。……ただの絵だよ。あんたが、ただの絵で学生どもを三人、死に追いやったんだ」


 ガチャン、と一方的に電話は切れた。

 俺は暗闇の中で、スマートフォンを握りしめたまま動けなかった。

 張られている。

 アパートの出入り口は黒田の部下に見張られている。

 俺はこの暗闇の部屋に物理的に閉じ込められた。

 呪いによって光を奪われ、警察によって出口を奪われた。


 絶望的な状況だった。

 俺は手探りで洗面所から持ってきた手鏡を掴んだ。

 そして、痛みをこらえながら、PCモニターの一番暗い光で、自分の右目を照らした。

 視界の隅の黒い染み。

 それは、今朝よりも明らかにその面積を広げていた。

 もはや点ではない。染みが、じわりじわりと俺の視界を内側に向かって侵食し始めていた。


「……クソッ!」


 俺は鏡を床に叩きつけた。

 時間がない。

 黒田の監視をかいくぐり、このアパートを脱出しなければならない。

 そして、蒼月凪の故郷、K市へ。

 俺はPCの光の痛みに耐えながら、K市の地図を再び睨みつけた。

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