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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第16話 時限爆弾の誤差

 俺はアパートの万年床の上で、ノートPCの青白い光を浴び続けていた。

 画面には神奈川県の地方新聞社が報じた、三年前の小さな訃報記事が映し出されている。


『蒼月凪……病死または自殺と見て調査』


 死んでいた。

 俺が追っていたcalm(カーム)という呪いの送り主は人間ですらなかった。

 三年前の死者の怨念。

 健太が死に、高橋由紀という女子学生が死んだ。

 しかも、その犯人はこの世にいない。

 警察は自殺教唆犯という生きている人間を追っている。

 黒田刑事はその最有力容疑者として俺をマークしている。

 あまりにも、話が噛み合っていなかった。


「……クソッ」


 乾いた唇から砂のような声が漏れた。


 どうやって死人と戦う? どうやって怨念を逮捕する?


 オカルト雑誌の記者として散々、呪いという言葉を弄んできた。

 だが本物の人が死ぬ呪いを前に、俺は無力であることを痛感した。

 しかし、あきらめるわけにはいかない。何か、ほんの少しでも手がかりはないものかと、俺は健太が死の間際に叫んだ言葉を反芻していた。


『凪さんが呼んでる!』

『凪さんだけが俺を「見て」くれてるんだ!』


 あの時、健太は狂っていたのではなかった。

 いや、狂ってはいたが、同時に健太だけが受信していたのかもしれない。

 俺には見えない怨念の姿を。

 俺には聞こえない死者の声を。

 健太が突き止めた『蒼月凪』という名前。

 あれはあいつの民俗学の知識によるプロファイリングなどではない。

 呪いそのものが健太に名乗ったのだ。


 健太は呪いの犠牲者であると同時に、最初の交信者でもあった。

 そして、その交信の果てに、あいつは「あちら側」に渡ってしまった。

 俺は健太が残した最後の遺産を睨みつけた。

 M大学の部室から盗み撮りした、民俗学研究会の名簿。

 総数58名。健太がリンクを送ったのが53件。

 ほぼ全員だ。

 死者は健太と高橋由紀の二人。残りは、51人。


 健太があの絵を見たと思われる日から、飛び降りるまで七日間だった。

 高橋由紀が健太からリンクを受け取ったのは健太が死んだ日だとして、彼女が死んだのはその翌日。

 ……待て。

 俺は思考の矛盾に気づき、頭を掻きむしった。


 おかしい。

 健太は七日間かかった。

 会社に出てこなくなり、暗い部屋に閉じこもり、錯乱して自殺に至るまで、七日間かけて、あいつは「あちら側」に引きずり込まれていった。

 だが、高橋由紀は?

 健太のサークルの学生が言っていた。


『リンクが貼られた直後に「目がチカチカする」と返信し、その翌日には死んでいた』。


 呪いのプロセスが、たった一日か二日で完了している。


 なぜだ?

 健太と高橋由紀で何が違う?

 健太は民俗学徒として、オカルト記者見習いとして、中途半端に知識があった。

 だから、呪いに抵抗したのか?

 医者に行き、俺に助けを求めようとし、光から逃れた。

 その七日間は呪いとの闘病期間だったのか?

 それに比べ、高橋由紀は?

 彼女はただの「ごっこ遊び」のつもりで、健太が送ってきたリンクを気軽にクリックした。

 その瞬間、抵抗する間もなく、呪いに精神を乗っ取られた?


(だとしたら、マズい)


 俺の見立てたタイムリミットは何の根拠にもならない。

 健太が特別だっただけだ。

 残りの51人は今夜にも、明日にも、高橋由紀と同じように何の前触れもなく、窓から踏み出すかもしれない。

 これは時限爆弾などではない。すでに爆発が始まっている、クラスター爆弾だ。


 俺は名簿のリストを上から指でなぞった。

 こいつらに連絡を取らなくてはならない。

 「リンク先を絶対に見るな」と。

 「calm(カーム)のサイトは呪われている」と。


 だが、どうやって?


 俺は今や自殺教唆の容疑者だ。

 俺がこの51人の誰かに接触した瞬間、黒田は俺を逮捕するだろう。

 「次のターゲットに接触しようとしている」と。

 俺が呪いだと叫べば叫ぶほど、俺が教祖に、扇動者に仕立て上げられる。

 俺が動けば呪いの連鎖を止めるどころか、俺自身が犯人にされてしまう。


(クソッ! クソッ!)


 俺は自棄(やけ)になって壁を殴りつけた。古いモルタルの壁がボロリと小さく崩れる。

 健太の死を止められなかった。高橋由紀の死も、間に合わなかった。

 そして今、51人の命が俺の手の届かない場所で風前の灯火となっている。

 黒田刑事が俺を呪いから守ってくれているとでもいうのか?

 笑わせる。

 あいつは呪いが最大の勢いで拡散するための壁になってやがる。


 どうすればいい?

 どうすれば、黒田の監視をかいくぐり、51人に危険を知らせられる?

 いや無理だ。俺にはもう手段がない。

 警察からも、編集部からも、社会から切り離された俺一人では51人もの人間を見えない呪いから守ることなど、土台無理な話だった。


 俺は自分のノートPCの画面に視線を戻した。

 ブラウザのタブには三年前の『蒼月凪』の訃報記事と、健太が掘り当てたアートフォーラムの『nagi』の投稿、そして、俺がブックマークしたまま開いていない、あのサイトが並んでいた。『BlueLull(ブルー・ラル)


 外部から、51人を救う手立てがない。

 警察も、同僚も、誰も呪いなど本気にしないだろう。

 思案を巡らせ辿り着いた一つの道。それは俺が呪いの内側に入ることだった。

 健太がそうしたように。

 高橋由紀がそうしたように。

 俺自身が、あの絵を見て呪われる。

 健太は呪われた果てに「凪さんが呼んでる」と、死者と交信した。

 あの声を聞かなければ、蒼月凪が何を望み、なぜ三年経った今、人々を殺し始めたのか、その動機が分からない。


 俺はゴクリと唾を飲んだ。

 健太の七日間。高橋の一日。

 俺は何日だ?

 クリックした瞬間、俺の命のタイマーも作動する。

 だが、もう、これしか思いつかなかった。

 俺は震える指をマウスのホイールにかける。

 『BlueLull(ブルー・ラル)』のトップページが、静かに表示された。

 俺はあの暗い海の絵をクリックする覚悟を決めた。

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