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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第14話 医師の視点

 ここは――神保町からも、東高円寺からも離れたT県K市のK大学病院。

 その一角にある眼科の医局は深夜だというのに、まだ煌々と蛍光灯が灯っていた。

 高嶋茜 (たかしま あかね) 三十四歳は熱いインスタントコーヒーの湯気で眼鏡を曇らせながら、PCのモニターに映し出された電子カルテの羅列に深いため息をついた。


「また、これ……」


 茜がマウスでクリックしたのは今日の最後の外来患者だった。十八歳の女子大生のデータだ。


『主訴:視界不良。羞明(しゅうめい) (光が異常に眩しいこと)。視界の隅に黒い染み』


 そして、茜自身が入力した所見の欄。


『所見:器質的異常なし。眼圧正常。眼底写真、OCT (光干渉断層計)ともに極めて良好。視力両目1.5』


 今日だけで三人目だった。全員が十代から二十代前半の若者。全員が同じ症状を訴える。


「光が痛い」

「黒いインクみたいなのが見える」

「どんどん見えなくなっていく気がする」


 そして全員が精密検査の結果『異常なし』。


 今日の最後の患者だった女子大生、相田という少女の顔を思い出す。

 診察室に入ってきた時から、彼女はまるで吸血鬼のように茜の白衣や検査機器の光から顔を背け、泣きじゃくっていた。


「先生! 私の目、見えなくなるんですか!?」


 茜はいつもの冷静な口調でデータを示した。


「落ち着いて、相田さん。あなたの目はとても健康よ。この写真を見て。網膜は教科書に載せたいくらい綺麗だわ」


「でも! 黒いのが! 昨日より大きくなってるんです!」


「それはいわゆる飛蚊症かもしれない。誰にでもある生理的なものよ」


「違います! 違う! だって、友達も……!」


 少女はそこで何かを言いかけて口をつぐんだ。

 茜はその時、こう診断するしかなかった。


『診断:(疑い)』


 医師として「異常なし」の患者に病気だと告げることはできない。だが、茜の中には科学者としての強い違和感が渦巻いていた。

 彼らの訴える痛みや恐怖は本物だった。まるで、車は壊れていないのに『アクセルを踏んでも動かない』と泣き叫ぶドライバーを相手にしているようだった。

 診断ツールが全く役に立っていない。


(集団ヒステリー……?)


 茜はカルテの備考欄にそう打ち込もうとして指を止めた。

 彼女は几帳面な性格だった。

 診断に関係ないと思われる患者の雑談も、後のヒントになるかもしれないと、音声メモやテキストで記録していた。

 気になって、この数日に来院した「異常なし」の若者たちのカルテをもう一度洗い直した。


 一人目。二十一歳、男子大学生。

『備考:徹夜でレポート作成中だったと語る。PC作業が原因か。ただし症状が過剰』


 二人目。十九歳、女子大学生。

『備考:友人とのSNSのやり取り後から急激に症状を訴える。精神的ストレスの可能性高し』


 三人目。十八歳、女子大学生(相田)。

『備考:「友達も……」という、気になる発言があった』


 バラバラだ。

 原因はやはりストレスか、IT機器の酷使か。

 茜はあきらめかけた。しかしその時、心に引っ掛かったあの言葉を思い出し、診察時に録っていた音声メモの再生ボタンを押した。


『――違います! 違う! だって、友達も……!』


 その直後、彼女が小さくつぶやいた言葉がノイズ交じりで拾われていた。


『……だって、あのアートサイトを見てから、みんな変なんだもん……』


(アートサイト?)


 茜は即座に二人目の十九歳のカルテを開いた。彼女の音声メモ。


『……ゲームじゃないんです。えっと、calm(カーム)っていう画家の……すごい綺麗な海の絵なんですけど……それ見てたら、なんか、目が……』


 calm(カーム)。WEBサイト。

 茜の背筋を冷たいものが走った。

 これは偶然か? いや、無関係の患者二人が同じ固有名詞を出した。

 茜はすぐさま病院のネットワークを通じて、外部の検索エンジンを開いた。そして、打ち込んだ。


calm(カーム) 画家 WEBサイト』


 いくつかの検索結果が表示された。その多くはSNSの断片的な書き込みだった。


calm(カーム)の絵、ガチでヤバい』

『#目がチカチカする』

『呪いの絵だって。拡散希望』


(これだ……!)


 茜は確信した。これは伝染する症状だ。

 眼球という物理的な器官の病気ではない。情報を媒介とした精神の病だ。

 WEBサイト閲覧をトリガーとした新種の心因性視覚障害。あるいはインターネットを介した大規模な集団ヒステリー。


(報告しなくては)


 これはもう眼科の一医師が対応できる規模ではない。精神科、あるいは公衆衛生の領域だ。

 茜は目の前の患者を救えないという無力感と、未知の脅威に直面しているという医師としての高揚感が混じり合った、奇妙な感覚に襲われていた。

 彼女は病院の上層部に提出するための緊急レポートの作成を開始した。タイトルはこうだ。


『WEBサイト閲覧に起因すると思われる集団心因性視覚障害の発生について』


 彼女はまだ知らない。

 それが心因性などという生易しいものではなく、また、彼女の病院があるK市だけでなく、今、東京を中心に静かな連鎖が始まっていることを。

 そして、そのレポートが、やがて対抗勢力を繋ぐ、重要な点の一つになることも。

 茜は疲れた目をこすり、ふと、自分のPCモニターを見つめた。


(……少し、眩しいかもしれない)


 彼女はモニターの輝度を一段階、下げた。

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