第13話 刑事の視点
M大学のキャンパスは俺が抱いてきた陰鬱な予想を裏切るかのように快晴の空の下、平和な活気に満ちていた。
ケヤキ並木を笑いながら歩く学生たちの集団。サークルの勧誘ビラを配る派手な髪色の男。芝生の上で弁当を広げるカップル。
佐々木健太が死んで、まだ二日も経っていない。それなのに、ここではあいつの死などまるで存在しなかったかのように日常が回っている。
俺は一睡もしていない疲労困憊の体と、場違いな三十路過ぎの男の焦燥感を隠しもせず、学生たちの群れをかき分けて進んだ。
編集長から「休暇」という名の解雇通告を突きつけられた俺には、もうオカルト雑誌「深淵」の看板はない。ただの無職の男だ。だが、それがどうした。
健太が死の間際に撒いた「53」の呪いの種。その時限爆弾のタイマーは今も動いている。
健太のスケジュール帳にあった『民研』の文字。それだけが、俺の唯一の手がかりだった。
キャンパスマップを頼りに俺は敷地の最も奥まった場所にある、古い学生会館にたどり着いた。
コンクリートが剥き出しになった、昭和の遺物のような建物だ。
薄暗い廊下には無数のサークルの立て看板が雑然と並んでいる。
その一つに手書きの拙い文字で『民俗学研究会(通称:民研)』と書かれた札が掛かっていた。
ここだ。健太が俺の知らない大学生活を送っていた場所。
ドアは拍子抜けするほどあっさりと開いた。カビ臭い古い本の匂いが鼻腔をくすぐる。
部屋は四畳半ほどの狭い空間に天井まで届きそうな古書の山と用途不明の民具――どこかの村から持ってきたであろう藁人形や、不気味な木彫りの面――がひしめき合っていた。
健太のデスクはここと比べれば、ずいぶん、まともだったと思い知らされる。
「……失礼する」
誰もいないことを確認し、俺は部屋に忍び込んだ。
壁一面のコルクボード。そこには合宿の写真や飲み会の告知と並んで、『緊急連絡網』と書かれた一枚の紙が画鋲で留められていた。
高橋、佐藤、鈴木……健太のノートにあった名前が、そこにあった。名前の総数は58。
(53件……ほぼ、ここの全員か!?)
健太はこの仲間たち全員に、あの呪いの招待状を送ったのだろうか。
俺がそのリストをスマートフォンで撮影しようとした、その時だった。
「……あの、どちら様ですか?」
背後から、恐る恐るといった声がかかった。
振り返ると、そこには眼鏡をかけた気弱そうな男子学生が立っていた。手には民俗学の分厚い専門書を抱えている。
マズい。不審者として通報されれば終わりだ。俺は瞬時に、まだ使える肩書を引っ張り出した。
「月刊『深淵』の三上だ。佐々木健太くんの取材の件で約束があってね」
「え……? 『深淵』……」
学生の目がわずかに見開かれた。
オカルト好きの健太の仲間だ。雑誌の名前は知っているらしい。
「あの……佐々木さん、なら……先日……」
学生は気まずそうに目を伏せた。
「……亡くなったって……聞きました。警察からサークルの代表に連絡があって……」
「ああ。知っている。俺はその……健太くんが最後に追っていた『ネタ』について調べているんだ」
俺はできるだけ、ジャーナリストとして、き然と振る舞った。
「あいつが亡くなる直前、サークルのグループチャットか何かにWEBサイトのリンクを送りませんでしたか?」
「あ……!」
学生は明らかに動揺した。
「BlueLull……のことですか? 確かに昨日、健太さんからグループチャットに送られてきました。『これ本物かもしれないんで見てください』って……。ほとんどの奴はただの不気味なアートサイトだって、スルーしてましたけど……」
「スルーしてない奴は!?」
俺は学生の肩を掴みそうになるのを必死でこらえた。
「健太くんと同じように、そのサイトに反応した奴はいないか!?」
「は、反応ですか……?」
学生は俺の剣幕に怯えながらも、必死に記憶を手繰り寄せているようだった。
「……あ。そういえば……高橋が……」
「高橋!」
健太のノートにあった名前だ。
「高橋由紀……俺と同期の女子なんですけど。健太さんのチャットが入った直後に『わ、これ、なんかヤバいかも。目、チカチカする』って、返信してて……」
「……!」
「その後、みんなが『それ暗示だよ』とか『寝不足だろ』って茶化してたら、高橋、急に『ごめん、マジで気分悪いから落ちる』って……。それきり、今日の講義も休んでるんです。LINEしても、既読もつかなくて……」
呪いの第一段階だ。健太と、まったく同じ。
「その高橋って子の住所は!?」
「えっ、住所ですか!? それは個人情報で……」
「健太が死んだんだぞ! その高橋って子も同じことになるかもしれないんだ! これはあいつが追ってた『ネタ』の核心なんだよ!」
俺は半ば脅迫するように、まくし立てた。
学生は俺の狂気と、友人を心配する気持ちの間で揺れ動いていたが、やがて震える手で部室のロッカーから名簿ファイルを取り出した。
「……これです。高橋由紀。アパート、確か東高円寺の近くで……」
俺はその住所をスマートフォンに叩き込むと、礼も言わずに部室を飛び出した。
***
東高円寺の女子学生向けオートロックアパート。
教えられた住所の建物にたどり着いた時、入り口の集合郵便受けで、俺はその名前を見つけた。
『302 高橋』。小さなテプラのシールが貼ってある。高橋由紀の部屋に間違いないだろう。
俺はオートロックのドアをすり抜け、階段を三階まで駆け上がった。だが、俺が302号室のドアノブに手をかける前に全ては終わっていた。
そのドアには無慈悲な黄色いテープが罰印に貼られていたのだ。
『警視庁—KEEP OUT』
「……遅かったか」
足元から、力が抜けていく。
二人目だ。
健太の死から、わずか一日。
時限爆弾は俺の想像より遥かに速く炸裂していた。
「お前さん、何か用かね」
不意に背後から、低く、分厚い声がかかった。振り返ると、そこには、くたびれたトレンチコートを着た無骨な大柄の男が立っていた。五十代くらいだろうか。深く刻まれた眉間の皺と、すべてを見透かすような鋭い目が印象的だ。手には火のついたタバコが挟まれている。
「……ここの住人の友人です」
俺はかろうじてそう答えた。
「友人ねえ。それにしては随分と慌ててたじゃねえか。……佐々木健太の現場にいた男だな」
「!」
俺は息を呑んだ。この男、俺を知っている。
「なぜ、あんたが健太のことを……」
「俺は黒田。警視庁の捜査一課だ」
男は面倒くさそうに胸元から手帳を一瞬だけ見せた。
「ここの高橋由紀は今朝方、そこの窓から飛んだ。佐々木健太と全く同じ状況だ。二人とも同じ大学の同じサークル。そして、その両方の現場に月刊『深淵』の記者、三上悟、お前がいる」
黒田は俺の目の真っ直ぐ前にタバコの煙を吐きかけた。
「……あんた何者だ?」
「俺は……!」
「呪いか? 祟りか? あんたらの雑誌に書いてあるような、アレか?」
「そうだ! 呪いだよ! 二人とも、calmのサイトを見たんだ! 『BlueLull』を!」
俺は叫んだ。今度こそ届け、と。だが、黒田の目は氷のように冷たかった。
「calm……ね。聞いたことがある」
「!」
「佐々木の部屋にあったPCから、その単語が出てきた。押収した高橋のスマホからもな」
黒田はタバコを足元に捨て、靴の裏で捻り潰した。
「だがな、三上。俺たちに言わせりゃあ、それは教唆っつうんだ」
「きょうさ……?」
「集団自殺の扇動だ。あんたがオカルトネタに狂って、学生どもをそそのかしたんじゃねえのか?」
「馬鹿な!」
「二人の被害者と接点があるのはお前だけだ。昨日の今日で、どうやって、ここの住所を突き止めた? お前が最初から知ってたんじゃないのか?」
俺は反論できなかった。大学の部室に忍び込んだなどと言えるはずがない。
「……帰れ、オカルト記者。これ以上、事件の周りを嗅ぎ回るな。次に、こういう現場でお前を見かけたら、威力業務妨害か自殺教唆の容疑でブタ箱にぶち込んでやる」
黒田は俺の肩を強く押した。
「……!」
俺はアパートの廊下で、よろめいた。
早くも二人目が死んだ。
俺は呪いと戦うだけでなく、この現実そのものである黒田という刑事からも目をつけられることになった。
「クソッ……!」
俺は吐き捨てるようにつぶやくと、規制線の張られた現場を逃げるように後にした。




