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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第11話 残滓

 カチ、カチ、と安っぽいボールペンのノック音が狭い取調室に響いていた。

 目の前の、くたびれたスーツを着た中年刑事――谷村と名乗った男は、俺の顔を、まるで汚いものでも見るかのように眺めている。


「……月刊『深淵』ねえ。オカルト雑誌か。ふうん」


 谷村は俺の吐き出した言葉が積み重なっただけの調書を指先で弾いた。

 健太がアパートから飛び降りて、二時間が経っていた。

 俺はあの凄惨な現場から、目撃者として、いや、ほとんど重要参考人の扱いでパトカーに乗せられ、この冷たい部屋に放り込まれていた。


「もう一度聞くがね、三上さん。あんたは部下である佐々木健太が錯乱しているところに踏み込み、もみ合いになった。違うか?」


「違います。俺はあいつを止めようと……!」


「何をだよ!」


 谷村の声が一瞬にして怒声に変わった。


「大家は聞いてるぞ! 『来るな!』『触るな!』『あんたは敵だ!』って、佐々木くんが叫んでたのをな! あんた、あいつに何した?」


「俺はあいつを呪いから……!」


「呪い!?」


 谷村は心底馬鹿にしたように鼻で笑った。


「いい加減にしろよ。あんたらの『ごっこ遊び』にこっちは付き合ってられねえんだ。佐々木くんの部屋はひどい状態だった。目張りされた窓、腐った食い物、そして、床に散らばる大量の目薬のゴミ。あいつは薬物(ヤク)でもやってたんじゃないのか?」


「違います! あいつは……!」


 俺は必死に言葉を紡いだ。

 calm(カーム)という画家のこと。

 『BlueLull(ブルー・ラル)』というWEBサイトのこと。

 それを見ると失明し、幻聴が聞こえること。

 健太が、その作者を「蒼月凪あおつきなぎ」と呼んでいたこと。

 そして、死ぬ直前、あいつが『送った』とつぶやいたこと。


「送った? 何を?」


「おそらく、呪いのサイトのURLを友人か誰かに!」


「……三上さん」


 谷村はボールペンを置くと、疲れたように両手で顔をこすった。


「あんたの雑誌、読んだことあるよ。面白いよな『呪いの特集』。だがな、こっちは現実(リアル)なんだ。分かるか? 佐々木くんは極度のストレスと栄養失調で幻覚を見ていた。そこにあんたが現れた。あんたはあいつを『クビにする』と脅したそうじゃないか。違うか?」


あのクソババア(大家)、そこまで喋ったのか……!)


「それはあいつに深入りさせないための……!」


「追い詰められた佐々木くんは、あんたから逃げるために窓から飛び降りた。これが俺たちの見立てだ。あんたの言う『呪い』だの『送った』だのってのは、あんたのオカルト雑誌の次の特集ネタか?」


 血が頭に上る。

 俺は机を強く叩いた。


「人が死んでるんだ! あいつは俺の目の前で笑いながら死んだんだぞ!」


「笑ってた?」


 谷村の目が初めて鋭く光った。


「ああ、そうだよ! あいつは何かから解放されたみたいに穏やかに笑ってやがった!」


「……そうか。ますます薬物(ヤク)の線が濃くなったな」


 谷村はそうつぶやくと、再び調書に何かを書き込んだ。

 絶望的だった。俺の言葉はこの男には一つも届かない。

 オカルト雑誌記者という肩書が俺の証言の全てを妄言に変えていた。

 健太の部屋にあったノートPCも、スマートフォンも、証拠品として押収された。

 あの『53件』の送信履歴も、彼らにとっては「錯乱した学生の最後の行動」としか分析されないだろう。


 結局、俺が解放されたのは日がとっぷりと暮れた後だった。


「衝動的な自殺。恐らく、あんたとの金銭トラブルか過度なパワハラが原因だろうな。まあ、今回は『事件性なし』で処理してやる。感謝しろよ」


 谷村の最後の言葉が冷たい北風のように背中に突き刺さった。


 ふらふらと編集部に戻ると、そこはすでに真っ暗だった。

 編集長からは『明日は休め』とだけ、メッセージが入っていた。

 俺は電気もつけず、暗闇の中で椅子に崩れ落ちた。

 健太のデスクは、まだ、そのままだった。

 あいつが読み漁っていた民俗学の専門書や、書きかけのUMAの企画書が、主を失って静かにそこにあった。

 俺のせいで、あいつは死んだ。

 俺が、あいつを挑発した。

 俺が、あいつを病気だ、臆病者だと追い詰めた。

 俺が、あいつのSOSに最後までオカルトネタとしてしか向き合わなかった。


(あいつはずっと、見てほしかったんだ……)


 calm(カーム)のことも、そして、あいつ自身のことも。

 健太の最後の言葉が耳の奥で反響する。


 『やっと……ちゃんと、わたしを見てくれた……』


 俺は健太の呪いの最後の誘い込みの対象(ターゲット)だったのか?

 いや、違う。あいつは俺に伝えたかったんだ。

 これが本物だと。自らの死をもって。


「……53件」


 俺は暗闇の中でつぶやいた。

 警察は動かない。俺の証言を妄言として処理した。

 だが、呪いが本物なら、健太が死んだ日……つまり今日だ。

 今日を起点として、一週間後。

 最大で53人の人間が健太と同じプロセスを辿る。

 目がチカチカし始め、幻聴を聞き、笑いながら死ぬ。

 時限爆弾のタイマーはすでに作動している。


 俺は健太のデスクの引き出しを乱暴に開けた。

 あいつの私物……警察が見落としていったスケジュール帳や、大学の講義ノートが雑然と詰め込まれていた。

 自責の念が黒い怒りに変わっていく。

 健太を殺したのは呪いだ。そして、その呪いを理解しようとしない、この現実(リアル)だ。


(警察が動くはずはない。この件は俺がやるしか……)


 オカルト記者を舐めるなよ。

 俺は健太が遺したノートを掴むと、そのページを獣のような勢いでめくり始めた。

 「53人」の手がかりを見つけ出すために。残された時間は少ない。

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