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わたしを見て  作者: かわさきはっく


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第1話 蒼い凪

 神保町。古書の街として知られるこの一角に月刊オカルト雑誌「深淵」の編集部はあった。

 締め切り明けの空気はいつもよどんでいる。

 カフェインと安煙草の匂いが染みついたオフィスで、俺、三上悟 (みかみさとる)三十二歳はぬるくなった缶コーヒーをすすった。

 デスクに山積みにされた資料の大半は心霊スポットの現地取材レポートや、UFO目撃情報のタレコミだ。

 そのどれもが、既視感のある、ありふれたものばかりだった。


 「深淵」は良く言えば老舗、悪く言えば時代遅れのオカルト雑誌だ。

 ネットの普及で紙媒体が軒並み苦戦を強いられる中、うちも例外ではない。

 かつては熱心な読者が支えてくれていたが、今や刺激的なフェイクニュースがSNSで瞬時に消費される時代だ。

 真偽不明のネット怪談の方が、よほど読者の心を掴んでいた。

 オカルト記者という肩書でありながら、俺自身、この手の話を本気で信じたことは一度もなかった。

 幽霊も、呪いも、UFOも、全ては「ネタ」であり、読者を楽しませるための「エンターテイメント」だ。

 そう割り切らなければ、この仕事はやっていられない。


「三上さーん、ちょっといいスか」


 間延びした声で俺を呼んだのはアルバイトの佐々木 健太 (ささき けんた)二十二歳だ。

 民俗学を専攻しているとかで、編集部に潜り込んできた、今どきの大学生。

 オカルトへの情熱だけは人一倍だが、いかんせん脇が甘い。

 良くも悪くも、彼はまだ「信じている」側の人間だった。


「どうした、佐々木。またUFOでも呼んだか」


「違いますよ。今回はガチかもしれません。ネットでヤバいの見つけました」


 健太が目を輝かせながら、タブレット端末を俺のデスクに置いた。

 画面には暗い青を基調とした、どこかの海辺を描いたらしいデジタルアートが表示されている。

 一見すると波が静かに打ち寄せる、ただの風景画だ。


「綺麗でしょ。でもこれ、今、ネットの一部で『呪いの絵』って呼ばれてるんスよ」


「呪いの絵、ねえ」


 俺はため息を隠さなかった。

 その手の話はそれこそ雑誌の創刊以来、刷られ続けてきたネタだ。

 呪いのビデオ、呪いのホームページ、呪いのチェーンメール。

 媒体が変わっただけで中身は同じだ。


「作者は?」


「それが、calm(カーム)ってハンドルネームなんですけど、詳細不明で。数年前に更新が止まった個人のWEBサイトに、いくつか作品が残ってるだけみたいです」


 健太はタブレットをスワイプし、暗いトーンで統一された他の作品をいくつか見せた。

 雨に濡れる路地裏、月明かりに照らされた廃墟。

 どれも技術は高いが、ひどく寂寥感(せきりょうかん)が漂う絵だった。


「サイトの名前は『BlueLull(ブルー・ラル)』。蒼い凪、って意味ですかね」


「それで、呪いの内容は?」


 俺が気のない相槌を打つと、健太は待ってましたとばかりに身を乗り出した。


「噂によると、まず、この絵をじっと見ていると、目がチカチカし始めるらしいです。最初は疲れ目かと思うんですけど、だんだん視界がぼやけて、一週間ほどで完全に失明する」


「失明?」


 それはまた、随分と古風な呪いだ。


「それだけじゃないス。目が見えなくなると、今度は耳元で誰かの囁き声が聞こえ始める。幽霊の声だって話です。その声に『お前もこっちへ来い』とか『あいつも誘え』とか言われ続けて……」


 健太はゴクリと唾を飲んだ。


「その声に従うようになると、もう末期です。友人や家族に必死でそのサイトのURLを送ろうとし始める。そして、誰かを誘い込むことに成功すると……当人は笑いながら自殺するそうです」


「……よくできてる」


 俺は素直に感想を述べた。よくできた都市伝説だ。

 失明という生理的な恐怖、囁き声という精神的な恐怖、そして他者を巻き込むという加害の恐怖。

 ネット怪談として満点の出来だ。


「作者のcalm(カーム)も、このサイトを立ち上げてすぐに自殺したって噂です。だから、これはcalm(カーム)の遺作だって」


「ネタとしては面白いがな、佐々木。ソースは?」


「そこなんですよ! ソースは『匿名の掲示板』とか『SNSの裏アカ』ばっかりで、ハッキリしないんです。でも、リアルタイムで『見ちゃったかも』ってつぶやいてる奴、何人かいるんスよ」


「そりゃあ、ただの『ごっこ遊び』だろ。昔流行った『ひとりかくれんぼ』と同じだ。どうせ『目が痛くなってきた気がする』とかだろ」


「でも……」


 健太は食い下がろうとしたが、俺は資料の山に視線を戻し、会話を打ち切った。


「まあ、その『ごっこ遊び』が盛り上がってるなら、ネタにはなるかもしれん。もう少し動向を追ってみろ。何か進展があったら報告しろよ。ただし、お前が深入りする必要はねえぞ。ミイラ取りがミイラになるなよ」


「……ッス」


 健太は不満そうに口を尖らせたが、しぶしぶ自席に戻っていった。

 俺は再び缶コーヒーに口をつけた。すっかり冷めきったそれはひどく不味かった。


(呪いの絵、ね)


 もし本当にそんなものがあるなら、この編集部はとうの昔に全滅している。

 健太の熱心さは買うが、あいつは物事の境界線を見誤ることがある。

 オカルトはあくまでこちら側の岸から眺めるものだ。

 あちら側に渡ろうとした瞬間、そいつはただの「狂人」になる。


 俺は自分のPCのモニターに映る書きかけの企画書に視線を戻した。


 『徹底検証! 本当に呪いは存在するのか?』皮肉なタイトルだと思った。


 編集部の片隅で健太が自分のノートPCの画面を食い入るように見つめている。

 その画面に映っているのが、例の『BlueLull(ブルー・ラル)』のトップページであることに俺は気づいていた。

 だが、それもあいつの「調査」の一環だろうと、あえて何も言わなかった。

 呪いなど、ありもしない空想だ。そう、思うようになっていたから。

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