光りの柱を守護する街
■光りの柱を守護する街
「綺麗な街ね」
街の門を潜ったセリス2はそう言った。
光りの柱を中心に同心円上に白い石造りの建物が並ぶ。石の表面は滑らかだが、細かい乱反射を起こしているのか、それ自体が弱く輝いているようにも見える。
『でもなんだかゴーストタウンみたい』
『見える範囲を確認しましたが、人影がありません』
綺麗なのだが、どの建物も生活感が無い。
「ねえイズル。街の人って」
「居ません。私達だけの筈です」
どういう事?とアリスは思った。
「ここは誕生者が光りの柱に昇るための準備施設ですから」
セリス2は辺りを見回してから、イズルの方を見た。
「イズルは騎士団に入ったから、光りの柱に登らない。本来だったらここに来ない?」
「そうです。騎士団は別のポータルを使って、この上の階層に行きます」
「上の階層?」
「先ほどの『アレ』がこの階層を突破したら、次の階層で迎え撃ちます。それが本来の騎士団の役目です」
「『アレ』ってさっきの黒い幽霊よね」
セリス2は少し考えた。顔を上げてイズルに視線を向ける。
「ここは?」
「ここは最下層で、生命の生まれる所。そして死ぬ所です」
セリス2は光りの柱を見上げた。
「黒い幽霊って、そこそこ発生して、この階層を突破するのね」
「はい。中央の光りの柱を登って」
イズルも光りの柱を見上げていた。視線をセリス2に向ける。
「大半は周りの光りの柱に焼かれて海に戻りますが」
メインシャフトと防衛ビーム、ってトコか。
アリスはそう解釈した。
「そう言えばイズル。破壊者の時『海と空に返す』って言ってたけど」
「はい。空と海。空は中央の光り柱に昇る事。海は海に溶ける事。そして保育器が捕獲して誕生者に育てます」
「だから循環なのね」
「はい」
「空に。あ、光りの柱を登ったらどうなるの?」
「騎士団が守護する階層を超えて、その上の階層に行きます。その先は」
イズルは言葉を詰まらせた。
「知らないのです」
「あ、ゴメン」
セリス2は軽く言った。
「いえ。その先の事は知らないのです。それに言うのも」
「禁忌なのね」
イズルはこくりと頷いた。
知らない。その上言うのも憚れる。特上の秘密を守る禁忌、ね。
アリスの好奇心が特上の獲物を見つけた。だが、追跡はすぐに出来ない。ひとまず胸に仕舞った。
セリス2は光りの柱を見上げた。
そして、イズルに言った。
「光りの柱に行かなくっちゃね」
■立方体の中の影
中央に光りの柱。光りの柱を中心に、同心円のように、テーブルのようなものが何列か配置されている。制御ルームのようでもあるが、テーブルに計器は見当たらない。天井は無く、空が見える。
その場所に着いた時、一つの影を見たセリス2が言った。
「雫……?」
その人影は、宙に浮き回転する立方体の中にあった。
一辺が二メートルはあろうかという巨大な立方体が、テーブルの上に浮いている。
そして中が透けて見える。
回転し屈折する光。その光が人影を見せていた。
『安寧の舞を舞っているように見えます。アリス』
メタアリスの脳内通話を聞くまでも無く、アリスはそう理解していた。
「あの……立方体は」
「あれが、瘴気の発生を抑えている玄雨雫様です」
セリス2は立方体に近づいた。
だがあと少し、という所で足が止まった。
「ねえ、イズル。ここに見えないけど壁みたいなのがある」
セリス2はイズルの方を振り返ってそう言った。
イズルは右手のハサミで指し示した。
「セリス2。あたなの持っているその立方体」
指し示す先には、演説する台のような直方体。その側面にちょうどセリス2が持つ杖の先の立方体が入るような窪みがあった。
「分かったわ」
セリス2は杖を持ち直すと、鍵穴に鍵を入れるようにして、その窪みに立方体を差し入れた。
途端、舞う人影が見えた立方体は分解した。
各面が飛び散る。同時に辺りは漆黒に包まれた。
漆黒の向こうには、光の柱のみが視界にある。
セリス2は光の柱に向かって吸い寄せられる。まるで光の柱がブラックホールで、そこに落ち込むように。
アリスの思考は凍りついた。
セリス2は光の柱に吸い込まれた。
■そして玄雨神社
「アリス!アリス!」
何よ。五月蝿いわね。頭の芯がぼおっとして。
「アリス、起きろ」
アリスはガバッと上半身を起こした。
玄雨神社舞舞台、いつもの下手袖だった。目を開ける。
「目覚めたか」
アリスの視界に雫の顔が飛び込んできた。
あれ?体を起こしたと思ったのに。
「なかなか目覚めぬから心配したぞ」
ため息の後、言葉が続いてきた。
アリスは手を突いて体を起こした。辺りを見回す。
寝ていたアリスの枕元の位置に雫が。周りに他の巫女達。
そして、上半身を起こして停止しているセリス2が隣にあった。
そうか。セリス2が身を起こしたんだ。
ちょっと体がギシギシするわね。
アリスがやや濁った意識で思考する中、ある考えが降ってきて思わず口にしてしまう。
「ま、まさか、夢オチってコトじゃないわよね!?」
雫が薄い笑みを浮かべると、ゆっくりと首を横に振った。
アリスの上がった肩がカクッと落ちた。
ため息が漏れる。
アリスは立ち上がり雫の横に行くと正座した。雫の方を向くと言った。
「多分、あたしが体験した内容、みんなも見てるんでしょ?」
「はい、アリス。伝達しています」
セリス2が言った。
「あー。メタアリス、分かったわ。その機体使った方が会話、確かにしやすいわね」
メタアリスが接続したセリス2は、正座した。
「先に聞きたいけど、あたしがやった事は」
アリスは雫の顔に笑みが浮かぶのを見た。
「役に立った、と思って良いのよね?」
雫はゆっくり頷いた。
そして真相の一部を語った。
「あの立方体に囚われていたのは、太陽の事件の後、眠っていた私だ」
■雫は語る
「此度の事件だが」
雫は少し遠い目をしてそう言った。
「人の、いや、この世界の知識、あるいあ認知を超えた、超えたと例えるより、異なる、と言った方が適切か」
いつに無く歯切れの悪い雫の言葉に、いつもだったら速攻で突っ込んでくるはずのアリスが、何故か静かに頷いていた。
「そうね。確かに」
その様子に、玄雨神社舞舞台下手袖に集まった巫女達は、戸惑った様子を見せた。
「まず、此度の事件を話す前に、注意して欲しい事がある」
雫の言葉ば淡々としているが、何か怪しく、捉え所のない。
「私とアリスは、あの世界に行った。だが、そこで見聞きした事は、その段階ですでに翻訳されたものだったし、こうしてこちらに戻って来た段階で、更に翻訳された物として記憶されている」
そこまで話すと、雫は一旦言葉を区切り、お茶を飲んだ。
「そして、話す段階でまた、翻訳が入る。都合三度の翻訳が入るため、実際のあの世界を決して正確に描写しない。その前提で聞いて欲しい」
巫女一同、身を固くした。灯でさえも。のんびりしているのはアリスだけだった。
「あたしから良い?あの世界、ホントに見せたいものだけ見せて、後は隠してる。そうと分からないようにね。だから」
アリスは雫を見た。
「もう好奇心が爆発しそうよ」
雫はくすりと笑った。そして正面を向く。
「まず、アリスはあの立方体に囚われた私を救いに来た。例によって因果と時間が逆になっている」
アリスの顔にある理解が広がった。
「まさか。だから見た夢が暗号化したみたいに断片的」
「そうだ。アリスの行動に余計な影響を与えぬよう。そして行動を仕向けるように」
「あー。まんまと誰かの掌で踊らされた訳ね」
アリスはわざとらしくため息を吐いた。
「だがアリス。冒険を楽しんでいただろう」
「まあね。セリス2開発した甲斐があったってもんだわ」
雫はセリス2を見た。そして小さく言った。
「黒い月を越えるためとは言え、よくもまあ、あんな無謀な事を」
アリスはギョッとした。
「え、何、そんなに危ない橋だったの!」
雫は頷いた。
「行った先が、六の母星なら問題ない。だがあの世界は」
アリスは頭を抱えた。
「そうか〜。確かに。ん?もしかして」
「そういう事だアリス。イトはアリスをある意味救ったのだ」
アリスはガックリと肩を落とした。
「てっきりイトが黒幕かと思ってたけど。違ったのね」
とほほ、という聞こえない言葉が木霊した。
「あの世界、仮に《彼岸》と呼ぶが、《彼岸》はこの世とは異なる世界。実体を伴って移れる場所では無いと考える」
「だから雫は寝て、伸ばした気脈であの世界に行った。私はそこまに巫術に精通していないから、行けない。けれど」
アリスはセリス2を見た。
「セリス2とイトの助力、あの立方体の加護でアリスは《彼岸》に行った」
「だけど、本当にセリス2が行ったのかは不明ね」
セリス2がアリスの方を向いた。
「アリス。移動の記録はされています。ただ座標が特定できないのと、その間の記録は機体にはありません。経過時間のみが記録されています」
セリス2が言った。
「やはりね。何処かに行った。けれどその先でさらにあたしの気脈と、メタアリスの気脈が《彼岸》に行った」
「それと立方体もだ」
「雫。《彼岸》がどこか、何か気づいてるんじゃない?」
「静かな水面。三途の河と例えて《彼岸》と呼んだが。あの光りの柱」
雫は少し目を細めた。
「もしや、と思うが。塩の石臼との邂逅。その場所にあった幾本もの光りの柱」
アリスの顔に驚きの色が広がった。
「その光りの柱があの光りの柱というの?」
雫は小さく頷いた。
「仮にそうだとすると、幾つか合点がいく事がある」
「イトの立方体、ね」
「そうだ。あの場所に必要な機能を有したものをイトが用意できた理由」
アリスの顔から同意の雰囲気が漏れた。
「イトは《彼岸》を知っていた。それも相当詳しく」
「とすると、それは塩の石臼の領域となる。酷似する光りの柱と来れば」
ここでアリス、少し考え込む。右の親指を軽く顎に当てて。
顔を上げると六に言う。
「六。天の竜と同じものが六の母性、つまり月にもあった、って言ってたわよね?」
「はい。アリスさん」
アリスは息を軽く吐いた。
「一応事件は収まったから、説明して」
「私達の母星は、惑星に隕石が衝突した衝撃で飛び出した質量。ですので、元々は惑星にあったものがたまたま母星の地下に埋まっていた、と解釈しています」
雫の目が細くなった。
「私が寝てる間の話だな。つまり地球の内部にあった天の竜。いや、竜の星では衛星軌道にある」
「はい、雫さん。その事から解釈は修正され、惑星から飛び出した質量が衛星化する際に、惑星の衛星軌道にあった天の竜を取り込んだ、という解釈もできます」
「天の竜はワープゲート。そして惑星に一つずつあった、となる。そして惑星は太陽が生み出した」
雫は目はさらに細くなった。
そして思い出していた。太陽の事件が終わった後、イトが去った際の事を。
「太陽の事件の時、イトは直接報告する必要がある、と言って去った」
ふう、と雫は息を吐き出した。
「こういう筋だてのようだ、アリス」
なになに?とアリスは好奇心でいっぱいだ。
「焦らず、最後まで聞くか」
アリスの首は上下にぶんぶん振られた。それを見たアカネが少々嫌な顔をした。
あたしもあんな感じなのかな。ちょっと…。
そんなアカネの心情を他所に雫は説明を始めた。
「初め塩の石臼は『本』の回収を依頼した。ところが太陽の事件でのこの神社の働き。役目をより重い役目を果たせそうだと気がついた」
アリスは黙っているが、目に力が入っているのに雫は気づいている。
「イトの報告によって」
「ねえ」
最後まで聞く、と言った途端にこれだよ。流石アリスさん。
などと光が思っていると、アリスは続けた。
「雫が起きた後にイトは報告に消えたのよ?」
「ここでも順番が逆になっている。と考えるより、既に重い役目は与えられており、イトは『現在』の状況を報告に戻った」
「!あー、という事はイトの時間軸ではあたしも既に冒険中だったってコト?」
アリス軽く眉間に皺を寄せて考える。
「塩の石臼は時の鞠の中心。あらゆる宇宙の時間の流れの中心だ」
なるほど!とアリスの眉間の皺が解けた。
「時間の前後とか関係ない、のか。むしろここに来ているイトがこの世界の時間にある程度拘束されるから、順番逆に見える訳ね」
なんだかメンドクサイわ!とアリスは思った。
雫は咳払いした。
「イトの報告によって、重い役目は途中までうまく行った事が塩の石臼に知らされた。そしてその次の手が用意されるが、そのためには、こちらの準備が必要だった」
あ゛〜〜。アリスは判った。
「アリスがセリス2を作る事だ。竜の星の天の竜、黒い月を超えるために。そして通常とは異なる経路を開くために、ミアを使った」
「起動スイッチを押させたのね。洞窟の壁画の」
竜の星の壁画。その壁画の黒い丸。それをミアは触れ、そしてそれが赤く光るのを見た。それがやはり始まり、だったのである。
雫はアリスの胸に理解が落ちていくのを見定めると、話を続けた。
「おそらく生まれた惑星には天の竜が用意されているのだろう。元々の目的は塩の石臼との連絡経路」
雫は少し言葉を区切った。
「まあ、完全には解釈できていないのだが」
そして続けた。
「今回の事件、太陽の事件で眠っている間に《彼岸》の立方体に囚われた私を救出するのが目的」
ん?
アリスは何か気が付いた。
「ねえ、雫。今回眠ったのはなんで?助けたのが前回のだとすると、今回雫はどこに行ってたわけ?」
アリスの目を見つめて雫は言った。
「気がつかないか?《彼岸》では多くの情報は隠されていた。アリスが認識できたもの、その中に私が居たことに」
まさか!
アリスの口があんぐりと開いた。が、意思の力で即座に閉じる。
「ま、まさかと思うけど。雫、あなた、イズル、だったの!?」
雫は薄く笑った。優しい笑みだった。
「そうとも言える」
アリスの肩から力が抜けた。
「だからイズルだけ名前があったんだ。他の人はみんな職業名みたいのだったのに」
一瞬、雫の目が少し遠くの方を見ているようになった。
「今回の事件で思い出した事があるが、それはまた」
雫はアリスの目を見つめてそう言った。
「此度の私の役目はアリスを導く事。そのために一部記憶を封印されていた。そして本当にあの海に居て、保育器に捕獲されたのだ」
雫は目を閉じた。
「深い暗い海。音も光りもない。ただ光りの柱の存在だけが感覚で分かる」
アリスも《彼岸》の海を思い出していた。
「なんだか怖いわね」
雫は薄く笑みを作った。
「やる事は分かった。アリスを待って行き先を共にする」
アリスも軽く笑って、雫に応えた。
「あたしの方が付いて行ったんだけどね。大体分かったわ。それにしても奇妙な事件ね。結び目の部屋と同じくらい」
柔らかい雰囲気から、急に雫の目に真剣さが宿った。
「アリス。塩の石臼のあの光りの柱、なんだと思う?」
意外な問いかけに、アリスは戸惑った。
なんだろう。
塩の石臼の所にある無数の光りの柱。塩の石臼は宇宙の時の鞠の中心で、心臓のなもの。
「そうか!あの光りの柱から霊脈が送り届けられているのね!」
雫は静かに頷いた。
「とすれば《彼岸》の光りの柱とその海はどうなる?」
アリスは思考を進める。その瞳に理解、あるいは閃きにも似た色が走った。
「まさか、と思うけど。気脈だった霊脈も集まって、時の鞠から塩の石臼の、そうね、下部のよりプリミティブな世界に送られて、浄化される。そして霊脈として塩の石臼の光りの柱から時の鞠に送られる」
独り言のようにアリスは言っていた。視線を雫に向ける。
「だから雫はあの世界を《彼岸》と呼んだのね」
雫はゆっくりと頷いた。
「そうだ。死んだ後行く世界。解けた気脈は霊脈に溶け、その霊脈が《彼岸》の海に辿り着く」
「もちろん保育器や光りの柱なんかは、翻訳されたものだけど、そういう浄化機能がある世界」
アリスは自分の口が言葉を自動的に紡ぎ出しているような感覚を覚えた。
「おそらく」
雫はそう言うと、少し間を空けた。心なし眉間に皺がよっているようにも見える。
「解けた気脈、それが溶けた霊脈。その霊脈には幾分かの『思い』が宿る。死んだ者の」
アリスは雫が何を言おうとしているのか、少し分かった気がした。
「それを海で鎮める。そして鎮まったものを保育器が捕獲する。そして光りの柱へと導く」
アリスは黙って聞いている。
「海は浄化装置の基本。それでも」
緊張感が高まった。
「鎮め切れぬものが湧く。それが」
アリスの喉元に、その言葉が迫り上がって来る。アリスはそれを吐き出した。
「瘴気、なのね」
雫は頷いた。
「破壊者は道を誤った誕生者をリセットする装置。破壊された誕生者は海に戻るが、一部はそのまま光りの柱へと向かう。そこに瘴気が混ざると」
アリスはその姿を思い返していた。
頭部と見受けられる箇所には、ぼんやりとした蒼い炎のような影。黒曜石でできたバラの花のような鋭い切っ先が首から肩にかけていくつも突き出ているその姿を。
「あの黒い幽霊となる。黒い幽霊は光り柱を登り、塩の石臼を越えて時の鞠へと来ようとする」
アリスは思い出していた。イズルと騎士団の事を。
「だが、海のある最下層、その上の層は防衛ライン。そこには騎士団、黒い幽霊を撃退する。もっともその前に光りの柱に来る前に、多くは守りの柱に焼かれ、海に戻る。時には生まれたばかりの黒い幽霊は捕食者に食われ、海に返される」
「黒い幽霊の破片を食べた捕食者達、海に向かったのね」
雫は小さいがはっきりと頷いた。
アリスはポツリと言った。
「そして黒い幽霊の断片が剥がれ落ちた中身が鬼」
ざわり。言った言葉に体が反応する。その感覚はアリスの肌に粟を生じさせた。
「翻訳で鬼に見えたもの。それは鬼の種。それが防衛ラインを突破し塩の石臼の光りの柱から時の鞠に放たれれれば、それは溶けた気脈と混ざり合い」
水を打ったように玄雨神社舞舞台下手袖は静まり返っていた。アリスも巫女達も、もうその先が分かっていたからだ。
「鬼となる」
雫はゆっくりと湯呑みを取ると、お茶を少し飲むと言った。
「私の解釈はこのようになる」
アリスはゆっくりと口を開いた。
「初めの時の雫は何をしていたの?なぜあの立方体の中で安寧の舞を待っていたの?それにあの……」
アリスは何故か、続けて「あの黒い幽霊は何?」と言う事ができなかった。
雫は湯呑みを茶托に戻した。
「残念な事に、その辺りははっきりした記憶が無い」
アリスは黙って雫を見つめている。
「記憶は無いが、推測はできる」
雫もアリスを見つめた。その目は冴えていた。
「おそらくこうだと思う。
雫は目を閉じた。
「閉じ込められていたが、安寧の舞を舞っていた。つまり、舞を舞うというのが役目であり、おそらく、そのために、アリスと同じように光りの柱へと向かった」
雫は目を開けた。
「その途中で黒い幽霊、アリスが出会ったものと同じ黒い幽霊と出会い、縛った。しかし縛っただけで、あやつの力は十分には損なわれなかった」
アリスは、自分が冷や汗を流しているのが分かった。
「立方体の中での安寧の舞。その目的は海の浄化機能の回復。海の浄化機能は、あの黒い幽霊に阻害され、十分では無くなっていたのだ」
アリスはそれが何を意味しているか分かった。
雫はアリスが理解した事を察した。アリスに軽く頷いてみせた。アリスは言った。
「浄化機能が低下したら、瘴気が増す。黒い幽霊が増えて、いつか防衛ラインを越えて、どこかの時の線に辿り着く。お、鬼が」
「その通りだ、アリス。鬼が湧く。そのため舞を舞ったが、浄化機能は十分には回復しない。縛った黒い幽霊が阻害していたのだ。舞を止めてあやつを討ちに行こうにも、立方体は海の浄化機能が回復しないと出られない。おそらくそういう仕組み。あるいは外からしか開けられぬ」
アリスはイトの言葉を思い出していた。
「この品をアリスさんにお渡しするため。赤い光りの先に行かれる際、お持ちください」
そして床に置かれた立方体を。
「文字通り、イトがくれた立方体が開ける鍵だったのね」
「然り。そして、その為にはもう一人の助力者が必要になる。あの断片化された夢を見たもう一人の術者が」
アリスは自分の内に、真実を知った、という白い痺れるような感覚が広がるのを感じた。アリスは事の全体像を理解したのだった。
「イトが報告に戻ったのは、この世界では絡んだ時の糸をどう解くと良いか、というのを報告するためでもあったわけ……ね」
それにしても。とアリスは思った。並列して走るアリスの疑問点解決タスクが言葉を紡いだ。
「あの黒い幽霊、どう考えてもあたしの力だけじゃ払えるシロモノじゃない」
アリスは雫をどちらかというと睨む、という視線で見つめた。
「助力してたでしょ」
アリスのいたずらっ子のような表情に、雫は薄く笑った。
「無論。アリス、まだ気づいていないか?私はイズルだけではなく、別の存在としても共にいた事に」
え?なに言ってんの?
なんだろう。
雫の意外な言葉はアリスの思考を高速で回転させた。カチリ。歯車が噛み合う。
え!
「ま、まさか、メタアリスだと思ってた杖。あれ!」
「もちろんメタアリスだったが、私も共に杖に居た」
ぎゃーー!!
痛みにも似た神経パルスがアリスの脳天を突き抜ける。
アリスは思い出していた。
『その言、後に面倒な事態が起こる可能性は高いと判断します。ですが支持します』
って言ってたわ。あれメタアリスじゃなくて。
アリスは真っ赤になっていた。そして目がぐるぐるしている。
「言った通りになったな、アリス」
雫は薄く笑ったが、その笑みは途中で消えた。
「雫師匠。ママ弄りすぎです。セリスは雫師匠の弟子で、ママも一緒にいたんです。だから弟子でもおかしくありません!」
珍しくアオイが少々語気荒く言ったからだ。
「でもお母さん、玄雨有栖は……」
そう言うアカネの方をキッと睨んで、アオイはアカネを黙らせた。
余計なコトを!
しかし時既に遅く、鎮火しそうになった火の手が再び燃え上がった。
「アリスさん、玄雨の名前、欲しかったんですかぁ?」
積年の弄りを返すかのように、光が語尾にそういう思いを乗せてそういった。
その表情は笑みを形作っているが、目の奥には積年の弄りへの報復という一種の怨恨を湛えていた。それはもう溢れんばかりに。
そのあまりの禍々しさ。
何故か光はその先を言わなかった。
隣にいる姉の灯が光の光の手の甲をつねって止めていた。
『余計な事言わないの。それ以上続けたら、アリスさん、今までの数百倍、光を弄りにかかるわよ!』
とつねった手を通じての読心の術で伝えていたのだった。
雫は小さな声でボソリと言った。
「やはり面倒な事態となったか」
アリスはデフォルメされた自分が小さくなって消えていくのを感じた。擬音付きで。
玄雨神社舞舞台には、場にそぐわぬ爽やかな風が吹き込んでいた。
■エピローグ
空にオーロラが煌めいている。海の小波の音が緩やかに響いている。
「話って、何?」
セリス2が言った。
雫とセリス2のシルエットが竜の星の浜辺にあった。
「此度の事で思い出した事がある。それを話すのに」
雫は空のオーロラを見上げた。
「この場所が相応しい。アリスも来られる故、良い機会だと」
二人は石造りの舞舞台の端に腰掛けていたのだった。
小波の音に竜の鳴き声が加わった。
雫が口を開きかけた時、セリス2が先に言った。
「大事な話っぽいから、先に教えて欲しい事があるのよ。まあ、きっと雫の話ほど重要じゃないと思うから」
先に聞いておきたい、というアリスの好奇心とある意味配慮を雫は感じ取った。
「分かった。で?」
「あたしは《彼岸》で光の柱に飲み込まれて、目が覚めたら玄雨神社に居た。そうよね?」
「そうなる」
「その間の出来事を知りたいのよ」
セリス2はずいっというように右横に座る雫に上半身を傾けると同時に顔を向けた。そして胸元に右手を添えた。
「ここに仕舞ってたイトの立方体、無くなってたのよ。後で調べたら」
雫は小さく頷いた。
「アリスが、いやセリス2が赤く光る黒い月に入った。その直後、と言って良いくらいの短い時間の後」
雫の目は少し細まった。
「セリス2は黒い月から出てきたのだ」
なんですって!
アリスのその雰囲気を察して、雫は右掌をセリス2に向けて制した。
「まだ驚く続きがあるぞ、アリス。イトが現れ、セリス2から立方体を回収して消えた」
セリス2の肩の力が抜けた。
アリスは言葉を失った。ごく僅かの間だけ。すぐさま思考を秩序立てる。
「そうか。《彼岸》での時間経過は、圧縮されていた。だからセリス2には記録されていなかった。セリス2の空白の記録だけは時間経過がそのまま残った。という事は」
セリス2は雫を見上げた。
「セリス2の一部も《彼岸》の時間経過と同期していた。多分、霊脈処理のところが。で、あたしとメタアリスの気脈は《彼岸》に行ってた」
雫は頷いた。
「戻ってきたセリス2と神社に残ったメタアリスが同期して、何が起こったか知った」
雫はため息を吐いた。
「そこで初めて、全容を悟った」
雫は柔らかく笑った。
「アリスが中々起きないから、少々焦ったぞ」
アリスはなんと言っていいか、ただただ困った。雫に心配をかけた。それにそんな事態になってただなんて。だから「よくもまあ、あんな無謀な事を」と言ったのね、などという思いの渦でいっぱいになったからだった。ただ、セリス2に表情が無くて良かったとは思った。
雫は少し間を開けると、暫し空に視線を向けた。星と竜が作るオーロラが雫の瞳に写り込んだ。
「イズルという名前」
雫はセリス2に視線を向けた。
「なぜかそう名乗った。その名で思い出した」
急な話の展開に、アリスの心は少し混乱したが、それはすぐに収まった。そして理解した。セリス2と出会った誕生者、その誕生者に雫の意識が乗っていたという事を。
小波の音と竜の鳴き声が響いてくる。
「安寧の霊脈を編むため江戸時代に諸国を巡った折、拾った赤子の事」
初めて聞く話だわ。
アリスの心は既にあの《彼岸》の海のように落ち着いていた。だが、何故かそこに波が起こりつつあった。
「山道を進む内、その赤子が居た。今思えば、急に現れたようにも思う」
アリスは、セリス2に存在しない心臓の鼓動が速くなったように感じた。
「結局その子を連れ帰り、近くの村に預けたが、赤子は大きくなった後、神社の」
どくん。アリスは心臓の鼓動を感じた。
「手伝いをすると。住み込みの下働きになった。その子の名が出だ」
アリスの後頭部に薄い痺れのようなものを感じた。
セリス2が口を開いた。
「弟子、だったの?」
雫は曖昧に首を振った。
「弟子、のようなものだった。門前の小僧、習わぬ経を読む」
そういう事か。
教えてはいないけれど、勝手に覚えた。巫術を。大した才能じゃない。
アリスは唾を飲み込みたくなった。
「住み込みとなった後、安寧の霊脈を編むための旅に出た。出も付いてきた」
雫は再び夜空を見上げた。
いつしか竜の鳴き声は止み、小波の音だけが静かに響いていた。
「そして神隠しに会った」
雫はセリス2の方を向いた。
「その後会った事は無い。何故」
遠くから再び竜の鳴き声が響いて来た。
「その名を名乗ったのか。もしかすると」
アリスは雫が何を言うのか、予感のようなものを覚えた。
「《彼岸》での出来事。あの中に出の思い出が混じっていたのかも知れぬ」
「それって、つまり」
「アリスが察した通りだ。あの海、あそこに」
その出の記憶が漂っていたのね。
海の中を漂う雫。たどり着いた出の記憶。
アリスは《彼岸》の海の中の音、低い柔らかいうねりのような音を聞いた気がした。
「話は終わりだ。戻ろうかアリス」
雫は腰を上げて、セリス2を見た。その瞳は、柔らかく、そして、どこか物悲しそうだった。
「ええ」
セリス2は石造りの舞舞台から腰を上げると、雫の手を取った。
そして、二人は空へ飛び去った。
後には、磨き上げられた鏡面のような石舞台に映り込む空のオーロラ。
そして竜の鳴き声だけが残った。
しばらく間が空いたので「星の巫女」を読んでみたら、出来が良すぎて、続きを書くのが躊躇われるレベル。(自画自賛反省)
それまでのものは、割と時間軸で起こる事を、そのまま書いていましたが「星の巫女」ではかなり省略してコーナーギリギリを攻めてる感じ。
こんな風にできたら良いなぁと思ったのでした。(自分で書いたのに、書いた時にはそういう自覚が無いのです)
本作のぼんやりした構想は、2年くらい前からありました。
このシリーズは毎回冬に執筆している事などから、書き始めようと設定を書いていたのですが、うまくまとまらない。
これは、設定を書くより、どんな筋立てか、キャラクターに語らせた方が早い、と気づき、一通り書いたら、話が見える。そしたら、それを元に書き直せば良い、と書き始めたのが2024/10/28でした。
一通り書き終わったのが、11/17。
その間、毎日、スライスされた物語が憑いてきて、それを書くと「この続き、どうすんだ!?」っていうループ。
どうやら筆が滑って無意識に書いた内容の辻褄を合わせていく、というのがやり方のようです。
Pagesで1日1〜2ページ。終わり頃になるとペースはかなり上がりました。
今回、雫さんが前半くらい出て来ないという異例なスタイルでしたので、難渋したのかも。
雫さんが出てきて解明パートに入るとやはり良く進みます。
なんとかうまく着地したのかな、と。(如何でしたでしょう?)
初めに書いたものだと、黒い幽霊との対決シーンで雫さんが手伝った、というのがあまり感じられないと気付き、幾分修正したりしました。
また、今回はこの話から初めて読んだ人のために「人物・用語」というものを用意しました。
とはいうものの、やはり順番に読んで頂くのが一番だな、と感じました。
それぞれのキャラクターの背景を知っているのと、知らないのとでは描き出されるシーンの意味合い、重みが大分違ってきますから。
出というキャラクターは、制作用のメモには登場していて、いつか出るんだろうな、と思っていたら、筆が滑って雫さんの江戸時代の諸国漫遊を少し語った地の文で「弟子の出を連れて」と書いた話があり、これは回収しないと行けないと思っていたのでした。
「星の巫女」に続き今まで筆の進むままに放置していた未回収の伏線(というか筆が滑っただけとか、筆者が理解できていなかったという箇所)がだいぶ回収されたと思います。
まだまだ残っているのですが。
では、いつもの口上を。
さて、この先どうなりますかは、新たな物語が降ってきてのお楽しみ。