光の推論
■光の推論
「スーパーソーラーストームから始まる太陽の事件、それが解決したのはこの神社の準備が整ったからだと、雫さんから聞きました」
アリスは頷いた。
「そしてその解決は、新しい依頼の準備が整った事を証明したと、あたしは思うんです」
アリスはイトが言った言葉を思い出した。
「メタアリスさんが付喪神となり、アオイさんが女神となり、雫さんが見た夢、その鍵とも言えるその夢。それをアリスさんが見た」
僅かな寒気をアリスは覚えた。
「すべては、塩の石臼の計画、いいえ、『本』ではないけれど、依頼を受けられるものを用意する種まき、のようなもの。そして、この神社でそれが芽吹いた」
光の言葉は、全員の胸に突き刺さった。
「とすると、依頼の内容は、塩の石臼が直接手を出せない領域への介入、という事になる」
アリスが独り言のようにそういった。
「ええ、アリスさん。そしてその為に、雫さんが先に呼ばれ、アリスさんも呼ばれた。この神社に纏わる一番古い女神が」
光は視線を少し上方に向けた。その虚空に何かあるように。
「塩の石臼は、無数の時の線が球状にまとまった時の鞠の中心にある。時の鞠の制御機構。そう結び目の部屋の光は無相しました。つまりこの世界の中心だと」
「そうよ。あたしもそう思う」
光は虚空から視線をアリスに向けた。
「アリスさん、もし、時の鞠のような世界が別にあったとしたら?」
アリスの双眸が見開かれた。
「ま、まさか」
光は頷いた。
「その世界には塩の石臼は直接干渉できない。だから代理人が必要。雫さんとアリスさんに白羽の矢が刺さった。その代理人として」
光は再びセリス2に視線を向けた。
「私の推論はこうです。先ほどの箱、それを持って竜の星の赤い光りを越えると、多分、何かしら誘導されて、その箱を収める場所に導かれる。そしてその道行か最後の段階か分かりませんが、そこでアリスさんは、やはり気脈となった雫さんと再会する。箱を目的の場所に届けると、この事件が解決する」
光は、視線をアリスに向けた。その唇は薄くなっていた。視線には僅かな畏れが含まれていた。
「あるいは、邪魔が入る。その箱を目的の場所に届けるのを邪魔する何かから」
アリスの目に力が籠った。
「ただ、その箱を渡した、という事は塩の石臼にとって事の最終段階。さっきも言いましたが、誘導するための仕掛けは事前に配置済み、邪魔者に対しても対抗手段は用意ずみ」
アリスは、つと顔を上げると、光を見つめた。そして不敵な笑顔を作った。
「大丈夫。あたしはどんな困難があっても、必ず雫と再会するわ。そして、まあ、その何だかわからない塩の石臼の依頼も完遂しちゃうわよ」
光は、口元を緩めると、ふっと微笑んだ。
「もしかしたら、邪魔者は居ないかもしれません」
アリスはふふっと微笑んだ。
「まあ、分からないけど、そういう事がある、と思って臨んだ方が良いわけよね?」
光の微笑んだ。
「はい」
アリスは大きく息を吸い込んだ。そして言った。
「何か何だか分からないけど、塩の石臼!雫のためだから、赤い光りの先の世界に行ってあげるわ。ついでに箱も届けてあげるわよ!」
玄雨神社舞舞台下手袖の空気は和らいだ。
■竜の星の黒い月
「ちょっと!赤い光の場所に行ったけど、何も起こんないじゃない!」
六の誘導でセリス2は赤い光りの場所に移動したが、ただ通過しただけだった。
セリス2の中の、という表現が正確ではないが、そう語った方が分かりやすい故に、そう語る事とすれば、中のアリスが文句を言った。
「アリスさん、私は誘導しただけです」
六はさらりと言った。
他の巫女達が、アリスの怒りとのギャップに思わず笑いそうになり、堪える。
「もう!物凄い覚悟で飛び込んだら、突き抜けただけなんて。良い笑い者だわ」
決死のシーンがギャグになってしまったのだった。
ふう、と息を吐き出すような所作をして、セリス2は言った。
「とは言うものの、先に進めない。手詰まりね」
お笑いシーンは幕を閉じ、閉塞感が立ち込めた。
「でも、イトは『赤い光りの先に行かれる際』と言ってあの箱を渡した。赤い光りが鍵なのは間違い無い」
セリス2は考え込むようにぶつぶつとそう言った。
そして僅かに顔を上げると、急に指差した。
「見て!」
全員、セリス2が指し示す先を見た。
「こんな事が」
六が絶句した。異星のAIで高度な知性を持つ六が。
「ねえ、天の竜って漆黒で何の反射もしないんじゃないの?」
セリス2がそう言った。
竜の星の天の竜。竜人達が「黒い月」と呼ぶ漆黒の円盤。六達が使うワープゲート。
それが、あの赤い光りを反射するかのように、赤く、そう、赤い光を宿していたのである。
「はい、アリスさん。その筈です。私もそう認識しています」
セリス2は六の方を向いた。
「六、今まで六達が天の竜を作ったと思ってたけど、もしかして」
「はい、アリスさん。天の竜は元々あったものを私達が利用していました。ですので、動作原理は解明していますが、作ったのは私達ではありません」
「何その重大情報、もらったデータにもなかったじゃ無い!」
「アリス、動作原理や設計、いえ、解析データはありましたよ」
「知ってるわよ、メタアリス。六達が作ったんじゃ無い、ってトコよ」
「海の水がしょっぱい、という暗黙的に誰でも知っている事は記述されないものだと、推論します」
メタアリスの言葉がセリス2に突き刺さった。
何だか腹が立つわ!
セリス2の中のアリスはそう思った。地団駄踏んでいるイメージが駆け巡る。
「まあ良いわ。ん?もしかして、初めに発見した天の竜って?」
「はい、母星を出て、私達が拡張して行った衛星、その中にありました」
六達の母星は別の時の線の焼き滅ぼされた地球。その衛星、つまり月。その中に天の竜を発見した、という事である。
セリス2の中のアリスは背筋に寒気を覚えた。
「その話は、この事件が解決してから詳しく教えて貰う事にするからね」
「承知しました。アリスさん」
セリス2は天の竜、黒い月に向い、位置を変えた。六が有する惑星単位のワープシステム、セリス2も搭載していたのだった。
セリス2の眼前に黒い月が広がった。本来なら漆黒で何も反射しないその円盤は、中央に赤い光りを写していた。
セリス2の周りに、六、巫女達も現れた。
「あー。天の竜を越えるために用意してたのが、本当に役に立つ事になったわね」
「アリス、そこは『こんなコトもあろうかと』という有名なセリフを言う所です」
メタアリスが、真面目なのか巫山戯ているのか判断が微妙なコトを言った。
「わかった。わかった。緊張を解そうとしたのね。さ、行くわよ。メタアリス」
「了解です。アリス。行きましょう」
反動を付けるためか、覚悟を決めるためか、セリス2は天の竜から見て少し上昇した。
「アリスさん、ゲン担ぎです」
灯がそう言うと、巫女達はセリス2の周りに広がった。そして廻る。安寧の舞を舞いながら。
「みんな」
セリス2はちょっと声を詰まらせた。
「ありがとね」
そう言うと、セリス2は、黒い月に映った赤い光りに飛び込んだ。
巫女達全員と六は、アリスの無事な生還を願った。
■不思議の国のアリス
「アリス、形状を認識しました。かなりの変化があります」
両手を見ていたセリス2はメタアリスの声で顔を上げた。
「やっぱりね。見せて」
セリス2の中のアリスの視覚に、セリス2の今の形状が現れた。
「何、これ!。妙な杖を持ってるのは分かってたけど」
セリス2の両目が見開かれた。
セリス2の形状は変化し、幼い頃のセリスの姿とほぼ同じになっていた。ふわふわした金髪。水色のドレス。しかし右手には白い杖。しかもその上部にはあのイトから預かった立方体がその頂点の一つを上にしてくるくると回っているのである。
はーっ。セリス2はため息を吐いた。
「なんで赤い光りに飛び込んだら、こんな不思議の国のアリスみたいになってるのよ」
「ここが不思議な国なのは間違いありませんし、あなたはアリスです」
メタアリスが真面目なのか巫山戯ているのか判別しづらい応答をした。
「確かに。不思議ではあるけど」
小波一つ無い灰色の水面。その水面の上にセリス2は浮いていた。
空は薄暗く太陽は見えないが、セリス2が自分の両手を見える程には暗くなかった。空一面から強くは無いが、視覚できる程度の光りがさしているようだった。
そして、セリス2の視線の先には、夢で見たのと同じ光りの柱があった。その柱と空が交わる空間だけは、光りの柱の色合いが反射しているのか、様々な色に染められていた。
「あれは空、じゃなくて天井、と考えた方が良いのかも」
セリス2は独りごちた。
光りの柱は山影の向こうに見える。水面と山影。その間に砂浜らしきものが見える。
「うーん。不思議な国、というより、不気味な国って方が合ってる気がするわ」
「しかしアリス。セリス2の形状がこのように変化する事は、非常に不思議です」
「そうね。六の外殻と同じナノマシンだから、形状変化は可能だけど、奇妙ね」
「内部データでは、形状の変更は記録されていません。この変化はセリス2の機能ではなく、別の要因、という事になります」
「この世界の影響ね。やっぱり不思議の国、になるか。」
きっ、とした視線を持っている杖に向けた。
「というか、なんでメタアリスが杖になってるのよ。なんのファンタジーよ!」
「私にも分かりませんよ。アリス。赤い光りを通過したら、セリス2の形状変化の結果、このようになっているんですから」
「しかも、よ。この杖、右手を開いても落ちないわよ」
「アリス、水面に落下するという危険性について考慮しましたか?」
「大丈夫よ。ちゃんと左手に持ち替えるっていうテストをしたんだから」
セリス2は杖がブルっと震えた気がした。
「そのテストも落下の危険性を排除できないと思慮します」
「実際、落下しないんだから問題ないわよ」
しばしの沈黙があった。
「アリス。どうやらこの杖、私の意識で移動させる事が可能なようです。動作範囲をテストします」
セリス2は頷いた。
セリス2が杖を離すと、杖はそこからセリス2の周りを旋回するように飛行した。
そして突然消えると、セリス2の右手の近くに出現した。
杖は旋回しては消えて、セリス2の右手の近くに出現する、という事を何度か繰り返した。
「アリス。どうやらセリス2の身長があの頃のセリスと同じとした場合、セリス2を中心に約五メートルの範囲内を自由に移動できるようです。その範囲を超えると自動的にセリス2の元に引き戻されるようです」
「なるほど」
セリス2は少し考え込むような仕草をした。
「もしかしたら、この世界、というより、その立方体が原因かも知れないわね。一定範囲で消えるのは、紛失防止機能?」
「アリスの考えに賛成です」
「イトは余程この立方体を大事に考えている訳ね」
状況把握はまずは十分か。さて、どこに行くべきか。
とアリスが考えていると、杖が回転し、光りの柱よりやや左の方向を指し示した。
「メタアリス、杖を操作した?」
「いいえ、杖自体が動きました」
「どこに移動したら良いか、と考えたら杖が動いたのよ」
「アリスもそう考えていると思いますが、その方向へ行けという指示だと思います」
「コンパスの役目もしてくれる訳ね」
セリス2は杖を掴むと、杖の示した方向に飛んだ。
■遭遇
セリス2は水面と砂浜の境界線まで来ると、砂浜に降りた。砂浜に気になるものを見つけたのだ。
「メタアリス、あれ、なんだと思う?」
セリス2は「あれ」を指さした。「あれ」との距離は充分に離れている、とアリスは思った。
「見かけはザリガニが脱皮した皮に見えますが、サイズ的には、セリス2より大きいですし、色が青いですから、地球のザリガニの脱皮した皮では無いと思います」
「いや、そういう比較じゃなくて『あれ』は何かと聞いてるのよ」
「アリス、分からないから知っている範囲で答えただけです」
ちょっとメタアリスの顔が見えたとしたら頬を膨らませているような声音だった。
「そうだよねー。正直、この世界、だんだん不思議の国、ってのが合ってる気がしてきた」
「アリス。一つ仮説があります」
「何?」
「セリス2の形状変化を含めての仮説です」
「教えて」
「はい、アリス。イトの立方体の機能として、この世界の現象を私達に理解しやすいように翻訳して伝えている。そして、私達をこの世界の何か、おそらく知性体に理解しやすく翻訳している。そういう機能だと仮定すると、セリス2の形状変化は、私達が認識しやすいように翻訳されたもの、と捉えられると思います」
「なるほどね。だからセリス2の内部データには形状変化の痕跡が無かった。そうすると、セリス2のそのままの形状でこの世界に居る、事になる」
セリス2は一旦沈黙した。
「違う。何か変化したけれど、その変化はあたし達には理解できない。だから、こういう変化をもたらした」
「はい。そして、あの青いザリガニの皮も何かの翻訳だと」
「何かの外部構造。外殻、みたいなもの」
「その可能性は高いです」
中身は、どうしたのかな。
そうアリスは考えた。だがメタアリスには別の考えを言う。
「つまり、この世界はあたし達が認識するには、何か困難な要素がある、という事」
「はい、アリス。この事は、これからの判断に影響します」
「う〜ん。まったくの別世界、という事になる。しかも、その翻訳をイトの立方体に依存してる」
アリスはイトの掌で踊らされている気がしてきた。
「アリス、イトが手伝ってくれている、と考えた方が気が楽だと思います」
セリス2はため息を吐いた。
「はあ、そうね」
突然、アリスの視界にマーカーが表示された。
「アリス、皮の近くに何かを見つけました」
アリスはマーカーの付いた箇所を見つめた。視界が拡大され、細部が見えるようになった。
「何か白いものが見えるわね。少し光ってるかな。人間のような形に見える」
「砂浜に残った跡を考えると、白い人間のようなものが、青いザリガニの皮の中身、と考えられます。そして、人間のように見える事から、何かの知性体を翻訳したものと」
「どうやら、あの白い人間に接触しろ、って指示みたいね」
「おそらく会話が成立すると考えられます」
アリスは心の中で自分が頭抱えているイメージが湧いた。
この立方体、どういうシロモノなの!テクノロジーが違い過ぎて訳分からないにも程があるわ!
セリス2は、その白い人間のようなモノの側へ飛んだ。
白い人間のようなモノは、うずくまっている状態から立ち上がると、セリス2の方を向いた。
少なくともアリスはそう思った。
「こんにちは。私はイズルです」
アリスは驚愕すると同時に、頭の奥に痺れるような感覚を覚えた。
何、このゲームみたいな展開。いきなり自己紹介する異世界人!
でもここはそういうルールだと思った方が無難。
と、現実的な考えに引き戻される。
「こんにちは。あたしはセリス2」
「セリス2、あなたは導き手、ですか?」
導き手、なんだろう。
アリスは返答を躊躇した。
「あたしは旅人です。つい先ほどこの世界に来ました。だからこの世界の道理をよく知らないの」
「そうなのですか。別の経路から来た誕生者、ですか?」
「誕生者、って何か分からないの。教えてくださる?」
アリス2はできるだけ丁寧に頼んだ。情報が必要なのだ。すでに分からない情報が蓄積しつつある。
「私は誕生者です」
そう言うと、イズルは水面を指差した。
「あの水の中を漂い、そして」
青いザリガニの抜け殻を指差した。
「あの保育器の中に宿り、生まれます」
あれって保育器だったの!
『アリス』
メタアリスが声を出さずに通話してきた。
『何?』
アリスも声を出さずに返答した。
『保育器について詳しく聞いてください。あれはどこから来たのか、再利用されるのか』
セリス2はイズルに聞いた。
「保育器についてもう少し教えてくださる?」
「私の知る限りでは、この知識も保育器の中で受領したものですが」
イズルの言う所によると、保育器は自動的に動く一種のロボットのようなもので、水を吸った保育器は動きを止めて、水からイズルのような誕生者を形成するとの事。
そして、保育器は新しい誕生者の予兆を検知すると、その水を捕獲しに移動する、と。
「保育器がどこから来るのか、その知識は受領していません。ただ」
「話してみて」
セリス2は先を促した。
「誕生者は、光りの柱を目指して進みます。途中、導き手の手助けを受けながら」
「だから、あたしを導き手、と思ったのですね」
「はい」
『メタアリス、この子と一緒に光りの柱を目指した方が良いと思うけど、どう?』
『はい、アリス。私もそう思います』
「あたしは導き手、じゃないけど、あなたの旅にご一緒しても良いかしら?」
イズルは少し黙った。
「あなたが誕生者でないので、一緒に旅をするのは難しいです。ただ行く方向が同じ、という事だったら、良いと思います」
「一緒に旅をするのは難しいって?」
「誕生者は自分の力だけで光りの柱まで行かなくてはなりませんから」
「なるほどね。旅を一緒にすると助け合う、という事になるのは困る、という事ね」
「はい」
「分かったわ。じゃあ、同じ方向へ行くけど、お互い手助けはしない」
「セリス2。私があなたを助ける分には、大丈夫ですよ」
「え、そうなの」
「はい。だからあなたの質問に詳しく答えられるのです」
なるほど、とアリスは思った。
行動規範が厳密に定義されていて、それを確実に守っている。
「じゃあ、イズルが先を進んで。あたしはその後をついて行く。で、いい?」
「はい。それで」
イズルはそう言うと、光りの柱に向かって進み出した。
アリスにはイズルの進みは、人間の歩行と同じように見えた。ただ、足元と砂浜の境界線が曖昧で、ぼんやりした様にも見える。
『これも翻訳の結果、って事ね』
『はいアリス。それと私達がイズルの手助けを禁止されている理由も、直接の接触を禁止する、という内容も含まれていると思います』
アリスに一つの疑問が浮かんだが、まあ、そうなった時に分かるわ、とそれをメタアリスに伝える事は無かった。
こうして、光りの柱を目指す、奇妙な旅が始まった。
■集落
イズルの後をセリス2が進んでいくと、砂浜を越えて、草原に入った。そして更に進むと、どう見ても集落、としか言いようの無い場所になった。家々は、粗末な作りで、簡単に木を加工して作られているように見える。
「セリス2。ここで鎧を纏います」
イズルはそう言うと、一つ家屋の中に入って行った。
『誕生者の中継地点、みたいね』
アリスは感想を言った。
「お待たせしました」
家屋から出てきたのは、青いザリガニだった。声音からイズルと分かるが、それが十分に理解されるまで、セリス2の双眸は見開いていた。
『に、二足歩行する青いザリガニよ!本当に不思議の国だわ!』
『どうやら青いザリガニの外骨格を纏った様ですね。保育器と形状が似ていますが、甲羅が厚い様です』
『その辺が鎧、というのを明示しているのかも』
青いザリガニをよく見ると、ザリガニの頭部がヘルメットの様にイズルの頭に被さっており、脇の部分などイズルの体が見える箇所が所々あった。完全に覆っている訳ではなさそうだった。
「なぜ鎧を纏うの?」
「この先、危険を伴う場所を通るからです」
「敵?」
「いいえ、捕食者です」
セリス2の双眸は再び見開かれた。
「大丈夫です。セリス2は多分襲われません。食べられるのは誕生者です」
「その鎧で捕食者の攻撃、防げるの?」
「大体は」
「もしかして、あなたの旅って試練みたいなもの?」
「そうですね。受領した知識だと到達率は七割前後です。試練と言えると思います」
「大変ね」
「いえ、捕食されたら、また、水に戻り、保育器に入り、繰り返しますから、いつかたどり着きます」
「そうなの!」
「ただ、その前の記憶は無くなるので、完全に同じ個体、とは言えないかも知れませんが」
アリスはなんだか頭がクラクラした。
「それも保育器で受領した知識?」
「そうです。それと、私には一度捕食された印があります」
そう言うと、イズルは右手に当たるハサミを持ち上げた。脇から鋏までの間の皮膚に、切り傷の様な痕が一つあった。
『不思議な国ですが、過酷な旅でもある様ですね。アリス』
メタアリスが感想を述べた。
再び、青いザリガニの鎧を纏ったイズルの後をセリス2がついて行く。
集落を出てしばらく進むと、どうも火山地帯と思われる場所に来た。大きな岩がゴロゴロしている。それに少し地熱を感じる。蒸気が噴出している箇所もあった。
『ねえ、なんか、山影近くなってない?』
『移動時間と推測する移動距離からすると、計測した山の位置と大幅な違いが出ています』
『やっぱりね。距離、もしかしたら時間も翻訳されてるのかも知れないわね』
アリスとメタアリスがある意味脳内会話していると、イズルが振り返った。
「セリス2。ここから先が捕食者のテリトリーです。私が襲われても気にせず放って置いてください」
セリス2は、少し唇を窄めると「分かったわ」と答えた。
『そんなコト、できるワケ無いでしょう』
『アリス、それがこの世界の仕組みです』
『分かってるわよ、メタアリス。ただ内心を吐露しただけよ』
『アリス』
アリスの視界に、マーカーが表示された。アリスがそこに意識を向けると、拡大される。
『何、あれ』
『脚が生えた魚の様です。脚の数は六本。形状が人間の足に酷似しています。口から鋭い歯が覗いています。サイズは全長三メートルと推定されます』
アリスもそれを見た。
なんだか深海魚みたい。それに左右の目が、別々に動いてるし、足もバタバタ動いてる。奇怪だけど、なんだか滑稽。あの歯には噛まれたくないわね。
などという思索を短時間に行い、アリスは即座に打ち切った。
急いでセリス2はイズルに尋ねた。
「ねえイズル。何だか変なのがあそこに居るんだけど、何かな?」
イズルがセリス2の指差す方向を見た途端、ビクッと体を震わせた。
「捕食者です」
「あれが」
「一旦ここで別れましょう。私が生き残ったら、合流します」
セリス2は下唇を噛み締めた。だが直ぐに頷くと、少し後ろにある岩陰に隠れた。
『アリス、質問する形で捕食者の位置を教えたのは良い判断でした』
『でも、これから先、打つ手が無いわ』
『イズルの出方を見ましょう』
『……』
見ているだけだなんて。そうアリスは思った。
イズルは身を屈めて進んでいる。身を屈めると青いザリガニが這っている様に見える。
『アリス、鎧の防衛面積が拡大して、イズルの全身を覆うように変化している様です』
イズル進んでいく。
捕食者の向きが変わった。
怪異な見た目と裏腹に、その移動は俊敏だった。6本の脚を動かし、イズルへと高速で向かっていく。
アリスはセリス2には存在しないはずの心臓の拍動を感じた。
捕食者はイズルを丸呑みにしようと口を大きく開いた。口の付け根の蛇腹状に畳まれた構造の部分があり、その先に口がついている。その構造が展開され口が前方にせり出した。口は頭部と同じくらいの大きさに開いた。
迫る捕食者の巨大な口。
イズルの右手のハサミが右に振られ、その口を横から殴る。
伸びた蛇腹状の構造がイズルの目の前に広がる。
左手のハサミが伸ばした蛇腹状の構造の薄い皮膜を切り裂く。
捕食者の動きが一瞬止まった。
捕食者は口を畳むと、ジリジリと後退した。
イズルが両手のハサミを構えて前に出た。
捕食者は逃げ出した。逃げ足も早かった。
セリス2は思いっきり溜めた息を吐き出した。
「イズル!」
イズルはうずくまった状態から元の姿勢に戻ると「セリス2。なんとか無事です」と言った。
セリス2はしばらくイズルを見ていたが、やがて両手でスカートの裾を持ってお辞儀した。
「では、先を進んでくださいませ」
イズルは黙って向きを変えると進み始めた。
『アリスは意外とロマンチストなのですね』
『意外と、は余計よ!』