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壁画の異変

 この物語は、巫術師玄雨雫シリーズの6作目です。

 過去の物語と密接に結び付いているため、「安寧の巫女」「竜使いの巫女」「結び目の巫女」「理の巫女」「星の巫女」の順にお読み頂いた後、読まれる事を特に強くお勧め致します。

 この話から読まれる方のために、人物・用語の項目をご用意しました。

 かなり簡略な説明となっていますし、それ以前のお話のオチが分かってしまう可能性もあります事をご留意ください。


■人物・用語

玄雨くろさめ

 女神。数百年前から生きている不老不死の巫女。自称「日の本の国の神」。

 巫術を操る。占いの達人。

 玄雨神社舞舞台にて、日々、世界の安寧を司どる安寧の霊脈に舞を奉じる。

アリス・ゴールドスミス

 女神。生まれ変わり生き続ける者。自称「西洋の女神」。

 頭脳明晰。スタイル抜群の金髪美女。マッドサイエンティスト。

巫術とは

 このシリーズで言う「巫術」は、一般のものとは少々異なる。

 この世界には「霊脈」という一種の情報・エネルギーの流れがあり、それを体内の「気脈」を操る事で干渉し、多数の事象に干渉する技を意味する。

 玄雨流巫術では、舞を舞う事でこの技を行う。

時の女神

 時空を操る巫術を行える術者が女神となった場合の呼称。

 タイムリープや時間を巻き戻すなど時空間に干渉する巫術を行う。

あかり

 女神。光の双子の姉。母の子宮内から時空を超えて現れた。

 数々の試練を超えて、玄雨神社一番の「時の女神」。

 神としての名は「玄雨灯」、通り名は「時の守り神」。

 身体年齢は6歳。実年齢は不明。

 女神。灯の双子の妹。灯が光の時の女神としての資質を持っていったため、人として生まれるが、後に女神となる。当代の時の女神。

 身体年齢は12歳くらい。実年齢は二十代前半。

セリス

 本編には登場しないけれど、説明に必要なのご紹介。

 玄雨雫の弟子。アリスの子供で後にアリスとなった。通常は消えるはずのセリスの人格は残った。

アオイ・ゴールドスミス

 女神。女神としての名は「玄雨葵」、通り名は「星の女神」。

 セリスが産んだ双子の一人。セリスの人格はアカネへと移る。

 身体年齢は10歳。セリスの人格と記憶を受け継いる。

アカネ・ゴールドスミス

 女神。女神としての名は「玄雨茜」、通り名は「竜の女神」。

 セリスが産んだ双子の一人。髪の色はいつもは黒だが、巫術を使う時赤くなる。

 身体年齢、実年齢共に10歳。

りく

 異星の人工知能。

 初期の姿は、背に笹の葉のような形の六枚の羽のようなもの。そして頭部には、ミルキークラウンのような六つの突起のある純白の人の形。

 今は、色は白いままだが灯とほぼ同じ姿になっている。

メタアリス

 付喪神。

 元はアリス・ゴールドスミスが開発した人工知能。情報伝達に霊脈を使用。

ミア

 竜の星という別の惑星に住む竜人。

 竜人は竜から進化。

 ミアは竜人の中でも巫術が使える特殊な存在。

キュイ

 「マナの箱」と呼ばれる竜人が使う特殊な箱から生まれた存在。

 竜人は妖精と呼び、その姿は、小さい光の塊。

竜の星

 大部分が海で覆われた惑星。海には竜が住んでいる。

 ミアが住んでいる島には物語上重要な洞窟があり、そこには女神の伝説を描いた壁画がある。

天の竜

 六達が恒星間移動するためのワープゲート。光を反射しない漆黒の巨大な円盤。

 それを竜人達は「黒い月」と呼んでいる。

 生命体は天の竜を通過できない、とかつて六は語った。

ケルク

 元は妖精。六の予備の体に入り、初期の六と同じ姿になった。

 「見守るもの」と名乗っている。

イト

「塩の石臼」の代理人。

塩の石臼

 この世界は「時の線」と呼ばれる時空連続体がいくつも枝分かれした並行宇宙で出来ており、それらがまるで鞠のように球になっている。

 その中心にある世界の制御機構のような存在。

 光がその存在を「塩の石臼」と呼び、その名が定着している。

時のはざま

 時の線の外側の空間。時の女神と同等の能力を持つ者以外、侵入も移動もできない空間。

「本」

 塩の石臼が多数の世界にいた問いかけ。それを「本」と呼んでいる。

「本」には怪異を起こす力があり、玄雨神社は「本」の回収を塩の石臼から依頼されている。

太陽の事件

 前作「星の巫女」で起こった事件。

 この事件の解決時に雫は奇妙な夢を見る。

 その夢の断片はアリスが記録し、雫とアリスはその断片を見る。

 見終わったアリスはその夢のデータを消去した。

結び目

 時の線が絡まりまるで結び目のようになった時空間。とても危険な状態。

■プロローグ

「此度の事件だが」

 雫は少し遠い目をしてそう言った。

「人の、いや、この世界の知識、あるいあ認知を超えた、超えたと例えるより、異なる、と言った方が適切か」

 いつに無く歯切れの悪い雫の言葉に、いつもだったら速攻で突っ込んでくるはずのアリスが、何故か静かにうなずいていた。

「そうね。確かに」

 その様子に、玄雨神社舞舞台下手袖に集まった巫女達は、戸惑った様子を見せた。

「まず、此度の事件を話す前に、注意して欲しい事がある」

 雫の言葉ば淡々としているが、何か怪しく、捉え所がない。

「私とアリスは、あの世界に行った。だが、そこで見聞きした事は、その段階ですでに翻訳されたものだったし、こうしてこちらに戻って来た段階で、更に翻訳された物として記憶されている」

 そこまで話すと、雫は一旦言葉を区切り、お茶を飲んだ。

「そして、話す段階でまた、翻訳が入る。都合三度の翻訳が入るため、実際のあの世界を決して正確に描写しない。その前提で聞いて欲しい」


 物語は、この雫の謎解きから一週間程遡り、竜の星の壁画から始まるので御座います。


■壁画の異変

「ねえ、ミア」

 ミアの周りをゆらゆらと回っている妖精のキュイが言った。

 辺りは暗い。

 ミアは伸ばした手を一旦止めた。

「邪魔しないで。集中してるんだから」

 キュイの方を振り向いて、少し怒ったようにミアは言った。キュイの光りは少し震えた。

「だって」

「妙な感じがしてるんでしょ?だから確かめたいのよ」

 ミアとキュイはあの洞窟に居た。女神の伝説の壁画、それがある洞窟に。

 ミアは指を伸ばし、壁画のその部分に触れるか触れないか、という位置に指先を留めた。

 キュイはミアの指先と壁画の間に、何かが相互に流れるような感じを覚えた。

「あ!」

「どうしたのミア」

 ミアは急に声を上げて、指を引き戻した。キュイが声をかけた。ミアが指先をさすっている。

「何か、急に熱くなった、って思ったの。少し痛い」

 キュイはミアのその指先あたりをゆっくりと飛ぶ。少し皮膚が赤くなっている、とキュイは思った。

「あ!」

「今度はナニ?」

 再び声を上げたミアの顔の方にキュイは飛ぶと、文句を言った。

「見て」

 キュイはミアの指差した先を見た。先程ミアが指を伸ばしていた場所だった。

「赤く、光ってる?」

 キュイは少し呆然とした感じで言った。何かおかしな事が起こっている。そう思った途端、キュイの光の輪郭はブルブルと震えた。

「何か、起こってる」

 ぼんやりした口調でミアはそう言うと、急にハッとしたような顔になる。そして、体をひるがえす。

「ミア!」

 ミアは洞窟の外に向かって走り出していた。置いてけぼりを食らったキュイが後を急いで追う。

「見守るもの様に、お知らせしないと!」

「女神様じゃなくて?!」

「『本』が無いと、女神様には伝えらない」

 そうか、とキュイは思った。女神の印が光っていないから「本」は無い。「本」が無ければ女神様に知らせる方法は無い、だから。

 洞窟の外に出たミアは、腰のポーチに仕舞っていた舞扇を取り出した。

 舞扇を水平に広げ、下から上へと、動かす所作をする。

 霊脈の柱が空に向かって噴出した。

 空には竜の作るオーロラと星々。そこに霊脈の柱が加わった。

「ミア!」

 ミアが霊脈の柱を見上げていると、キュイが目の前に飛んできて下に、そして左の方へ飛んだ。

 その方向を見ると、先ほどまで誰もいなかったその場所に、見守るもの、ケルクが立っていた。

「見守るもの様、異変です。女神様に伝えてください」

 ミアは洞窟の壁画の一部が赤く光っている事をケルクに伝えた。ケルクはミアの様子でそれが緊迫した事態だと知った。

「ミア、私は女神様に伝える方法を知りません」

「そんな」

 ケルクの言葉にミアの緊張は高まった。

「ですが、女神様は異変を察知なさるでしょう。きっといらっしゃいます」

 そうだった。

 ミアは思い出していた。上位の女神玄雨雫の事を。そしてその舞を。

 必ず女神様はやってくる、ミアもそう確信した。

■アカネ急ぐ。

 玄雨神社の朝は早い。

 アカネは目を覚ますと、毎朝雫が舞う舞舞台へと急いだ。

 例によって下手袖ではアオイがお茶の用意をしている。

「お母さん、雫さんは!」

 お茶の用意をしている手を止めてアオイは答えた。

「雫師匠は、まだいらしてないわ」

 そこでアオイは少し妙だと気が付いた。普段なら雫はもう来ている時刻のはずであった。

「あのね!変な夢を見たの!胸騒ぎがするの!」

 オアイはアカネをじっと見つめると、小さく頷いた。アカネは喋る。

「竜の星の夢、なんだけど。壁画の洞窟、そこが妙なの。まるで」

 そこでアカネは言葉を区切った。言葉を探すように。

「まるで、時が渦を巻いてるみたいに」

 アオイが息を呑んだ。

「結び目……?」

 アカネの言葉にアオイが小さく言った。その声音には僅かながら恐怖が混じっていた。

「わかんない。でも、悪い予感がしたの。それで雫さんに」

 アカネの目は真剣だった。だがその顔色は、やや青ざめていた。

 二人は頷き合うと、雫の部屋に向かった。

■雫眠る

 雫の部屋の障子を開けると、雫は眠っていた。そしてその両脇に、灯、光の二人が居た。

 二人は障子が開いたのに気づくと、視線を向ける。

 四人の視線が交差する。

 アオイ、アカネは気が付いた。灯、光が気脈を雫に送っている事に。

 灯、光は気が付いた。アカネの髪の毛先の色に。部分的に赤い所がある事に。

「竜の星」

 光とアカネの声が重なった。

 灯とアオイは頷き合った。

「私と光は、雫さんの気脈が薄くなった気がしたから、来てみたら」

「雫さん、まるで太陽の時みたいに、それ以上に、遠くにいるような感じになっていたんです」

 灯と光が続けて言った。

「あのね、光お姉ちゃん。竜の星の夢を見たの。あの壁画の洞窟の、青い丸のところ。その近くから、何か時が渦巻いているみたいなのが滲み出てる、っていう」

 灯と光の双眸が見開かれ、顔に緊張が走った。

「結び目?」

 アオイと同じ言葉を二人は発した。

「わからない。でも、何か」

 光はアカネが怖がっている事が分かった。

「お姉ちゃん、アリスさんに」

 光の言葉に灯は頷いた。立ち上がると、短い舞を舞う。そして消えた。


■作戦会議

 アリス、灯、光、アオイ、アカネ、六が舞舞台下手袖に集まった。姿は無いがメタアリスも当然参加している。

「流石に、こんな事態は初めてだわ」

 座の議長席っぽい位置に座っているアリスが、やや呆れた感じで言った。

「大抵の事件は、雫が中心になって解決するパターンじゃない。その雫が」

 最後の方はやや心配な感じになっていた。そして雫の部屋の方を向くように振り向いていた。

「今の所は、問題無いと思います」

 アリスは灯に視線を向けた。灯は続けた。

「ただ、このまま眠り続けると」

「分かってるわ。安寧の霊脈にさわりが出る」

「はい」

「困ったわねぇ」

 アリスはため息を吐いた。

 バネが弾けるように立ち上がったアカネ。怒ったように言う。

「ママ!『困ったわねぇ』じゃないの!竜の星のコト!」

「そうねー。分かったわ」

 そう言うと、アリスは立ちあがた。

「安寧の舞の件」

 アリスは灯を見た。

「灯ちゃんが代行。出来るでしょ?」

 灯は頷いた。

「竜の星の件」

 アカネが射るような視線をアリスに向ける。

「アカネちゃん、光ちゃん、六の三人で竜の星の調査。出発は、ええと」

 僅かに考えた後、アリスは続けた。

「今日は新月だから、新月が南中した時。つまりお昼ね。まああたしは占えないから適当だけど、今まで雫は大体月の位置で決めたみたいだから、これで良いと思う」

 アカネ、光、六の三人は頷いた。

「で、情報収集したら、また作戦会議。その間にあたしは次の最悪の場合のプランの用意をする。アオイ、手伝ってね」

 アオイは小さく頷いた。

「アリスさん」

「どうしたの、灯ちゃん」

 灯は真っ直ぐにアリスに視線を向けていた。

「私も竜の星に行った方が良いと思います」

 アリスは同意を示す表情になった。

「安寧の舞は朝舞うから、昼なら行ける、か」

「はい。それに、もし、霊脈絡みで何かあったとしたら」

 アリスは少しばかり真剣な顔つきになった。

「前回みたいに時の間からと、洞窟の内側からの両方で見る必要がある、と思うのね?」

「はい。その時は、光が私の代わりに。私が雫さんの代わりに」

「分かったわ。竜の星の異変の調査、調査隊長は灯ちゃん。良いわね!」

 灯、光、アカネ、六の全員が首肯した。


■作戦会議その二

「じゃ、竜の星の壁画、その調査結果を教えて」

 舞舞台下手袖のアリスが言った。

 アリスの作戦通り、その日の正午近くに竜の星への調査が行われたのだった。

 その調査から戻った灯、光、アカネ、六。そしてアリスと共に戻ったアオイ。

 そのメンバーで作戦会議が開かれていた。

「壁画ですが、青い丸の隣の黒丸のその隣の小さい丸の箇所から異常な素粒波が検出されており、可視領域では赤く光っている、と観測されました」

 六に続いて、灯が言った。

「光に問題の箇所の周りに気脈を伸ばして貰い、私が時の間のその箇所を見ました。けれど以前のような時の霊脈はありませんでした」

 アリスは頷いた。

「やっぱりそうよね。だって雫が洞窟を清めて『本』が重ならないようにしたんだから」

 灯も頷く。そして言った。

「ただ、光の気脈が示すその黒い丸があるはずの箇所、時の間には」

 アリスは嫌な予感を覚えた。

「無かったんです」

 灯は寒気がするように小さく首を振った。

「気脈は重なっていました」

 洞窟にある空間、それが時の間では存在しない。

 アリスの顳顬こめかみを少しの汗が流れた。

「洞窟を調べた後、竜の星全体で異変が無いか確認するため、ケルクと話をしました」

 アリスはますます嫌な予感を覚えた。

「ミアが異変を感知した時刻に、ユニットに素粒波の異常検出がされていました。二箇所の」

 アリスの双眸が見開かれた。

「に、二箇所?一箇所は洞窟として」

「はい、アリスさん、一箇所は洞窟、もう一箇所は」

 六が巫女全員をゆっくりと見回した。そして言う。

「もう一箇所は、天の竜の近くの空間でした」

 ざわり。

 玄雨神社舞舞台下手袖の空気が、鳥肌立たせる何かを纏った。

「その空間付近に位置を変えて直接観測しました。確かに素粒波が観測されました。そしてそこでも可視領域で赤い光りが」

「あったのね」

 アリスがボソリと後を続けた。

 嫌な予感が当たった、そうアリスは思った。

 アリスは姿勢を正した。巫女たち全員の視線がアリスに注がれた。

「ちょっと仮説があるのよ。少し長いから、最後まで聞いてから質問してね」

 そう前置きすると、アリスは仮説を説明し始めた。

「まず、太陽の件で雫が眠っている間に見た夢の記憶、雫に断片を見せた後、消去したの。でも私も見てる。そして」

 アリスは一旦言葉を区切った。

「今回の竜の星の異変があったタイミングで、あたしも妙な夢を見たのよ。雫に見せた夢の断片みたいなのを。それはメタアリスが記録してる。その段階じゃあ、まさか関連性があるなんて思ってなかったけど。念には念を入れるのがあたしのやり方」

 アオイが頷いた。アリスがそれを見て、軽く頷き返す。

「まあ、実際はあたし自身で竜の星に行ってみたい、というのが本心なんだけど、ってのから派生した計画があったのよ。それが、見た夢で必要になる、と確信したから、準備を進めた。仕上げをアオイに手伝ってもらって、ね」

 アリスは、隣に置いてあった高さ五十センチ程の滑らかな白い箱の上部を触った。箱の前面が上にスライドして開き、中に入っているものがあらわになった。

 それは、正しく人型のロボットのようなものだった。ただ、表面は白く、関節の継ぎ目は無い。形状は違うが派遣者の姿の時の六のような印象だった。そして顔には目鼻も無かった。例えて言えば、デッサン用のモデル人形のような頭部だった。

「六から貰った論理やデータ、それに雫が行った霊脈を使った気脈通信」

 光は、あの雫に取り憑かれたように感じた時の事を思い出した。

「それを使って、あたしの気脈をこのセリス2に結んで、セリス2を竜の星に送る、という計画」

「アリスさん、セリス、2って」

 その光の言葉に、アオイはちょっとはにかんだような笑みを浮かべた。

「私達を産んだ私の名前が、セリス」

 そうアオイは言った。

「あたしの娘」

 アリスは言った。

「だからその名に2を付けたのよ」

 アリスの目は少し遠くを見るような気配を漂わせた。

「で、アオイにあたしの気脈をこの子」

 とセリス2を指差す。

「のコア、つまり高圧縮の霊脈で、メタアリスの分身と結んだのよ」

 そう言うとアリスは目を閉じた。

 箱からセリス2が歩出た。

「この体は生体じゃない。だから天の竜も通過できる。通信は霊脈経由だから、空間は関係ない。天の竜と同等の空間の隔絶も通過できる」

 セリス2から、アリスの声が聞こえた。セリス2は周りを見回しながら話した。

「ただ問題があるのは、あたしがセリス2と同期している間、あたしの体は眠った状態になるのよ。それで困った問題が起こる」

 セリス2の動きが止まった。アリスが目を開けたのだ。

「あたしが地球を離れるとサーバントとのリンクが途絶えるのよ」

 サーバントはアリスの部下達だ。彼らは意識を共有しており、その意識とアリスはリンクしている。サーバントは世界各地に派遣され、アリスの世界秩序の維持のために働いている。

 司令塔であるアリスとのリンクが途絶えると、サーバント達の行動は統率がとれたものでは無くなる。つまり世界秩序が崩壊するのだ。

 光が目を見開いた。

「それって、ものすごく不味いんじゃ!アリスさん!」

「そう、とても不味いわ。あたしが構築した世界秩序が崩壊しかねない」

 アリスは視線を上方の虚空に向けた。

「はい、アリス。説明してもよろしいでしょうか?」

 メタアリスの音声が響いた。

「ええ、お願いね」

「説明します。アオイの業でアリスと私の、気脈、を結びました。アリスが眠っている間、私がアリスの体を操作して、サーバントリンクを維持します」

 一同、六と事情を知るアオイを除いて全員が目を見開いた。灯でさえも。

 アリスはちょっと微妙な表情をしている。

「体を操作って、ちょっと、なんだけど、まあ、そういうコトよ。実際どんなのか実演した方が良いかな」

 そう言うと、アリスは目を閉じた。途端にセリス2が動いて、続きを言う。

「今、あたしの生体は眠ってる。これからメタアリスが、入る。まあ、意味的にはちょっと違うけど、操作権を握るとかより気分が良いわ」

 アリスの目が開く。ただ表情が薄い。アリスらしくない。別人のように見える。

「メタアリスです。付喪神がアリスに憑依した、ようなものでしょうか。高度に発達した巫術科学は、いにしえの魔術と区別がつきませんね」

「何、クラークの名台詞みたいに言ってるのよ。まあ、付喪神が憑く、というのは言い得てるけどね」

 その時、すう、と息を吸う音がした。

 全員の視線がそこに注がれた。舞舞台中央に、イトが居た。

 塩の石臼の代理人のイトが。

「メタアリスさんが付喪神となり、アオイさんが女神となり、雫さんが見た夢、その鍵とも言えるその夢。それをアリスさんが見た」

 イトが名を呼んだ一人一人を見つめながらそう静かに言った。

「此度の事は『本』とは関わりの無い事とお伝えししに参りました。そして」

 そう言うと、イトは箱を取り出した。どこからか、誰の目にも分からなかった。イトが両手を前に出すとそれが現れていた。

「この品をアリスさんにお渡しするため。赤い光りの先に行かれる際、お持ちください」

 イトは箱を床に置くと、消えた。

 緊張した静寂が玄雨神社舞舞台を包んでいた。

「何!何!ちょっと待って。塩の石臼が手を貸すほどの大事、ってコトなの、今回の事件!?」

 もうこれ以上無いくらいの狼狽ぶりで、セリス2が大声を発していた。もし顔に表情があったら、双眸は目尻が切れて血を流す程だった事だろう。

「アリスさん!それよりイトが言ってた『赤い光の先に』って言葉!」

 セリス2は光の方を向いた。

「それは分かってる。仮説を説明する中で言うつもりだった事。竜の星の壁画の謎、青い丸は竜の星、その隣に見つけづらい黒い丸が大小一つずつ。大きい方は天の竜。小さい方は謎だったのよ。でも、今回、その意味が分かった」

 光は唾を飲み込んだ。

「黒い丸は精査しないと分からないくらい微妙な凹凸で描かれていて、竜人がそれを見つけられる域まで発達したら、意味がわかる仕組み、という推論はできていたけど」

 六が言った。

「意味が分かる仕組みではなく、動作する仕組みだったようです。その域とはミアのような素養のある竜人が巫術を使えるようになる、という事だったようです」

 セリス2は六に頷いた。

「そう。よく分からないけどその装置、多分、雫が言うところの自動発動する巫術で、それが動作を開始したという事だと思うの。あの小さい黒い丸は認証と動作開始のスイッチだったのよ」

 そう言うと、セリス2は動きを止めた。と同時にアリスに表情が戻った。

「もう、謎解きの最後の良いところをイトにさらわれちゃったわね」

「アリスさん、謎の途中が抜けてて、さっぱり分からないですよ!」

「良いわね、光ちゃん。じゃ、その辺を」

 微笑んだアリスはそう言うと、首の後ろに付けているデバイスに触れて操作した。

「メタアリス、全員の気脈と結んで」

 巫女達の視角に、暗い空間が出現した。ちょうど座の中央に。

「メタアリスが付喪神になったから、電子的な接続じゃなくて気脈ベースの接続ができるように調整したの」

 い、いやアリスさん、それって巫術なんじゃ。

 と光は思った。高度に発達した巫術科学、魔術じゃなくて巫術そのものだよ!とも。

「いい、あたしの見た夢。そのまま流すから見ててね」

 黒い空間に、赤い光が現れた。そしてそれが拡大する。光の色が変わり、色とりどりの光の帯がこちらに伸びており、その消失点に向かって進んでいるように見える。

 そして、急に画面が変わると、暗い空、波のないような、あっても分からなくらい静かな水面。それが広がっている。視界が移動すると、遠くに光りの柱があった。

 光りの柱はいく本もの様々な色合いの細い柱で構成されているようだった。

 そして、急にコマ送りのダイジェスト版のような映像が数秒続くと、また黒い空間に戻った。

「初めの光の帯って、もしかして」

「そう。赤い光りに入った後見えた光りの帯、あれは遠くに見えた光りの柱、だと思う。そしてその後の断片的な映像、あれが、雫から取り出した夢の断片と、同じだと思う」

 呟くような光の言葉にアリスが答えたのだった。

「今回、初めの部分だけ、断片的じゃない夢になってた。きっと手がかり、と思ったのよ。そしてその風景、地球でも竜の星でもない、別の場所」

 アリスはそこで、言葉を区切った。

「だから、そこに行くには、天の竜を越えるのと同じ準備がいる。そして、みんなが調べてくれた情報から、その入り口が天の竜の隣の赤い光りだと推理されるわけ」

 アリスは笑顔を作った。

「推理だけだと心もとないけど、イトがご丁寧に答えを教えてくれた、からね」

 玄雨神社舞舞台下手袖に、小さい風が吹き抜けた。


■イトからの贈り物

 アリスの「イト」という言葉で、巫女達の視線が舞舞台中央にある、その箱に向かった。

 アリスは立ち上がると、舞舞台中央に進み、その箱を手にした。そして元の座に戻った。

 箱は立方体で一辺が十センチ程。色は薄い灰色。表面に凹凸は無い。それ程重くはなさそうだった。

 アリスはその箱のすべての面、辺をあらためると、胡座をかいている足の間に置いた。雫が居れば「行儀が悪いぞアリス」と叱っているところだが、雫は居ない。

「どうも開く、というのは無理っぽいから、この箱自体が重要なのかもね」

 アリスは初め中に入っている何かが重要なのだろうと考えていたようだ。

 アリスは目を閉じた。セリス2が動き出し、アリスの両脚の間の箱を手に取る。そして胸元に付けると、それはセリス2の中に取り込まれた。

「こうしておけば、まあ、無くす事はないでしょ」

 セリス2がそう言い終わると、アリスは目を開けた。

「メタアリス、箱の内部解析できた?」

「アリス、残念ながらイトの言う『空間的に隔絶されている』状態のようです。内部は解析不能です」

「そうなの。という事は、箱は入れ物で、やはり中に何かある、という可能性は捨てきれないわね」

「はい、アリス。私もそう演繹します」

 アリスは光がじっと見つめている事に気がついた。

「何?光ちゃん」

 光は、僅かの間少し言いづらそうにしたが、口を開いた。

「今回の事、あたしの、その、もう一人のあたしの記憶、というか、そういうのと合わせて思いついた、いえ、思い至った事があるんです」

「もう一人のっていうのは、結び目の部屋の光ちゃんの事ね」

「ええ」

「そうか。塩の石臼の事、ある意味、直接会った雫を除けば、一番詳しいのはその光ちゃんか。塩の石臼の命名者だものね」

「光」

 灯が光の手を握った。

「大丈夫。光の思い至った事を言えば良い。今は情報が大事」

 光は姉に頷いた。アリスの方を向く。

「今回の出来事ですけど、きっかけは太陽の事件で雫さんが見た夢。そして今回、その雫さんが眠ってしまい、同時にアリスさんが、その夢を見た」

 光はアカネに視線を向けた。

「そして、アカネちゃんが竜の星の夢を見た。全部夢で繋がってるんです。そして、結び目の部屋の光は、いつも眠って夢を見ていた」

「その夢に、塩の石臼が」

 アリスの言葉に光は頷いた。

「ええ。そして塩の石臼の代理人のイトが急に現れ、その箱を託した」

 光の視線の先には、セリス2があった。

「私が思い至ったのは、こういう推論です」

 そう言うと、光は一旦口を閉じた。

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