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21.再会

あの輝くエメラルドグリーンから目が離せなかったのは何故だろう。


彼の背中を見送りながら愚にもつかない疑問を抱いていたセルマに、ライナーが声をかけた。


「突然で驚かれたでしょう?飲み物を取りに行ったら彼に捕まってしまって」


彼はそう言いながら持っていたグラスのひとつをセルマに手渡した。


「ライナー様と殿下はご学友でしたものね」

「それはそうですが、公の場ではあまり話をすることはありませんよ」

「まぁ、そうなのですか?」


「彼はレドリアの次期国王で、わたしはしがない貴族の次男ですから立場が違いすぎます。ですが、今日は殿下から貴女を紹介してほしいと言われて」


「わたくしを?」

セルマの驚きにライナーも驚いた。


「殿下と面識がおありかと思っていたのですが」


「いいえ、まさか。先ほども申しましたがイグレシアは伯爵位、自国の王族との接点すらございません。そんなわたしがレドリア王太子殿下と関わる場面などありませんわ」


「そうですか?でも殿下は確かに、イグレシア伯爵令嬢と話がしたいとおっしゃって」


彼は一体どこでセルマのことを知ったのだろう。


セルマはただ旅行を楽しんでいるだけで、レドリアの王族の目に留まるようなことはしていないはずだ。

それに入国から接しているのはライナーとクリスティーネだけで、彼女の素性を知る者が多いとは言えない。


ヘンドリックがどうやってセルマの情報を得たのか、何の目的があって接触してきたのか。


疑問は浮かんだもののその答えを持っていないのだから、考えても仕方がない。


それよりもここは物語のモデルとなったレドリアの王宮。この場に来られたチャンスを楽しまなければ損だ。


「ライナー様、会場に戻りましょう」

「せっかくですから料理をいただきませんか?」

「言われてみれば少しお腹が空きました」


参りましょう、とセルマは明るく言い、ライナーと連れ立って会場へと戻っていった。





セルマがレドリアに来てひと月程が経ったその日も、彼女は時計塔を訪れていた。

言葉に不自由はなく何度も来ていることもあって、この日のセルマはひとりだった。



時計塔から見るレドリアはいつ見ても素晴らしい。

今日は薄曇りの天気ではあるが、合間に見える控えめな青空はいつも違うレドリアを演出していた。

眼下に広がる街には多くのひとが行き交い、活気に溢れている。



エミリオが領主に返り咲いてから、セルマも彼と一緒に何度か領地に行っている。


ふたりの私財は領民の生活の為に優先的に使うようにしてはいたが、やはりそれだけの財で賄えるような規模ではない。

生活に疲れた顔を見せている領民たちに申し訳なく思ったものだ。


それでもいつか、このレドリアの人々のように笑顔を取り戻してくれるに違いない。その為に、自分は何ができるだろう。

イグレシアの為になる婚姻を結ぶことを考えてきたセルマだった。しかし婚約破棄をされた、それも行き遅れの年齢となったセルマに良縁は難しい。


レドリアでは女性の労働も受け入れられている。王宮の夜会で知り合った婦人の中には店を経営したり、貿易に携わっている人たちもいた。


彼女たちは皆、働くことに誇りを持っており、セルマのように夫人の話し相手(コンパニオン)という隠れ蓑など用意せず、堂々と職業婦人を名乗っていた。


キラキラと輝く彼女らにセルマは純粋に憧れを抱いたのだ。



自分も仕事も持って労働に勤しむ人生を歩みたい。



スティナ王国でそれを実践しようとすれば、きっと険しい道のりになるだろう。

だとしても誰かが第一歩を踏み出さねばならない。それは自分がなすべきことではないだろうか。



「またお会いしましたね」


思いにふけっていたセルマはその声にはっとし、顔をそちらに向けた。


「あなたは」


それは最初にこの時計塔に来たとき、飛ばされたセルマの帽子を拾ってくれた男性だった。


「レドリアでは貴国と違ってときどき強い風が吹きますから、今日も気を付けて」


そうします、と言いかけてセルマは口をつぐんだ。


今、この男性は『貴国と違って』と言った。今日のセルマはスティナ風のドレスを着ておらず、現地の人々と大差ないレドリア語を話す彼女を外国人だと思う者はまずいない。


つまり彼はセルマがレドリアの人間ではないことを知っているのだ。



別に知られたところでどうということもないのだが、見知らぬ男性からそう言われるのはなんだか気味が悪い。

セルマは今更ながらにひとりで来たことを後悔しながらも彼に言った。


「わたくしがこの国の人間ではないと何故、お分かりになりましたの?」


すると彼は驚いた顔をし、それから、

「あぁ、なるほど」

と独り言を言った。


「こうすれば思い出して頂けますか?」


彼はおもむろにセルマの手を取るとその指先に唇をよせた。


彼の視線は真っすぐにセルマを見据えており、その輝くエメラルドグリーンに今度はセルマが驚く番だった。



「貴方、まさか」

「おっと、それ以上は口にしてはいけない」


彼はすっと立ち上がり、セルマの口にシーっというように指を立てた。


あまりの近さに顔を赤らめたセルマだったが、彼はなんでもないことのように彼女をエスコートし、あまり人が集まっていない場所へと移動した。



対面している男性は、面白そうなものでも見つけたような顔をしてセルマを眺めている。

反してセルマは不機嫌だ、彼にからかわれたことに気づいたからだ。



「一体、どういうおつもりですか、ヘンドリック王太子殿下」



そう、彼は先日の夜会でセルマが挨拶をしたこの国の王太子、ヘンドリック・フィルステ、その人だったのだ。



「そう怒らないでほしい、君がわたしに気づいていないとは思っていなかったんだ」


「気づくわけがありません。王太子ともあろう方が、伴も付けずに街中を歩かれるなど」


「確かに。お堅いスティナではあり得ないことだったか。

だが、夜会でも言ったがここは海辺の民が住まう土地。わたしたちは寛容でね、細かいことは気にしないんだ」


それでも先ほど彼がセルマに口止めしたということは周囲の者たちも彼の正体には気づいていないのだろう。

さしずめ今のセルマとヘンドリックは少し裕福な商家の令嬢と令息といったところだろうか。

遠巻きに見られるわけでもなく、かと言って気軽に話しかけられるわけでもない。


その結果、悪目立ちすることもなく彼と話ができているのだが、それを喜んでいいものかどうか、セルマにはわからなかった。


「最初からわたくしがイグレシア家の者だと気づいておられたのですか?」


「まさか。ライナーと一緒にいたから出版社関連だとは気づいたが。失礼ながら少し調べさせてもらったんだ」


「それは構いませんけれど。でも夜会でわざわざご挨拶を頂いた意味がわかりませんわ。

わたくしは外国の、それも伯爵位の娘です。殿下が必要とする要素など、なにひとつ持ち合わせておりません」


「それは自己評価が低すぎる、イグレシア伯爵令嬢の手腕は我が国の社交界でも噂になっている」


社交界の噂と言われてセルマは思わず身構えた。


自国でのセルマの評判は、三人の男性を袖にした悪女だ。

面と向かって悪しざまに言われたことはないものの、もの言いたげな視線を浴びせられてきたことは事実だ。


まさかこの国にまでその評判が広がっているとは思わなかった。


彼はこの国を統べる者として社交界に混乱を招かせるわけにはいかないと、あの夜、セルマと周囲に釘を刺したのだろう。

現に、チラチラとセルマに視線を送っていた男性たちは結局、セルマをダンスに誘わなかった。


セルマとしても婚姻相手を探したくて参加した夜会ではない為、気にしなかったが、あわよくばという思いがなかったとは言えず、つまりは残念だったのだ。


しかし王太子がセルマを快く思っていないのなら仕方がない。

誰かと縁があったとしてもヘンドリックはきっとこの国の統治者として、セルマとの婚姻を許可しないだろう。


「レドリアの社交界をお騒がせする意図はありませんでしたが、結果としてそうなってしまったようで申し訳なく思っております。

ですが、王宮での夜会以外には社交場に出入りしておりませんし、そろそろ帰国しようと考えておりましたのでどうかお許しください」


セルマの謝罪にヘンドリックはにやりと笑って言った。


「悪いが君を帰すわけにはいかないな」


それを聞いたセルマは怪訝な顔をした。


自分がしたことは王宮の夜会に参加しただけだ。誰とも縁づくことはなく、相手探しもせずに国を出ていくと言っているのだから、王家から出国停止を言い渡されるほどの罪を犯したとは思えない。


「ここでは話せない理由があるんだ、近くに信頼できる者の屋敷がある。わたしと一緒に来てくれないか?」


セルマの顔色が変わったことでヘンドリックは少し慌てたように言った。


「わかりました」


セルマとしては断りたい気持ちでいっぱいだったが、レドリア滞在中にフィルステ王家に逆らったところで得るものなどなにもない。


ヘンドリックのエスコートで時計塔から降りたセルマは、乗ってきた馬車の御者に風の館(ウェンディホール)への言伝を頼んでから、彼の馬車へと乗り込んだ。

お読みいただきありがとうございます

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