第3話「記憶なんかよりも」
それから二日間は記憶を呼び起こすために色々と母親から教えられた。
私の名前はフィオラで、家名はルーデンというらしい。ルーデンは領地の名前でもあり、アルカン王国の最北端に位置する侯爵領家だ。年齢は15歳。眠っていた期間が2年あったので、13歳で眠りに入ったということになる。
母の名前はダイアナ、父はルシアン、兄の名前はケインで今年17歳。
目覚めて最初に出会ったメイドはリサで、幼いころから側付きだったらしい。
ハンサは執事長で、初老で白髪の混じった髪が似合うダンディーな男性だった。先代の頃から仕えているらしく、30年程になるという。
診断をしてくれた医者の名前はキャメル。こちらはルーデン家に雇われてからまだ10年も経っていないらしいが、市井で働いていた優秀な方だったようで、医者としては30年ほどになるらしい。
眠りに入った原因は事故だったとの事。王都で行われた祭りの帰り道ににがけ崩れに巻き込まれて意識を失い、いつ死んでもおかしくない状態から奇跡的に回復したと思ったら全然目覚めないという状態だった。そんな状態だったのに突然目覚めたかと思えば普通に歩き回って、でも記憶がないというのはあまりにも異常すぎるだろうと自分でも思う。それに、100年の憑依がたったの2年だったというのはどんな歪みだと思いたくもなる。
現在は統一歴1621年。アルカン王国ができて今年で530年になったらしい。
最北端に位置するルーデン領ではあるが、時期が夏に差し掛かっていることもあり雪などは残っておらず、少し肌寒いが過ごしやすい季節だと言えるだろう。領地の特色として、不凍港があり漁が盛んで、アルカン王国の貿易の要でもあるそうで経済的にも豊かであるそうだ。
しかし、冬が長く土地は痩せている所が大半だそうで農作には向かないそうだ。侯爵領としては相当な大きさの土地ではあるが、1/3は森が広がっており、人間の生活圏という意味では他領よりも少し狭いくらいだろうか。
王都からは馬車で1週間程の距離とのことなので、目覚めてすぐに父と兄に連絡を送ったらしいのだが、そうなるとどれだけ早くても12、3日はかかるくらいだろう。
正直、記憶に関しては私自身は諦めている。原因が頭を打ったとかではなく、夢の中で100年も過ごしたのだ。たかが13年の娘の記憶と、100年憑依した男の記憶では比べようもない。単純に忘れたのだから思い出すも何もないと思う。やはり薄情だろうか?
口調や仕草に関しては案外すんなりとお嬢様らしくなったと思う。感情や思考回路は大鎌の男に引かれたままだが、違和感はすぐに拭えた。これは体に染みついていた物なのだろう。
ここ最近は記憶を掘り起こすために屋敷の中を案内されたり、幼少のころに使っていた道具を見せられたりとそこそこ忙しくしていたが、何も思い出せないまま時間が過ぎていった。今はフィオラと一緒に部屋でお茶を飲んでいる。
「ハンサが王都の二人に向けてすぐに連絡してくれて、返信があったわ。そろそろ二人とも王都から出発している頃合いね」
「もうですか? 二人とも仕事や学業の方は大丈夫なのでしょうか……」
「ケインのほうは学期末の試験も終わったでしょうし、問題はないはずよ。ルシアンはまぁ、なんとかするでしょう」
随分と大らかな職場のようだ。何の仕事なのかわからないが、貴族という事は適当な役職ではないと思うのだが。
そんなことよりも、いい加減やりたいことがある。思い出せるかもわからない記憶よりも大事なことだ。
「話は変わりますが、お父様とお兄様が帰ってくるまでまだ1週間以上時間がありますよね? ここ最近部屋に籠ってばかりで、そろそろ体を動かしたいと思ってたのですけど、外に出てもいいですか?」
「……そうねぇ。キャメルも軽い運動から始めていいと言ってたし、構わないわよ。ただし、どこにいくにも必ず誰かを引き連れて行きなさい。使用人でも警備中の騎士団の人間でもいいから」
その後も医者から何度か検診を受けたが、体の方に異常はなく、食事も問題なく取れるので大丈夫という診断が下された。体が動かせないのはずっとストレスに感じていたのでダイアナから許可が降りたのは幸いだ。
「ありがとうございます。それでは、少し出かけてまいります」
軽い運動というのはストレッチ等を想定しているのだろう。しかし、こちとら大鎌の男のせいでそんなものは運動をしたという感覚には多分ならない。普通に武器を振り回したい。流石に大鎌の記憶のまま動こうものなら今の体とのギャップで痛い目に会う事間違いなしなので無茶はしないが、軽く打ち合う事くらいさせてほしい。
騎士団の人間を連れて行っていいという言葉をちょっと自分に都合の良い方向に受け取って練武場のほうへ向かう。
時間はまだお昼前なので屋敷の中では使用人が仕込みや掃除をしている様が伺える。
ここ最近は一人で屋敷の中を歩けばすぐ声をかけられて目覚めて良かったとか、記憶が早く戻ることをお祈りしますとかと言われて疲れる。励ましの言葉もありがたかったのは最初だけだ。
つまり何が言いたいかというと、使用人は少々過保護すぎるということだ。これからやろうとしている事を見られると、何を言われるかわからない。
なんとか誰の目にも付かないように素早く隠れながら屋敷を出た。大鎌の男は戦いが生きがいではあったが、潜入などができないわけではなかったので、その経験が生きた。戦いばかりではあったが、こういった経験は今後もどこかで活躍するだろう。多分。