第2話「フィオラ」
部屋に戻ってほんの数分で部屋の外からバタバタと足音が複数聞こえてくる。
「フィオラ! 本当に目覚めたのね?!」
今のところ部屋には私しかいないので、フィオラというのは私の名前だろう。
ノックもせずに入ってきたのは反応からして恐らく母親。寝巻き姿で走ってきたようで、少し息を上げている。
見開かれた両目は銀色で、寝ぐせの残った長い髪は深い青色だ。
「おはようございます。寝起きすぐ走ると体に悪いですよ?」
「そんな事気にしている場合ではないわ! 本当に目覚めたのね......! よかった、本当に良かった……!!」
両目に涙を溢れさせて抱きしめてくるという事は、母親だろう。ここまでして肉親でなかったらむしろ怖い。いや、記憶がないので感覚としては正直赤の他人なので怖くないかと言われると嘘になるが、ここは我慢しておこう。
泣き止まない母親を抱きしめながら部屋の扉に目線を向けると、ついてきた使用人たちが涙を流していた。ここまで感動されるということは、眠った原因は毒でも盛られたか、事故にでもあったのか。いずれにしても深刻な問題があったのだろう。
「私のことはわかる? あなた、2年間も眠っていたのよ?」
「に、2年ですか? そんな長い間も?!」
他人の体に憑依していたのは100年あまりなので、それに比べればたったの2年だ。しかし、起きてすぐ動けたのでほんの数日程度だと思っていたのだが、まさか2年も眠っていたのは驚きだ。
「なんにしても、無事に目覚めてくれてよかったわ……。リサの話では普通に歩いていたらしいじゃない。2年も眠っていたのによく体が動いたわね? すぐ医者を呼んでくるから、まだゆっくりしておいて頂戴」
「かしこまりました。待っていますので、母上も御髪を整えてくださいませ」
「そうね。いくら家族とはいえこんな格好で来てしまってごめんなさい。ところで、あなたそんなしゃべり方だったかしら? 私のことを母上と呼んだことあったかしら?」
「あ、いえ、ちょっと久しぶりで話し方を忘れてしまったのかもしれません。すぐいつも通りに戻りますよ……」
寝起きで娘が起きた感動の場面というのに鋭いところに気が付くとは肉親というものは凄いものだ。母親の呼び方だの話し方だのなんて覚えているわけがない。元の口調も忘れていてちぐはぐになっているのも仕方のない事だと誤魔化しておこう。
「そういえば、父……お父様? などはまだ起きてない……の?」
「そうね、あなた眠っていたからわからないのよね。ルシアンは王都でお仕事。ケインも王都の魔法学院に通っていて、こっちの領地にはまだ戻る予定は無いの。でも、今頃ハンサが連絡してくれているはずだからすぐに戻ってくるはずよ。皆あなたから離れたくないと言ってギリギリまで王都に向かおうとしなかったんですもの。戻ってきたら復帰祝いをしなきゃね!」
父親はルシアン、兄か弟かはケインというらしい。連絡をしてくれているハンサというのは、さっきの執事の名前だろうか?
王都に行っているということはここはどこかの領地だろうか。父親が王都に仕事に行っているということは、家の裕福さも考えて商人とかだろうか? いや、貴族ということもあり得る。いずれにしてもすぐに戻ってこられるほど仕事を簡単に抜け出せるとは思えないのだが、大丈夫だろうか。
ケインの方も魔法学院に通っているということは、学生なのだろう。今がどのくらいの時期なのかわからないが、学生なら授業などで戻ってくるのは難しいはずだ。
「落ち着いてお母様。二人とも王都ではそれなりに忙しいはずでしょ? 移動の時間もあるだでしょうし、そんな急いでもお祝いなんてできないですよ?」
「そ、それもそうね。だけど、二人ともずっとフィオラのことを心配してたのよ? 絶対全部投げ出して戻ってくるわよ!」
いくら優秀でも仕事を放って来るというのは許されるのだろうか。ここがどこだか分からないが王都からだとどれくらい時間がかかるのだろうか。魔法学院があるということは魔法が使えるわけで……。飛んで来るのか?
その後呼ばれてきた医者と入れ替わるように身だしなみを整えるために部屋を出ていった母親は、名残惜しそうな表情を浮かべていた。そういえば、父と兄弟の名前はわかったが母の名前はわからず仕舞いだ。
医者が体の状態を調べるといって、腕を動かしたり目を見たりしてきたが、驚くことに体の異常は見られないという。2年も眠っていると身体機能のほとんどがまともに動かないのが普通とのことだ。そして、恐れていた質問をされる。
「ご自身のお名前は覚えていらっしゃるでしょうか」
「フィ、フィオラでしょ?」
「ふむ……。家名の方はどうでしょう?」
「…………」
答えられるわけがない。自分の名前も母親が言っていたのを聞いただけだ。
その後も年齢や家族の事、好きだった物や国の名前、現王の名前など眠る前のことを聞かれたが、何一つ答えられなかった。
「心苦しい事ではありますが、記憶を失っております。ご自身の事もほとんど覚えていらっしゃらない様子。しかし、体は不思議な程に異常が見られません。歩く事もできますし、筋肉の状態も良好で軽い運動もできるかと思います」
途中から質問に答えられなくて俯ていたのだが、いつの間にか母親が戻って来ていたらしい。医者の診断を聞いて堪え切れなくなったのか、泣き始めた。かける言葉が見つからない。
その後、医者の判断で全員退室していった。母親の涙が止まらなくなったのを見て宥める為でもあったのだろう。
「たかが100年で自分も家族の事も忘れてしまうというのは、薄情なことなのだろうか……」
一人になった部屋で自問自答してみるが、誰からも答えは返ってこない。