第1話「お目覚め」
リアルに死を感じ取っての目覚めは正直最悪と言った所だろうか。
宿主が無謀にも勇者に挑んで死んで、ようやく夢から覚めた。感覚も感じ取れるのに体は勝手に動くし、ずっと戦い続けていたから体も痛いし、何度も死んだかと思った。
大鎌と呼ばれていた男の体に憑依してから100年くらい経っただろうか。
もはや元の自分の記憶なんてほとんど残っていないし、どんな人間だったのかも思い出せない。夢の中で誰かの人生をずっと追体験していたせいで、全く自由はなかった。
最悪な目覚めではあったが、自分の意志で顔を動かして周りを見渡せるので、戻ってこれたはずだ。
横たわっているのは柔らかいベッドの上。部屋の様子を見れば、窓から差し込む光はまだほんのりと明るい程度なので、夜明け直後といった所だろうか。
自分の手を何度か握りなおして、ちゃんと自分の意志で動かせる事を確認する。100年も自分の意志で動かせなかったのだ。その実感に喜びの感情が滲み出てくる。
早速体を起こそうと思ったが、体が重すぎる。元が屈強な武人だったのに、今の自分はただの若い女の体だ。感覚の違いに差異があるのは仕方のない事かもしれない。
それに、元の自分がどれくらい眠ってしまっていたのかもわからない。
少し時間がかかったが、何とかベッドから起き上がって立ち上がってみる。これは感覚の違いというよりも鈍っているという方が正しいかもしれない。体感では100年だが、実際にはどれくらい眠っていたのだろうか。怠いが体を問題なく動かせるということは、ほんの数日程度だろうか?
体を捻ったり前後に動かしてみたりして正常に動く事を確認。軽く部屋の中で運動をしてみるが、特に身体機能に異常はなさそうなので一安心。
自分が眠ってしまった原因も思い出せないが、何日も眠っていたのなら家族が心配しているだろう。正直肉親の名前どころか自分の名前も思い出せない。
部屋にはシンプルながら格式高そうなデザインの物が揃っている。傾向からして恐らく同じデザイナーか店かで買ったのだろうが、見ても何も思い出せない。記憶を失うには100年という時間は十分すぎたようだ。
姿見があったので前に立って自分の姿を見てるが、それでも名前も思い出せない。確かフィーラーだかリオラだかそんな感じの名前だったような気がするが、確信は持てない。
少し青みかかった長い黒髪に、灰色の瞳。顔つきは自分で言うのもなんだが好みの美人だが、少し幼すぎる気がする。確か学校などにも通っていなかったはずなので恐らく年齢は10歳ちょっとくらい。体はやや虚弱気味。それにしても、こんなに髪は伸びていただろうか?
『自分の顔つきが好みだとか、随分と宿主の思考に毒されたものだな……』
声も問題なく発せられる。自分の声はこんな感じだっただろうかとそこでも違和感を覚えてしまってまだ他人なのではないかという感覚に襲われてしまう。
しかし、そんなことは過ごしていればすぐ慣れる。なんせ他人の体にいてもなんとかなったものなのだから、自分の体であれば問題なんてないはずだ。
現状一番の問題は記憶がない事だ。それと、魔王様の事。
あの後勇者達はどうしたのだろうか。魔王様に挑んで倒してしまったのだろうか。
魔王様が負けるとは思えないが、女神の加護を受けた勇者の力は想像以上のものだった。
仲間達との戦いを見るに、魔法使いや騎士も実力なら劣らないくらいのものだった。
しかし、今ではもう確認のしようがない。命をかけても止められなかった。自分の事ではないが、どうしてもその事が心に棘を残している。
魔王様は死なないと言われているが、誰かに本気で命を奪われるなんて事は大鎌が知る限り一度もなかったはずだ。ただの噂なのか、本当の事であれば生きているはず。
生きているのであれば何とかお会いして己の不甲斐なさを謝罪したい。そしてもう一度あの方に仕えたい。
そして、最終的には魔王様を超えたい。
一先ずそのことは置いておいて、記憶がない事が問題だ。とりあえず、何とか思い出せることを思い出していこう。記憶のないまま家族と会っても気まずい雰囲気になるだけだ。
再びベッドに横たわり、何か思い出そうと努力してみるが、正直何も思い出せない。家族はそもそもちゃんといただろうか? 部屋の様子からしてそこそこの金持ちだった気がするが、どれくらいの地位にいたのかもわからない。自分の名前すらもわからない。それくらいは思い出さないと絶対に面倒なことになる。
なんとか捻りだそうと思って目をつむってみたり、部屋の物を漁って記憶に繋がらないかと探ってみたが成果はなし。
そんなこんなで自分の世界に閉じこもっていたが、ふと外を見てみれば日は大分昇ってきていた。自分で見る100年ぶりの太陽。言葉にできない感動があるものだと思い、窓を開けて外の空気を吸う。
『こんなに澄んだ空気を吸うのは初めてだな。いや、ここで生活していたのなら今までの空気に戻ったと言った方が正しいか?』
記憶にはないが、何故か懐かしく感じでしまうのは体が覚えているからだろうか。
しかし、これはただの現実逃避だ。記憶の頼りになりそうなものがいくつか見つかったが、何も思い出せない。いっそのこと正直に話して聞いてみる方がいいのかもしれない。
『それがいい。何故眠っていたのか思い出せないが、恐らく何日か眠っていたのだろう。家族もいれば心配しているだろうし、ここは早く安心させてやった方がいいだろう。うん、それがいい』
いつの間にか朝日は昇っているし、このまま怖気付いていても状況は変わらない。今までも苦しい状況を切り開いてきた。覚悟の決め方は知っているはずだ。そう、こんな扉はパっと開いてちょろっと歩いてしまえばすぐだ。そういえば、部屋の位置なんて覚えてないな……。
『いや、怖気付くな。ここで怖気付いても何も始まらない。こういう時は一度動いてからその時に判断すればよい! よし!』
ここにいても何も状況は変わらない。勢いだけで覚悟を決めて部屋の扉を開ける。開けた扉が重く感じたのは、気持ちの問題か、それとも体の問題か。
開けた先は廊下になっており、部屋と比べると少しひんやりとしているような気がする。これも気持ちの問題か?
廊下は左右に伸びており、綺麗に掃除されている。自分の部屋を見て思ったが、結構大きな家のようだ。他人の家のようにしか思えなくてそれだけで気持ちが萎えそうになるが、気合を入れなおして部屋から出る。
耳を澄ませてみれば、複数人の足音や声が聞こえる。大きめの家で金を持っているのであれば、使用人がいてもおかしくないので、恐らくそうだろう。
家族の部屋の場所がわからないまま彷徨っていれば、いつか出会うだろうと思っていたが、使用人がいるのであれば話は早い。部屋まで案内して貰えばいい。
足音のなる方へ適当に歩いていけば、バケツを持ったメイドが向こうから歩いてくるのが見えた。寝起きなのか、欠伸をしながら歩いている。
できるだけ気さくに、心配事なんて何もないかのように自然に話しかける。
『おはよう。朝からすまないが、家族はもう起きているかな?』
元々どんな接し方をしていたか覚えてないが、当たり障りのないように笑顔を浮かべて話しかける。しかし、返事はすぐに帰ってこずにそのメイドはこちらの顔を見て目を見開いて固まっている。
『あ~、おはよう。朝から精が出るな』
「……きゃーーー!」
思わず耳を塞いでしまう。寝起きでここまで叫ばれるなんて相当な事だ。
「お、お、お嬢様?! 出歩かれて大丈夫なのですか?! あ、いえ、おはようございます。お目覚めになられたのですか?! え?! 夢?! 執事長ォ!」
持っていたバケツを手放しその場でうろうろし始めて驚愕し始めた。その様子に驚きはしたが、心配してくれていたので使用人との仲はそこそこ良好だったのだろう。自分よりも動揺する人間が目の前にいれば急に冷静になれるのが人間だ。
『あ、あぁ、おはよう。夢じゃないし、歩いても大丈夫だ。とりあえず一旦落ち着いてくれ。どれほど眠っていたのかわからないが、心配をかけたようですまないね』
「お嬢様大丈夫ですか?! 何をお話になられているのか私には理解できません! 言葉を忘れてしまわれてッ!……うぅ」
無意識ではあったがしゃべりかけた言語が違ったようだ。だが、向こうが何を話しているのかわかるという事は言葉は忘れていないということだ。言葉も通じなかったら記憶がない以上に面倒だ。
「あ、すまない。言葉は忘れていない。ちょっと舌がうまく回らなかったんだ」
「おじょうざば……よがっだです! ずっどお眠りになっていだので、全部わずれでじまっだのがど……!」
「あぁ、泣かないでくれ。何を言ってるのかわからなくなる」
涙を流して屈んでしまったメイドを宥めていると、遠くから走ってくる足音が聞こえてくる。
「どうしたリサ! 何かあっ……たの……か…………」
男の執事と思われる初老の男性が来た。私の顔を見てまるで幽霊でも見たかのように顔を青ざめていった。
「お、お嬢様!? お目覚めになったのですか?! す、すぐに奥様に伝えて参ります!」
気が動転しているのか、泣いている同僚をほおって報告に行ってしまった。すぐに報告に行くあたり、しっかりと役目は果たしているのかもしれないが。
「ぐすっ、お嬢様。本当にお目覚めになられてよかったです。お体は大丈夫ですか? まさかずっとお眠りになったのに歩いて来られたのですか? お体は大丈夫ですか?」
「体は問題ない。そんなに心配するな。ちょっと長く眠っていたかもしれないが、歩けない程弱ってはいない」
「そうだ、皆にも伝えてあげなきゃ! 私は報告に行って参りますので、お嬢様はお部屋にお戻り下さい!」
落としたバケツを拾う事も忘れて駆けていく名前も知らないメイド。向こうは自分のことを知っていたようだったが、こちらは覚えてないことに少しの罪悪感を持ったが一先ず伝えた通り自分の部屋に戻ることにする。