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鐘の音に、止めてやる息の根  作者: ろーぐ・うぃず・でびる
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失楽園《つぎに》

 「――私達の家の(はり)香柏(こうはく)、その垂木(たるき)糸杉(いとすぎ)……是、真なり(エイメン)


 私は今日も今日とて、教会に来ている。

 今日は父の仕事がほぼなかったので、ミサの行われる時間に参加する事が出来たのだ。

 あんなことを、誰も居ない教会の中で言われたのでは、気恥(きは)ずかしさに任せて(あば)れるような足を、少ない理性で必死に(りっ)して行くほかに無かった。

 後ろを、色欲の悪魔が氷のような冷たい手でそっと撫でるような、ゾクリとした背徳だけが、私にとって最後に残った感覚のような気さえして。

 もはや、祈りの手を組む事こそ唯一(ゆいいつ)、自分の罪深い感情を誤魔化(ごまか)す行為となっていた。


 司祭様の、長い経典を読み上げる声が教会の中に(ひび)き渡ると、一斉に他の人達の声が響く。


 「是、真なり(エイメン)


 私も釣られて声を出す。

 黄金と、聖人や天使を描いたバシリカ型の中に広がる、荘厳(そうごん)装飾(そうしょく)の広い天上と、席。

 絢爛豪華(けんらんごうか)な教会で、一斉に人々が席を立つ様は圧巻で、よりこの場の神聖さを物語る。

 

 私は呆然(ぼうぜん)と、祈りに(てっ)している他に無かった。

 祈りが終わると、答唱詩編(とうしょうしへん)――聖歌が歌われる。

 今日は雅歌(がか)(うた)われたので、多分、それに関係した曲を歌うのだろう。


 そう思っていると、教会のオルガンの側にずっと立っていた、皆8歳ぐらいの少年の聖歌隊が、いそいそと整列し始める。

 小さな体でもたつきながら、服を整えたり深呼吸しながら、背の低い順に前と後ろに二列で並んでいった様はとても可愛らしいもので、思わず微笑み(ほほえみ)が零れてしまった。 


 くりくりとした目を輝かせ、やがて少年たちが席に座っていた老指揮者の前で背筋を伸ばし、指揮棒の指示で――歌い始める。

 教会の中で鳴らされる聖歌はとても、綺麗(きれい)で、小さな愛らしい男の子が必死に口を大きく開けて歌っている光景も相まって、一瞬心が洗われるような気分にさせてくれた。


 太陽の光が、ステンドグラスに当たり身廊を薄く、鮮やかに染めながら少年達を照らしている。

 

 少年達の後光(ごこう)(きら)めき。

 聖歌の美しき、清らかな響き。


 今はただ、目を瞑って――罪すらも洗い流すような歌声に、身を(ゆだ)ねる。


 聖歌が終われば、司祭様による第二朗読が行われて。

 第二朗読が終われば、またアレルヤが歌われる。

 歌と朗読を交互に終え、司祭様の説教が始まる。


 何度目かの、ミサの中。

 今回ばかりは、どこかで渦巻く自分の思いが薄れたような気がしていた。



 それなのに――。



 ミサが終わり、私は足取り軽やかに扉を開き、帰路につく。

 辺りはすっかり夕暮れ時。

 高くなっていた太陽も、今となってはどこへやら。

 陽は街の建物たちの奥へ隠れ、空は橙色に染まり切り、影が濃く全てを閉ざし始めていた。


 暗くなってしまったな、今日は帰ってすぐに寝なきゃ。

 そんな事を思いながら、暗くなった街を歩いて行く。

 口にした聖餅(せいべい)葡萄酒(ぶどうしゅ)の味が少し舌の上、鼻孔に残っているのを噛み締めながら、座りっぱなしでしびれた脚で。

 

 通りの色々な食べ物屋を通り過ぎて行った時、私は――道中で誰とも知らない、婦人たちの噂話を耳にする。


「ねぇ、あんた知ってる? あそこの教会の神父さんの噂」


「しっ、()ぁねぇ。聞こえちゃうじゃないの」


 ひそひそと、人目を忍び、(ささや)くように喋り続ける婦人たち。

 その話題は、私の憧れている神父について――でないことを密かに期待しながら、歩みを止めて気付かれぬように耳をそばたてる。

 しかし、その期待は――。


「なんでも、年端も行かない娘に言い寄って、さんざん(みつ)がせませては誤魔化しているらしいの。あんた知ってるわね?」


「で、金も無くなった挙句、やらしいことして子供を産みそうになった日に、魔女裁判にかけていくらしいね。やだもう、これだから見た目の良い若い神父は嫌なんだよ」


「あんたそう言っときながら声大きいよ! こんな噂している事を知られたら、次にかけられるのはあたしらだよ」

 

 期待は、一瞬にして、最悪の形で裏切られた。


 あまりの酷い噂に、私は――悪くも無いのに婦人らを刺してやりたいと思うような嫌悪感を抱えながら、その場を去った。

 信じたくも無いし、突拍子も無さすぎる噂。

 気に止める必要がどこにあろうかと何度も心の中で呟きながら、歩みを再開する。


 すると、家の前、左側にある大通りの方から、叫び声が聞こえてきた。

 声からして、男の罵声(ばせい)の様子。

 

 あまりにも、凄まじい怒号だったので、つい興味を惹かれて私は側の建物に隠れながら、大通りの方へと頭だけを出して遠くを眺めた。

 視点の先に居たのは、野次馬達と――ギロチンにかけられかかっている男。


「お前らは知らないんだ! あのくそったれの! 毒にかかってるって事に! 俺の娘はどうなったと思う!? 俺の妻も金も! 家無しの世捨て人になって、(すが)った先があいつのゲスな笑みだ、ふざけんな!」


 罵声を上げ続ける男の肌は浅黒く、眉毛が濃い――街の人々とは似ても似つかない姿をしていた。


 哀れにも思うが、仕方の無い事だろう。

 言葉の内容はともかく、この街は異端(いたん)に対して非常に厳しい。

 遠くの方では、清教徒(ピューリタン)なる者らが居るらしく、なにやら今ある、昔ながらの教えを破ろうとしているとも聞く。

 更に言えば、海を渡って様々な人種(じんしゅ)が見つかってきている以上、皆怖くて仕方ないのだ。


 異教の首に、そんな思いを馳せていると――鮮やかに、処刑台の上を染めた。

 処刑人が落ちたそれを拾い上げると、髪の毛を持ち、堂々と民衆に見せつける。


 空間全体に、暗闇がかった時間も相まって、その様子はとても不気味にも感じてならなかった。


 そうして後ろを振り向こうとした刹那(せつな)


「こんな時間まで、何を見ているのですかな?」


「え……神父様こそ……」


 司祭様が、両腕を組んで立っていた。

 いつもと変わらぬ様子で、人形のような顔をまた教会で見られたような笑顔にして私に向ける。


「ボクはミサ終わりに散歩でも……と思っていたのだけど、今日は異教徒(いきょうと)の処刑日だったと思いだしましてね、ほら、ごらんなさい。あの黒人の、喉笛の断面図を。(みにく)いですよね」


 司祭様は、平然として顎を処刑台の方へ一瞬向け、私に鑑賞を誘う。

 処刑台には、斬首された男の体が、未だに乗せられていた。

 処刑人は、台の上に乗っている男の体を、まるで巨大な農作物でも収穫するかのように、引きずり下ろし、側の台車に移し替える。

 台車に乗せられている体は、当然ながら無抵抗で、ふと自分も――いずれあんな、動かぬ屍になるのかと思うと背筋が凍る思いがした。


「神は、信じ徳を積む者を逃しません。あなたは特に、熱心に親孝行に努めて居る様子ですので、少なくともあんな風にはなりませんよ。救世主様と一緒に、復活し、天へと向かうのです……祈りましょう、あの無様な異教徒の為にも」

 

 笑みをたたえ、司祭様が手を組むと私も釣られて手を組む。

 眼を瞑り、熱心に。

 遠くで台車の転がる音がすると、その祈りはより熱心に――男の送っていたであろう人生に思いを馳せながら。

 

 そうしていると突然、司祭様が私の手を握る。

 思わず目を見開くとそこには眉目秀麗の顔が、視界一杯に映っていた。


「さて、この時間はお嬢さんが出歩くにはいささか危険すぎます。ボクが送って差し上げましょう」


「え……いえ、結構です! 流石に神父様でもそこまでしていただくわけには……!」


「では、“ボクがそうしたい”と言ったら……ご一緒願えますか?」


 断れる筈も無かった。

 私はそのまま、家まで送り届けれられてしまう。

 手の握り方はまるで、耳にする貴婦人への対応のそれで――私の胸は高鳴りっぱなしだった。

 もはや、自分の心臓の音がうるさすぎて、司祭様のかけてくれた言葉に全部返せていたかすら、家に着くころになっても思い出せずにいた。

 

 家の前まで着くと、私は握りしめていた手を離され、我に返る。

 店を覗くと、奥にあるベッドに父は大の字になって、既に寝ていた。


 店の前で、司祭様は笑顔で言う。


「おやすみなさい、また明日、教会で」


 また、卑怯な笑みで――私の前から去って行った。

 私は、その後姿を呆然と見つめる他に無かった――が、私の眼の前に、影が差す。


 今思えば、もっと疑うべきだったのだ。

 婦人の噂に耳を――傾けて居れば。


 遠くへ行った司祭様の後ろ姿を、見つけたかのように美しく着飾った娘たちが、その脇を固めていったのだ。

 紫や、青の――身分の良い家柄でなければ、身に着けないようなドレスを身にまとう娘たち。

 外見は――私の2、3個上だろうか。


 私は、その後を、(よせばいいのに)建物の影に隠れながら追いかけた――。

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