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でももう遅いとガーヤは言う

 やや時はさかのぼり、場所は王宮の片隅でのこと。


 先代の王の居室でガーヤはお茶を片付けていた。


 かつて女官長まで務めたガーヤではあったが、ヘイゼルを育てるために、そして暗に監視役としてファゴットの森で暮らしていた間、王宮の女官たちの顔ぶれもだいぶ変わった。

 ガーヤの顔を知らない若い女官も多い。


 ヘイゼルがアスランとともに王宮から去った後、立ち位置が中途半端だったガーヤを拾ったのは先王だ。


 ──わしにも世話をしてくれるものが必要だから。


 そう言って、ガーヤを自分付きの女官にした。


 森の片隅で、農夫のような乳母のような、はたまた母のような八面六臂の活躍をし、時に鞭を振るってうろつく野犬を追い払ったりもしてきたガーヤだったが、体に染みついた所作は忘れないらしい。今は久しぶりの女官服に身を包んで、音ひとつさせずに上等の茶器を片付けている。


 そんなガーヤに先王陛下が声をかける。


「仕事もたいしてなく、お前にとっては退屈かもしれんが、我慢せい」

「いえいえ、のんびり骨休めさせていただいておりますよ」


 実は先王付きの女官になったのは、今の女官たちにとっても助かる人事だった。

 いまさら戻ってこられても扱いに困るし、かといって粗末にもできない。


 なんといっても今の上級女官たちはみなガーヤに教えられた者たちだからだ。

 だからある意味王宮の序列ピラミッドの外側にいる先王付きの女官になってくれて、女たちも安心なのだった。


「ジャジャも、あの子なりに居場所を見つけたようですしね」


 そんなことを言うガーヤに、先王は小さく口元をゆるめた。


「見てないようでいろいろ見ておるわ」

「それはまあ、息子みたいなものですし」


 ガーヤとともにヘイゼルの従者として一緒に暮らしていたジャジャは、今はなぜだか王の愛妾であるアズマイラ男爵夫人に贔屓にされており、専属の近衛としてそばに置かれているらしい。


 そのせいで一時は落ち着かなかった彼であるが、ガーヤが黙って見ていたら、そのうち自分で立場を安定させた。


 今ではアズマイラ男爵夫人の行き過ぎをたしなめることもあるらしい、と女官たちの噂で聞いてガーヤはにんまりしたものだ。


 ──そうそう、それでいいんだよ、ジャジャ。


 あの子は一途な分、嫉妬でおかしくなる時もあるにはあるが、元はしっかりとした子なのだ。

 ジャジャならば、癖の強いアズマイラ男爵夫人に当たり負けすることもあるまい。


 ガーヤがそんなことを考えていると、先王がふと言った。


「お前の指輪は、どこへやった」

「え?」


 今にも部屋から出て行こうとしていた時に言われて、ガーヤは左手の薬指に目を落とした。

 長年そこで落ち着いていた銀の指輪は今はなく、ごつごつした指に指輪のあとが残っているのみだ。


「あの子に会ったのか? ヘイゼルに」


 ずばり言われて、ガーヤは笑うしかなかった。


「違いますよ。それにしてもお目ざといことで」

「隠さなくてもよい。あの指輪は、お前が女官長になった時の記念の指輪だろう」


 基本的に王宮勤めの女官は目に見えるところに装飾品をつけることは許されない。

 だが王や王妃から褒美として賜った場合や、その他ごくまれに許されるケースがある。

 それが女官長になった際の薬指の指輪だ。


 その指輪はまるで仕事と結婚した証のようだったが、ガーヤは当時喜んでこれを頂戴し、それ以来ファゴットの森でもずっと左手の薬指にそれをはめ続けてきた。


 だが今ガーヤの指にはそれがない。


「ヘイゼルにやったのだろう。お前がそれを手放す相手がそう何人もいるとは思えないからな」

「確かに姫さまに差し上げましたが……お会いしてはおりません」

「ほう?」


 面白そうに先王はつぶやいたが、それ以上追及することはしなかった。


 ガーヤは昨晩のことを思い出す。


 仕事を終えて部屋へ戻ると、与えられた部屋にアスランがいたのだ。


 すんでのところで大きな声を出すところだった。

 淑女の部屋に! あんたは無断で入ってきて!


 しかもその時ガーヤは部屋に下着を干していたので余計にむかっ腹が立ったけれど、アスランがあまりにも申し訳なさそうな顔をしていたので怒鳴るのをこらえた。

 それに、大体用件の想像もついたし。


 ──勝手に入ってほんとにごめんね、ガーヤ。


 そんなふうに彼は切り出した。


 ──俺さ、ヘイゼルのことを一番大切にしてくれてたガーヤになにも言わずにあの子をここから連れ出したから。一度ちゃんと許しを得ないといけないなと思って。それで来た。


 と言って気軽に来られるような場所ではないはずなのだが、この際ガーヤはそこを無視することにした。


 王宮の警備はどうしたのかとか、どこからどうやって入ってきたのかとか、問いただしたいことは山ほどあるが、現実にアスランは目の前にいるのだから、それはそれとして話を進めるのが近道だと瞬時に判断する。


 ──あんたが勝手に連れて行ったとは思ってないよ。姫さまはご自分の意志で一緒に行ったんだろう。

 ──まあ、そうなんだけど。

 ──他人の思惑や損得で流されるようにはお育てしていない。姫さまが一緒に行ったのなら、自分で決めて行ったはずだ。


 だから私が言うべきことはなにもない。そういうニュアンスで言ったのだが、アスランは引き下がらなかった。


 ──うん、でも、それと断りを入れないことは別だよね。


 そして左右で色の違う瞳でじっとガーヤを見つめると、言った。


 ──俺、ヘイゼルを連れて行くから。

 ──ああそうかい。

 ──もうここには返さないから。

 ──ああ、そうかい。

 ──ついてはガーヤにお願いなんだけど、ガーヤの持ち物をなにかひとつくれないかな?


 なんだって?? とガーヤの眉はひそめられた。


 無断で侵入しておいて、よりによって何度も洗ったのびかけの下着を見ておいて、大切な姫さまを連れて行って、その上になんだって?


 ──できたら、ずっとガーヤが身に着けてきたものが欲しい。


 言いたいことは理解できた。多分それをヘイゼルに渡してやるつもりなのだということも。


 ガーヤはため息をついて左手の薬指から指輪を抜いた。

 長年つけっぱなしにしていたそれを外すのは、ちょっと、いやかなり、努力を要したが。


 指輪をもらうや、窓からひょいと姿を消したアスランのことを思い出して、ガーヤは苦笑する。

 もしあの時、彼がなにか指輪の代償となるものをガーヤに渡そうとしていたら、ガーヤは怒って近衛を呼んでいただろう。

 だが彼はそうしなかった。


(そうですとも。姫さまはなにかと引き換えに渡せるような人じゃないんですとも……)


 ガーヤは不意に目頭が熱くなりかけるのをぐっとこらえて、改めて先王に向き合った。


「それにしましても、これからこの国は難局を迎えるかもしれませんよ」

「どういうことだ?」

「なぜって姫さまが砂漠の砦に嫁ぎましたので」


 これに先王は面白そうな顔になった。


「ほう。なにか仕掛けでもしてあるのか?」

「仕掛けは特にございませんが、姫さまを得た砦は、おそらくこれまでよりも手強く、かつ強大な存在になるでしょう。そこに今の王陛下が太刀打ちできるか疑問でございます。──大変に不敬な物言いではございますが」


 よせよせ、と先王は顔の前で片手を振った。


「言葉を選ばなくてよい、思ったままを申せばよい」


 現役の王だった当時から、歯に衣着せぬ物言いを好む人だったと思いながらガーヤは続ける。


「今の王陛下に、姫さまを活かすだけの器があればよろしかったのですが。どんな思惑であったにせよ、王宮に戻したのなら、姫さまの能力を見極めて存分に発揮させればよかったのです。そうすればオーランガワードはこれまで以上に盤石な国になったでしょうに。──ですが、それももう言っても遅いことですが」


 ふむ、と先王は身を乗り出す。


「なるほど、それを砦の面々なら活かすだろうと?」

「おそらくは、ですが」

「どんな形で?」


 これにガーヤは答えなかった。

 代わりににっこりと微笑んだ。


「姫さまのことは、一国の女王になってもいいようにと思ってお育て申し上げましたから」

「──王女ではなくてか」

「はい」


 戸口で静かに膝を折って礼をすると、ガーヤはお茶のワゴンを押して長い廊下をゆっくり去っていった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >何度も洗ったのびかけの下着 うん……。 うん……。 しかたないことだし、アスランも申し訳なく思ってるのもわかるし……。 だけど、アスランの好感度が急降下しちゃうのも、仕方ない気がす…
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