19.快癒⑤ ナイフと昼食
「さあお昼ご飯を作りますよー」
まるで初めて貰った駄賃で祭りに出かける子供の様に、うら若く美しい女性が満面の笑みを浮かべいそいそと、抜き身のナイフを大事そうに抱えて歩いていた。これから昼食の支度にかかるフィーナである。アンバランスと言えそうな愛らしさも主体が彼女であると妙にしっくりする気がしないでもない。
水汲みはアルフレートが引き受けた。家からすぐ上の湖は7、80ケント(1ケント≒10㎝)ほどの距離からでも水底が見えるくらいに澄んでいる。湖の周りを囲むように杭が三本打ってあった。
「あの杭は何だ?」
「山羊達に入らないようにという目印です」
「あれで良いのか? 隙間しかないが」
「畑じゃないですからね。十分ですよ」
「そういうものか」
正直納得はいかなかったが使っている当人がそう言うのだからそうなのだろうとアルフレートは思う事にした。
「水汲みに使うのは手前側です。そこは縁が削って整えてあるので。後は、大体で良いですけど西の方のは飲み水に使わないでください。洗い場があそこですので」
「了解した」
湖は西側が少し曲がっていてその辺りが洗い物で使われているらしい。
水は常に流れているので洗ってすぐという訳でも無ければどこで汲んでも問題なさそうではあるが、飲用とそれ以外は最初から分けておいた方が面倒がないだろう。それにしても綺麗な水だ。水清くして魚住まずと言うがなるほど魚が一匹も見当たらない。水を汲む。予想外に重かった。筋力が随分と落ちているらしい。まいったな。
「どうしました?」
フィーナが洗い終わったナイフを拭いながら歩いてきた。意外と横着い。それはそれとして何かまた声に出していただろうか。
「いやなんでもない。行こうか」
「はい」
鍛錬を続ければそのうち本調子に戻ってくるだろう。フィーナと並んで水を運んだ。川を渡る必要のない東側から家へと戻る。扉から入ってすぐの所に桶を置いた。
「火起こしはやろう。調理は頼む」
「良いんですか? それじゃあお願いします」
火起こしと言っても種火があるのだから大した仕事でもないのだが、散々世話になっているアルフレートとしてはただ待つだけというのは心苦しい。
「ぁああ、アルフレートさん!?」
「なんだどうした!?」
薪を組み焚き付けをこれから入れようかという所にフィーナの大声が横から響く。アルフレートは慌てて振り向いた。驚愕の顔を浮かべるフィーナと視線が交わる。
「これ、あの、これ」
フィーナがまたまな板の方を向いてうわ言のように繰り返しながらジャガイモを切り始めた。芋が紙のように薄くスライスされていく。
「これ、うわぁすごい。これすごいです。ぜんっぜん力入れてないのに、ほら、スッて、ススーッって、嘘、こんなに薄く……わぁ……わぁー」
「……そうか。良かったな」
驚いて損をした感もあったアルフレートだがフィーナが満足気であるのですぐにそんな気分は霧散した。自分の仕事に戻って焚き付けの火が薪に移るまで呼気で風を送る。
「気に入ってくれたか」
「はい! すごいですよ。こんなに違うなんて思いませんでした!」
そうか、と返事をしまたアルフレートは火に息を吹きかける。
「それは君にあげよう」
「はい……え? ええ!?」
フィーナには予想外だったらしい。返事をしてから間を置いて彼女はまた驚きの声を上げた。
「良いんですか!?」
「無論だ。ああ、早いな。もう火が移った。丁度2本ある。感謝の印に受け取って欲しい」
「ええっと、でも高価なものなんじゃ?」
「家伝の品でもなければナイフ一本、価値など知れている。気にすることは無い」
言ってしまった後でアルフレートは言葉を激しく間違えた気がした。
「いや! 決して安物と言う訳では無いぞ」
「え、それは勿論! 分かってますよ! だってこんな……うわぁ、ほんとに良いんですか? ありがとうございます!」
「喜んで貰えたなら良かった」
フィーナは嬉しくってしょうがないと言った様子だった。贈り甲斐があるというものである。彼女は使い心地を噛みしめる様にナイフを振るっていった。ジャガイモの紙束が増えていった。
「ほら見て下さい。蕪がこんな風に!」
「すごいな。器用なものだ」
次に彼女の獲物となった赤蕪は皮がぐるぐると剥かれてバネのようになった。中身はジャガイモと同じ運命をたどった。
「玉ねぎも、ぜんぜん崩れないですよ。なんでこんな、あれ? 目もそんなに沁みない。すごい。なんで!?」
「いや俺に聞かれてもな」
玉ねぎも層の形はそのままに半月形で半透明な薄切りとなっていった。
「これひょっとして骨ごと輪切りに出来たり?」
「いくらなんでもそれは無理だ」
塩漬けされた小鹿のもも肉も情け容赦なく同じ姿に切り分けられた。骨は残った。しかし骨が切れたとしてフィーナは骨ごと食べるつもりなのだろうか。
「……なあ、ところで、フィーナ」
「えっと……えーっと、これを、どうしましょうね?」
はっとしたフィーナの前には所狭しとテーブルに広げられたジャガイモと赤蕪と玉ねぎとハムの薄切りがあった。ことごとくが紙のように薄い。しかも結構な量がある。
「やはり考えていなかったか」
「すみませんはしゃいでしまって」
ジャガイモの特に薄い一枚をアルフレートは摘まみ上げた。向こう側のフィーナがぼんやり透けて見える。
「火がよく通りそうだな……そういえば、港の屋台で肉や野菜を色々とパンに挟んで売っているのを食べたことがある」
「良いですね。やってみましょうか。火は、さっとお湯に通すだけで十分かな。沢山入れたら歯ごたえが面白いかもしれません。パンは無いのでガレットでも良いですか?」
「良いのではないか」
フィーナは炒め物に使うような平たい鍋で生地を焼き、野菜とハムは串でまとめて湯にくぐらせた。具材の水気を切り焼いた生地に乗せて、折りたたむのかと思ったら、何を思ったか彼女はグルグルと巻いて棒状になったそれを一口大に切り分けた。
外見はアルフレートの予想と大分異なった奇天烈さだったが、ハムが上出来でそれだけでも美味かった。意外と歯ごたえのある芋や野菜の食感も柔らかな生地とあっていて悪くない。
「これは当りですね」
「美味いな。またこんど作ってくれ」
「どうせなら次は別のものを入れましょうよ」
「それはまかせるさ」