16.快癒② 薬草採取の日取り
アルフレ―トにとっては久々の屋外だった。遥か彼方に見える白い山々が青い空によく映えている。岬から海を眺めた時のように視界いっぱいに広々と草原やその下の森を見下ろすことができ、その中央を小川が細く流れて朝日の光を反していた。
「明るいな。それに広い。これがギーナか」
「今日は雲が出てないですからね。霧も引いてくれましたしアルフレートさんの快復をお日様も祝福して下さったみたい。良い天気です」
「そうだな、久々の外出にこの陽気というのはありがたい」
少し歩いてから振り返って住居を見る。茅葺屋根の木造平屋、壁も全て木で作られ、隙間は土や苔などで塞がれていた。屋根は南北に傾斜のある三角屋根で、南面の窓は3つある。
住居の東西を挟む様に三条の川が流れていた。川と言うより水路だろう。流れはぐるっと回って下の方で一つに合流し、その先で何度か大きなカーブを描いている。
近くの一つを見ると流速も流量も小さい割には川底が深い。手が加えてあるようだ。
東側のは階段状にある畑に向かって流れている。西側の一本は住居から張り出した厠の下を通っていた。常に水が流れているなら穴や掘の手入れに手間がかかる城のものより便利が良さそうである。
西の端を流れているのは家と同じくらいの大きさの建物のそばを通っているようだった。その建物を指差してアルフレートが訪ねる。
「あれが家畜小屋か?」
「そうですよ」
「あれこれと良く一人で建てたものだな。君の御父上は大した方だ」
「ふふ。すごい人だったんですよ。本当に」
亡くなった父を思う彼女の顔は幾ばくかの寂しさを含みつつも誇らしげだ。
「あ、あと家の向こう側に燻製小屋がありますし、川沿いに下れば森の近くには薪割小屋もありますよ」
「あの小さく見えるやつか?」
川の下る先を見れば森の手前に何か構造物らしき影が見える。
「どれもあの人が作りました。すごいでしょう? 後で案内します。森側との境目を知っておかないと危ないかもしれませんし」
「境目はここからでも見えるか?」
「目印の柱は見えるんじゃないですか? 薪割小屋のすぐ隣にあるあれもそうなんですけど」
「何かあるのは分かるが小屋の一部なのか別にあるのか見分けがつかないな。柱があるのか。他にも?」
「はい。あれとか、あっちのもそうですね」
フィーナが指し示すところを見れば草原の中にぼんやりと異物らしき色の違いが見える。
「間隔は、かなりあるな。100スプリス(1スプリス≒10m)や200スプリスでは足りなさそうだが」
「測ってはいないですからね……でも多分その2、3倍くらいじゃないですか」
もう一度家畜小屋の方に目を戻すとその前にも一条川があるのに気が付く。家の前の水路とは上で一本につながっているようだ。
「飲み水はそこの川から?」
「ええ。川というかすぐ裏に泉があります。湧水ですよ。それでここに家を建てたそうです」
「良い場所を見つけたな」
「水の湧いている所ならこの山には他にもいくつもあります。あの辺の光ってるところとか」
フィーナが指さす方を見ると確かにだだっ広い草原には川以外にもちらほらと、光が反射されて輝いているところがある。
「ふむ。真水が手に入りやすいというのは助かるな。確か山頂にも湖があるのだろう?」
「全部が全部真水ではないですけどね。山頂のはあんなのよりずっと大きいですよ。歩いて一周するだけで何日もかかると思います」
「冬が来る前に一度様子を見ておきたいが……」
「登って遠目に見下ろすだけなら2日もあれば行けます。森まで下って行くとなると……」
「やはり遠いか?」
すり鉢状の山頂はかなりの広さがあるし、中心部に行こうと思うなら長く坂を下って行くことになるので同じ距離を移動するにも時間をかけなければならないはずだ。
「そうですね。もう2、3日、いえ湖までだから4日かな。帰りも同じだけかかりますから――」
「移動だけで2週間か。やはり中継地点が必要だな」
「霧で動けなくなる場合も考えるとさらに2日ほど必要かもしれません。でも新しく小屋を建てたりする必要は多分ないですよ。夏は上で山羊を放してますけど、その時に倉庫として使っている洞窟がいくつかありますから」
「そうなのか? 大分条件が揃っているな。森があるならそこで食料も手に入れられるか?」
「大型の獣もいるでしょうけど見た記憶がないですね。大分昔の記憶ですが。まあどちらにしても準備は大変です……あ、そうだ、その、アルフレートさんの体調も良くなりましたし3、4日ほど、留守番をお願いしても良いですか?」
唐突な提案にアルフレートは目をしばたたかせる。
「構わないがいつになる?」
「ええっと、その、すみません……できれば明明後日の夜までには、出たいです」
「それは、急だな」
「満月の日に、新月の日もなんですけど、取りたいものがあるんです。いくつか薬を切らしてしまっていて。取りに行こうと思うとそれくらいになってしまうので」
今日が17日、満月は大体が21日であるから移動を含めて前日には出発したいということらしい。
「薬が減ったのは俺のせいだろう。遠慮は無用だ。留守番と言わず荷物持ちくらいするぞ」
「病み上がりのあなたにそんな事させられませんよ。それにどちらにしても……ええっと、今度取りに行く所に行くのは、いえそこだけでもないんですけど、アルフレートさんには、遠慮して欲しいです……危険ですし、それにその、なんというか、山に慣れてないのでしょう? 気付かずに踏み荒らしてしまいそうで……」
言いにくそうにしてはいるが要はフィーナ一人の方がやりやすいという事のようだった。薬草集めに関してアルフレートは完全に素人だから彼女が懸念するのも無理は無いように思えた。
「そうか。俺がいてはむしろ足を引っ張るか」
「いえ、そういう訳では」
「いや事実そうなのだろう。それに……」
言いかけたアルフレートの言葉が止まった。
「……それに?」
「いやなに子供の時分の話だ。実際俺は花に水をやっている相手に話しかけようとして苗を踏んだことがある」
「あら」
「その時は笑って許してくれたのだが、言われた傍から別の苗を踏んでしまってな」
「わぁ……怒られませんでした?」
「笑顔のまま「手の平を出せ」と言われた」
アルフレートが両手の平を何か受け止める様な形にして前に出す。
「目だけは完全に怒っていたな」
「恐いですね」
「ああ恐かった。まあそれでも罰はこれで終わりだったが」
アルフレートが右手を持ち上げ、左の手の平に振り下ろした。同じ様にアルフレート少年も両手の平を叩かれたようだ。指の付け根の固い所でパチンと叩いているのでそれなりに痛そうではある。
「っと話が脱線したな。留守番の件は承知した。君は慣れているだろうが、それでも十分気を付けてくれ」
「もちろんです。山は恐いですから」
表情を引き締めフィーナが肯く。「でも、ハールも居ますから大丈夫ですよ」とまたふわりと笑って彼女は付け足した。
「確かにあいつなら頼りになりそうだ」
ハールは賢い。城の猟犬でもあれ程人の意を解すものはいなかった。体格もさすがは狼でずっと大きい。山道の護衛にはうってつけだ――というところまで考えアルフレートはふと思う。
「そういえばハールも魔法を使うのか?」
「ええもちろん。とっても強いですよ。そこらの狼なんか目じゃないです」
「そうか」
嬉しそうに自慢するフィーナに、そこらの狼に危うく狩られかけた男は複雑な笑みを浮かべるのだった。