13.フィーナという娘
次の日、アルフレートは朝から調子が良かった。頭痛も軽い。ただ昨日の事があったので昼間も安静にして様子を見ることにした。夕方になってまた少し悪くなってきたので懸念は正しかったと言える。それで翌日も同じく様子見という事になった。
翌朝は頭痛が少し強くフィーナは心配したが昼前には痛みは無くなっていた。だがやはり夕方になるとまた調子が悪くなる。
「なかなか思うようにはいかないな」
「焦りは禁物ですよ。時間が必要です。それにお昼は調子の良い日が続いているじゃないですか。近いうちに良くなりますよ」
「それもそうか。それならもう昼はハールに看て貰わなくても大丈夫ではないのか。いつもは二人で山羊の世話をしていたのだろう」
「あの子達はそれこそ放っておいても大丈夫ですけど、でもそうですね、仕事は何だかんだ色々と溜まっていますし……」
フィーナが白くほっそりとした指を柔らかに折りつつ思案する。日中に限れば、体調の良い日がもう四日続いていた。食欲も旺盛で今日の夕食時などアルフレートは茹でた腸詰を三本も平らげている。
「明日もう一日、様子を見ましょう。それで今まで通りなら夕方まで、申し訳ないですけれど一人で居て貰えますか」
「ああ。それで良い」
そして次の日、アルフレートは同じ具合だった。
そのまた次の日の昼下がり。アルフレートは一人だった。
《六月十二日 晴 フィーナに頼み手帳を持って来てもらった。
六月四~十二日間の記事を記す。 体調良し 白狼ハール本日昼より牧羊の任に戻る。》
一通り書くものも書き終わった手持無沙汰にフィーナが持って来てくれた本の一冊を手に取った。丁寧な装丁で、表紙の皮は焼けや擦れで全体に黄色っぽくなってしまっているが多分もとの色は赤茶だ。天地、小口の三方が金で保護されている。
欠けのある金文字で表題には『東西魔法昔話』とあった。括り紐を解いて開き目次を見ると、採録されている話には知らない物も多いようだ。
中をパラパラとめくっていくと竜退治や巨人退治、英雄と王女との結婚式、悪賢い商人に悪魔が騙される笑話など挿絵が精緻に描かれ美しく色づけされている。
もう一冊は簡素で安っぽいのだった。表紙には『薬種大全総覧』と大雑把な筆記体で書いてある。こちらは学生が自分用や他の学生に売って小遣い稼ぎにするような自筆写本だろう。
アルフレートの関心事についてフィーナが考えて用意してくれたようだ。もう一冊も竜について書かれた物ということで持って来たのかもしれない。
開いてみると見返しの所にニール筆とあるのでフィーナの父親が自分で書き写したものらしい。小さな字で詰め込む様に書かれている上に癖の強い筆運びで正直読み難そうである。朱で何かの記号が所々入れてあり一応使いやすくするために工夫したらしき痕跡はあった。
うろ覚えな記憶によれば『薬種大全』には欠けがある。現存する写本や訳本は確か内容どころか巻数にも異同があるという話だった。
学者ではないアルフレートにはこの写本の元となった本がどういった位置にある物なのかは分からない。一応全十巻と書いてはあるが当然全てがある訳では無いだろう。ニールも元の本の一部分しか写していないかもしれない。どちらにしても貴重な資料には違いないだろう。
遺品である資料をこうして見せてくれるフィーナに感謝しつつ気になる文言が無いか探していった。手帳にメモを時折取る。
「具合はどうですか」
アルフレートが作業を続けているとフィーナが扉を開けて入ってきた。本を閉じて脇に置きながら答える。
「ああ悪くない。フィーナありがとう。これは参考になりそうだ」
「そうですか。良かった……何か他にやっておいて欲しい事はあります? 喉が渇いたりとか」
すぐ横で花の入れ替えをしながらフィーナが訪ねた。飾るのはついでの様なもので、後で薬の材料にするのがほとんどらしい。
「本をまた後で持って来てもらいたいとは思うが、今はまだ特にないな」
彼女は仕事の合間にこうやってこまめにアルフレートの様子を見に来てくれている。いつもそうだが楽なことではないはずだ。ここが普通の村なら一時仕事を代わってくれるような親戚もいるだろうが彼女の場合はそうもいかない。
(しかしそれにしても)
建物はフィーナの父親が作ったのだろうが家事をこなすだけで相当な負担になるはずだった。
水を汲み、薪を集め、家畜の世話をし、畑を耕し、野草を採り、獣を狩り、煮炊きし、洗い物を済ませ、糸を紡ぎ、布を織り、家や道具の掃除をし補修する。思いつく範囲でも一人で出来る仕事なのか疑問を感じる。
(よくやれるものだ)
しかもこの家の生活は上等に過ぎる。部屋は凍えることもなく、その上掃除と換気が行き届いていてカビ臭さどころか埃っぽさもなかった。家主も美人である。それに何と言っても食事が美味い。
「確かに土地は良いのだろう」
「?」
いくらフィーナが努力家で才能に恵まれていても無い物を手に入れるのは不可能だ。豊かな食事を彩る豊富な食材は土地の豊かさが並大抵ではないことを表していた。
それにしてもよくやるとアルフレートは思う。フィーナが横で怪訝そうにしていたのだが彼はそれに気づいていなかった。
アルフレートは今までに出てきた食材を頭の中で並べてみた。ジャガイモに麦、蕎麦、雑穀や豆類、根菜、堅果、ベリー、蜂蜜、よく分からない薬草や香草の類、鹿、山羊、山鳥……量はともかく種類で言えば生半可な旅籠よりよほど上である。
特に昨日の昼食には驚かされた。蕎麦と大麦で作った膨らんでいないパンのような料理だ。
厚く弾力のある生地の中には肉や野菜を炒めて作った汁気たっぷりの具が詰まっていて、一口噛めば中から熱々の肉汁が飛び出すという珍品である。
中身が熱いから火傷に気を付けるように言われてはいたがほとんど不意打ちで、アルフレートは熱さに驚き悶絶すると同時に感嘆したものだった。
アルフレートが零した汁を拭きながらフィーナが満足気に笑って解説するところによると、先に調理しておいた具と一緒に熊の脂身の燻製を生地で閉じて蒸し焼きにしたのだと言う。
熊。そう、熊である。驚いたことにこの娘、熊まで獲る。
よくよく聞けば今使っている毛布も冬毛の熊皮を縫い合わせたものだった。手製の弩を見せながら「簡単じゃないですけどそれは畑や料理だって同じですよ」などと彼女は言う。無論農作業も家事も立派な仕事ではある。あるのだが――
(畑仕事や料理で命の危険に会う事はそうそうないぞ)
しかもフィーナの話によれば、アルフレートが遭遇した狼がそうであった様にこの熊も魔法を使うのだそうだ。片手の一振りで大木を圧し折る馬鹿げた力を出すという。
これ程の資源がある広大な土地が未だ人の所有となっていないのも当然に思えた。何かの拍子に襲われれば村の一つや二つあっさり潰されてしまうだろう。
だがフィーナはごく普通にそれらの相手をしていた。狩りの基本を、獲物に気付かれないように近づき一撃で仕留める事を彼女は徹底しているというが同時にそれが魔法対策にもなっているのだろう。使わせなければどんな魔法も意味がないからだ。
しかし理屈は分かるが初撃で仕損じた時の危険は普通の狩人の比ではない。逃走用に調合した薬があると言うがアルフレートにはとても安全とは思えなかった。
柔らかな物腰に反してフィーナはタフなようだ。度胸もある。
胆力に優れ体力もあり知識は豊富。美しくその上彼女は大変な働き者だ。それらを無闇に誇ることも無い。きっと良い嫁になる。
それに謙虚で優しく思いやりもある。分厚い服装で分かりにくいが体付きは良いし年も二十五なら嫁き遅れとはいえまだまだ若い。丈夫な娘だから子供も十人とは言わないが五、六人は産めるだろう。
子供の健康も期待できそうだ。ならば数を産む必要もないから若さは相対的に重要でなくなる。
どの村に居たとしても引く手数多だろうに山で暮らしていたら結婚の機会が無いのが勿体無いとアルフレートは思った。
「あの? なんですか一体……」
一人考えていたアルフレートにはフィーナが何を言っているのかが聞き取れなかった。ただ彼女の顔を見れば何事かに疑問を感じているというのは彼にも分かる。
「うん? なんだった?」
「何って……」
フィーナが深々と溜め息を吐く。
「すまない。考え事をしていて話を聞いていなかった」
「考え事、ですか。なるほど…………なるほど。どんなことを考えていたんです?」
「ああ、いや別に大した事ではない」
「……そうですか」
何となくフィーナが不服そうだった。
「そういえば、アルフレート様にはお妃様がいらっしゃったのでしたね?」
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