責任の所在はいずこ
「ご無沙汰しております」
「ああ」
「本日はお時間作っていただきまして、ありがとうございます」
「いや、それはこちらの台詞だ」
最後に会った日の激昂した顔をまだ覚えている。あの姿が嘘のように凪いだ目をしていた。いや、お互い様かもしれない。
「卒業パーティーの日、手を挙げて申し訳なかった」
頭を下げられる。取り繕うためではなく、本心での謝罪だと分かった。
あのパーティーの後、殿下から何度も面会を取り付けたい旨の書状が家に届いていたのは知っていた。家族が握り潰していたから私のところまで降りてくることはなかったが。
謝罪をしたいのは私も同じだ。だから、学園で面会の時間を取ってもらった。
そもそも、彼は策略家で容赦ない一面を持つが、懐が深く誠実な対応ができる。そんな人だったはずだ。下の者にもきちんと謝罪ができる人。では、なぜ彼はあんなに突飛なことをしようとしたのか。
「その謝罪は受け入れます。そして、私も事を大袈裟にしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
頭を深く下げる。私が事態を大袈裟にした。慌てて顔を上げるよう請われた。
「君は知っていたんだな。俺が何をしようとしていたのか」
「…以前、殿下方が話しているのを聞いてしまいまして、居てもたってもいられず…」
「そうか」
憑き物の取れたような顔で、穏やかに話す彼に何と言えばいいのか分からない。
「なぜでしょうか?」
直球になってしまったのは、許して欲しい。
「なぜ…私がローズ嬢を嵌めようとしたのか、と?」
あけすけな物言いに面食らうが、聞きたいことはその通りだ。おずおずと頷くと、目を伏せて笑った。寂しそうな笑いだった。
「うちの両親が不仲なのは知っているだろうか?」
「え」
パーティーでも、催し物でも穏やかに微笑み合う姿しか見たことない。両陛下は私たちの憧れだった。
「不仲というのは違うな。あの2人は互いに関心がない。好き嫌い以前の問題なんだ」
感情の伴っていない声。事実なのだろう。随分と淡々と話すものだ。
「2人とも隠すのは上手いから。事実を知っている者も少ない。あの2人は公では仲の良い夫婦だが、私となると顔を合わせもしない。生粋のビジネスパートナーなんだよ」
ビジネスパートナー。
復唱する私に、くしゃりと顔を歪めながら頷く。
「俺は両親から関心を抱かれたことがない。王宮は冷たい場所だ。俺はあそこが嫌いだった。寒くて仕方なかった。だから自分はきちんとした家族を築きたかった。情けないかもしれないが愛が欲しかった。ローズともそれが出来ると思っていた。だが」
言葉を詰まらせた彼を待つ。
「ローズは感情がわかりやすい女の子だった。喜怒哀楽がはっきりと出て、好ましかった。彼女となら温かい絆を築いていけると思っていた。だけど、段々と変わっていってしまった。王妃教育によって、彼女がどんどん母に似ていった。母に重なるようになってしまった。穏やかに見えて目が笑っていない」
訥々と吐き出されていく言葉を聞きながら、姉の姿を思い浮かべる。いつからだっただろう。少しずつ輝くような笑みがなくなって、少しずつ喜怒哀楽が減っていく。口を一本に結んで、何かに追い立てられるかのように怯えていた。私には不安や焦りを何とか隠すための平静の仮面に見えていたが、彼には仮面しか見えていなかったんだろう。
「いつしか彼女が怖くなった。彼女から逃れることしか考えられなくなってしまった」
「それで、こんなことを?」
「愚かなことをしたと思っている。それでも、あの寒々しい王宮から逃げたかった」
随分と身勝手なことを言ってくれる。姉が傷付けられたことを不問にするつもりはない。ただわからない。うちの両親は温かい人たちだから。当然のように愛を受け取っていた。渇望したことなんてないのだ。
王子殿下としてではなく、彼を見てくれた人がアザリア嬢だったってことか。
「アザリア嬢は、温かった?」
「ああ。…最初は話すだけでよかった。王子だと知られていないから自分を見てもらえた。嬉しかった」
「彼女に恋していたのですか?」
「…おそらく」
おそらく…とは?
思わず言葉に漏れていたようだ。自嘲の笑みを浮かべながら、僅かに頷く。
「彼女と一緒にいると自分が王子だということを忘れられた。張り詰めている緊張が解れて、息がしやすかった。どことなくくすぐったくて、心が温まって…安心して…ずっとこのままいたいって思ってた。王子として不甲斐ない状態の俺でも慕ってくれる彼女を大切にしたいと。そばにいられるなら何もいらない、そう思うほど…」
なるほど。これは確かに政略には荷が重すぎる。
「…殿下」
「なんだい?」
「殿下はアゼリア様のこと愛しちゃったんですね」
「愛した?」
「ええ」
「この感情が愛なのか?」
「私にはアゼリア様が愛しいというようにしか聞こえませんでしたよ」
「そうか、俺は人を愛せたのか」
安堵の息を吐く姿を見て、何とも言えない気持ちが湧き上がる。
真実を知ったアザリア様はどう思うだろう。私なら切り捨てるだろうけど、懐の広い彼の方はまた違うことを考えるのかもしれない。逃げたい、か。
「あなたがしなきゃいけなかったのは、姉と話し合うことだった。まあそれは姉も同じです。姉は変わらずにはいられなかった。あなたのそばにいるために」
意思疎通不足がこの事態を招いた。完全無欠な王子殿下像を壊していれば、誰かが彼の不完全さに気付いたかもしれない。
というのは、今更なことよね。
「あなたと共に国を支えようとした姉を裏切り、あなたのことを柔らかく包み込むように大切にしてくれたアゼリア様の信頼を裏切った。
本当にアザリア嬢を愛したなら、彼女を裏切るような真似をしてはいけなかった。姉に真摯に対応して婚約を白紙に戻した後、アザリア嬢に想いを告げればよかったのに」
「そうだな…本当に申し訳ないことをした」
天を仰ぐ目の前の男を見詰める。彼は完全無欠な王子でも、単なる屑野郎でもなかった。愛情が欲しいと泣き喚く5歳児と言ったところだろうか。
「…私にはそんなこと言える資格はありません。偉そうな事を言いましたが、私だってあなたと似たようなものです。
本当に姉のことを思うなら、あなたたちの密談を聞いた時、私はあなたを張り倒してでも計画をやめさせなきゃいけなかった」
「それは…無理だろう。正気ではなかったあの時に君が出てきたとしたら本当に何をしたかわからない」
「証拠集めをする前に、あなたと姉の話し合いの場を設けなければならなかった」
「今だから言える事だ。どうせ碌な話し合いにもならなかったよ」
「それでも…もっといい未来があったかもしれないと思わずにはいられないんです」
「それこそ思い上がりだ。あくまで俺とローズの間の話なんだ。君が出る幕じゃない。俺たちが至らなかった結果だ」
「なんで、そこまで自己分析できるのにあんなことしでかしたんでしょうね」
「耳が痛いな」
穏やかな空気が流れる。姉と殿下の婚約の話が確定する前からの付き合いだ。昔はもっと仲が良かった。私とも姉とも。顔を凝視されている。首を傾げると痛そうな表情をしている。
「痛みは、あるか?」
「少し。ですが、これは自業自得なので」
「そうだな…君の術中に嵌った俺が言うのもなんだけど、君はもっと自分を大切にした方がいい」
「私の婚約者にも怒られました」
「ウィリアムに殺されるのはごめんだ」
「…すみません。迂闊だったと反省しています」
諭す言葉は確かに兄のようだった。最後に交わした言葉は、今なら信じられると思う。
「殿下が姉を理不尽に排除しようとしたこと、身勝手に傷付けたことは忘れません。その件に関しては自分で落とし前をつけてくださいね」
「わかっている。責任は必ず」
私は私で起こしたことの精算をしなければならない。