ドレスとハンカチ
婚約者視点です。
2階にあるシガールームからホールの様子はよく見える。急ぎだと連れてこられた割に、そこまで重要な内容ではない。他に理由があることはすぐに分かった。
横目で見下ろせば彼女は誘われるがまま踊っている。ドレスをPRする気満々だったから予定通りだろうが、自分があそこにいれば他の男の手を取らせなかったのにと悔やまれる。
壁の花になっていたり、テラスに出たりする方が変な輩を引き寄せるだろうからあれは堅実な手段ではある。
クルクル回るたびに裾が綺麗に広がる。デザイナーと何日も掛けて討論していたのを思い出す。何をそこまでと思っていたが、彼女が着て見せた時に納得した。
あの卒業パーティーがきっかけで、彼女との間にあった蟠りが少し解消された。
会話をすると言うのはかなり大事なことだと身に染みた。社交を開始するにあたり、領内のことをよく知りたいという彼女の希望に合わせて休日には領内を案内している。
公爵領には養蚕業が盛んな地域があるが、他の産業の発展に伴って衰退傾向にある。
この地域は数年前から自然災害に見舞われ、どうにか復興させるためにも手を打つ必要があった。
養蚕業は高齢化し、手間は掛かる割にお金にならないので若者は街に出てしまい負のスパイラルに陥って行く。
それぞれの養蚕農家が手作業で生糸にして問屋に卸しているため数は限られ、質も一定ではない。製糸機械も開発はされているものの、機械代金がかなり高く、広く普及はされていなかった。
領地を回っている際に実際の絹織物も見せてもらった。手触りが良く質が良いものが多かったが領内ではそこそこ出回っているので目新しくは感じなかった。
元々絹織物は国内ではほとんど生産されていない。異国から渡来してくるものはあるがかなりの高級品だった。
スイレンは何か閃いたのか、生地の交渉を取り付けていた。生地の種類を習い、染め方、取り扱い方も熱心に学んでいた。
絹製品を売り出すとしても最初は売れるかどうか分からないので供給量は少なくなる。手始めとして生地の少ないスカーフやハンカチを売り出すとしても、新規のものなので販売戦略を考える必要があった。
それが彼女のドレスだ。
絹の生地の織り方を色々見せてもらい、綿織物に似せたシルクオーガンジーが気に入ったようだった。彼女が自身の資産で生地を買い上げ、針子として独立した元侍女を雇い、一から試行錯誤して作り上げた。柔らかさに惹かれたが、その柔らかさに苦労したらしい。
白地ではデビュタントや結婚式装束になってしまうので、染色すると決めてからも色々大変そうだった。結局、うちの領地の"藍"を使うことにしたようだ。
いくつか作った中で1番のお気に入りが今日のドレスだった。あれだけ人目を集めていれば失敗にはならないだろう。彼女たちの努力が報われれば良いと思う。
成功するか分からないからと全て自分の資金を投げ打ってドレス作りに精を出していたが、もう少し頼ってくれてもいいのにと思わずにはいられない。
ダンスから解放されて使用人から飲み物を受け取っている。さすがに踊り続けていたから疲れたのだろう。それが伺えないくらいにはしゃんと美しい姿勢をしている。
どう見ても好意的ではない御令嬢たちに囲われたのを見て反射的に腰を浮かせた。
上司から一瞥され、まだ付き合ってくれと念押しされる。スイレンに今度はマダム達の視線が集まっているようだ。試されている。
女同士の争いなら自分の出る幕はない。男が出しゃばることで悪化する方が多いし、それ以前に彼女の方が対処が上手い。
突っかかってきている令嬢はスイレンよりも身分は低いし、上から圧力を掛けられるようなことにもなり得ない。
口角が微かに上がったのが見えた。楽しそうで何よりだが、相手に同情してしまう。公爵を継いでいる自分の婚約者だから夜会には連れてきているが、正式にデビュタントをした訳ではない。今回の衣装も相まって妖精のようにか弱い少女に見えて舐めているのだろうが、相手が悪い。
隙のない笑顔を崩さない少女と、怯んで顔が青くなっている集団だとどちらが優勢かは一目瞭然だ。然程気にしていなかった上司達も興味を持ったらしい。
「意外と気が強い」
「ああ、そう言えば例の騒動で喧嘩を売ったのが彼女だっけ?」
「…はい」
「必要ないだろうが、助けにはいかないのか?」
行かせないようにしているくせに白々しい。
「女性相手なら負けないので大丈夫ですよ」
きっと、取り込んで終わりだ。
1人の女性が手を振り上げる。伯爵令嬢からの目の合図を受けていたように見えた。震えている。あの中では1番身分が低い女性だ。男爵令嬢だったか。
ああ、終わったなという雰囲気が漂う。侯爵令嬢に手を出すなんて命知らずだ。
でも、そうはさせないだろう?
俊敏な動きでその手を避けた後、よろけた令嬢を片手で支える。結構な勢いで倒れ込んできた1人の女性を抱えているのにびくともしないとは体幹どうなってるんだ。昔騎士に憧れたと言って義弟と剣を習っていたのを思い出した。
声は聞こえないが、大丈夫かと聞いているのだろうか。覗き込まれた女性が顔を真っ赤にしているのが見えた。あれは堕ちたな。
腰が抜けたのか令嬢を抱え直して、話を続けている。伯爵令嬢はプライドだけで立っているようだが、もう1人の子爵令嬢はもう限界に見える。
正気に戻りつつあるのだろう。ボスの命令で喧嘩売っているのがどんな相手なのか分かっている。
グラスを持たされた手が震えている。もうスイレンにワインをかけるような真似は出来ないだろう。手から滑り落とす。ガラスが割れた音が響き渡る。視線が更に集まり、彼女はどうしたらいいか分からず困惑している。ボスを見上げても何もしてくれない。
スイレンは近くの使用人に視線をやる。彼は丁寧に頷くとすぐさま指示を出し始めた。抱えていた令嬢は椅子に下ろし、彼女は例のハンカチを手渡す。場所を少しずれて子爵令嬢のドレスの前に屈み込む。
恐縮する子爵令嬢だが、あの子は気にしない。やって来た使用人に言葉を交わし、タオルを受け取る。応急処置でタオルを当てている。
義弟の面倒を見ていたから面倒見はいい。
子爵令嬢のご家族が慌ててやって来て、スイレンにペコペコと挨拶をした後、控室に連れ出していった。
上司たちに解放されてホールに戻れば、スイレンは1人で佇んでいた。伯爵令嬢は逃げ出したのだろうか?
「大変だったな」
俺の言葉に穏やかな表情で首を振る。相手にもならないと言うことだろうか。頼もしい。
ダンスに誘ってみれば、嬉しそうに頷く。
「あれだけダンスを踊っていて疲れていないか?」
「大丈夫です。上から見てましたよね?」
「ああ。君しか目に入らなかった」
「ふふ。お上手ですね」
照れたように目を伏せる。赤らんだ頬が愛しかった。
ラストダンスを終えて帰ろうとすれば、令嬢を連れた子爵が恐縮しながら声をかけて来た。
「この度は娘が大変なご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます」
「気にしなくて構いませんよ」
俺でなく彼女に声をかけて来ているので、黙って後ろに控えておく。
「ただ若輩者ですが言わせてもらうなら…子爵が御令嬢にどう指示されているか分かりませんが、追従するだけでは余計な火種を抱えることになります。私は不問に致しますが、諫める努力はされる方が良いかと」
スイレンの言葉に子爵は項垂れる。年下の戯言とは受け取られていないようだった。
さすがに自分から声を掛けられないようだったが、何度もスイレンに視線を投げていた。
視線に気付いている彼女は花のような笑みを浮かべた。何やら感銘を受けたようで頬を赤らめている。スイレンの手をとって喜んで話している。
何度も謝罪して彼らは去っていった。後日男爵からも謝罪の手紙が来た。
ドレスのインパクトと、子爵令嬢に渡したハンカチからシルクの問い合わせが相次いでいる。
あの時に敢えてハンカチを渡していたスイレンはやはりさすがだと思う。
スイレンフリークになった彼女は助けてもらった一幕を肌触りの良いハンカチと共に色んな友人に話してくれた。御令嬢は友人が多い。
そこまで折り込み済みだったのだろう。
先日知り合ったアマリリスにもスイレンは手紙を添えて送っていた。大公妃に贈るのに相応しい優美な織り目はお気に召していただけたらしい。大公とお揃いのパジャマを仕立てると約束していた。
暫くは完全受注生産という形になるが、生産ラインについてもう少し詰めても良いかもしれない。




