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人と比べすぎても

作者: さしすせそ

 人と比べることが悪いことだとは思わない。

 だが、比べすぎていやしないだろうか。


◇◇◇


 そもそも、なぜ人と比べているのか。

 身長や体重、親など、生まれたときから人は差を抱えている。差があることが自然ならば比べること自体が無意味だ。ドラゴンと自分の戦闘力を比べるようなものだからだ。

 それにもかかわらず、人は比べることをやめない。

 なぜだ。

 競争が生物の本質だからだ。自分の種を、遺伝子を後世に残すように作られている。

 しかし、そう考えると日本人は比べすぎやしないかと感じる。

 親の職業

 学歴

 運動の出来

 外見

 エトセトラ、エトセトラ

 何でも比べたがる。

 より上位にという考え方はわからないでもないが、生物的に考えれば子供を作り、その子供を成人まで育てられればあがりだ。学歴なんぞ比べる必要すらない。必要なのは精子や卵子の強靭さだけだ。

 では、なぜ日本人はああまで比べたがるのだろうか。

 おそらく、理由はいくつかあるのだろう。私はその中で代表的なものは二つあると考える。

 一つは、人生の中で日本人という単一民族としか接しないことだ。多民族国家では、差は普通だ。肌、体格、文化など変数は大量にある。それゆえ民族対立が起こるため一概に良いとは言えないが、最低限のコミュニティは保証される。日本人のように一人一人を比べるという意識は弱いように感じた。

 もう一つはは中学生頃から勉強という単一評価基準で比べ続けられたことだ。勉強ができなければ『劣』等生になる。できれば『優』等生だ。しかし、人間をそんな単純な定規で測ることは無理だ。日本人は自分の長所を見つけることが苦手なので、自分ではわかっていないかもしれないが、必ず一人一人に長所はある。

 つまり、我々、日本人が比べすぎているのは新興宗教にはまっているようなものだ。

 ならば、『比べること』から破門される日が来てもいいはずだ。生まれ持った差が存在する以上、どこかで比べることをあきらめた方がいい。人生にウルトラCはない。

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