第九十一話 覚悟と決意
マキナは一瞬、思考が停止した。
突き飛ばされて転んだ時、手足をアスファルトにぶつけていたが、それから痛みを感じることがなかった。
代わりに頭から血が抜けていくような感覚がする。
そして、事の重大さに理解が追い付くと、過呼吸になり貧血と吐き気で意識が朦朧としだす。
受け入れたくなくても、目の前の光景が嫌でも分からせようとしてくる。
ユイが倒れたのだ。
命の鮮血を身体中の傷から流し、地面を赤く染めている。
それに抵抗する素振りを見せるどころかピクリとも動こうとしない。
いや、もしかしたらできないのかもしれない。
それを確認したいと思っていても、全身が拒絶する。
直前まで会話をし、近くを歩いていた少女が息絶えてしまった事実を受け入れたくなかったからだ。
それが自分のせいであると自覚すると、尚認めることを拒んでしまう。
可笑しな話だ。
以前は嫉妬心で殺そうとしていた相手のはずなのに、目の前で死ぬとその事実を受け入れないようにしている。
矛盾、している。
『・・・・・・スター・・・・・・マスター』
「!?」
電子的な声に気が付き、我に返る。
「ど、どうした」
『先程、10.089秒間、魔物の反応を検知しました。撮影した録画データをマスターの端末に転送しています』
「あ、ああ」
眩暈は治まったが、やはり頭が上手く回らない。
それでも現状を把握するために、スマホから録画データを表示させる。
自分自身と倒れたユイ、そしてもう一つの存在を確認する。
見た目は鼬のような姿で、両前足には鋭い刃のようなものが生えている。
鼬に、刃・・・・・・『カマイタチ』。
まさか、ここまでまんまな見た目をしているとは。
そして、両腕の鎌でユイの全身を____。
「・・・・・・」
『如何なさいましたか?』
「いや、大丈夫。貧血だよ」
『そうですか。先程、心拍数が120を越えいたため、事前に処置の準備を整えていました』
「処置の準備・・・・・・、それならそこに倒れている少女の手当てをお願いしたい」
少しでも希望を持ちたかった。
そうでなければ、もう後戻りできなくなると思ったから。
『確認しましたが、心肺停止状態で外傷から処置が不可能な状態であり、もう既に亡くなっています』
感情なく機械的に発せられた言葉は、残酷なものだった。
もうどうすることもできない、変えられない現実。
それを受け入れざるを得なかった。
「・・・・・・そうか」
悲しみに耽ることも、怒りで吠える気にもなれなかった。
喪失感。
単純に今の心境を語るのであれば、それが相応しかった。
マキナは倒れた少女の傍に膝をつくと、そっと瞼を閉じさせた。
「アテナ、遺体の保護を頼む。それと、次に奴が現れるであろうポイントを予測してくれないか」
指示を出し立ち上がると、ゆっくりと足を動かした。
これ以上犠牲者を出さないために。
マキナはスマホを操作し、住宅街のマップを開いた。
魔物の出現に何かしらの法則性があるかもしれないと思ったからだ。
しかし、ユイが襲われた場所にマーカーを付けても、それらしきものは浮かび上がらなかった。
となると、やはり魔物の出現場所とタイミングは任意ということになるのだろうか。
だとしたら、今襲われる可能性もあるということだ。
なんだか魔物に肌を舐められているような感覚がして鳥肌が立ってしまう。
今すぐここから離れたい気分だが、なんとか頭を働かせるようにする。
他人の力を利用して近道をしようとした結果、人が死ぬ遠因を作ってしまった愚かな自分を軽蔑しながら____。
場所やタイミングは関係ないとしても、魔物の出現自体には前兆があるかもしれない。
そう着眼点をシフトして、複数通りの仮説を立てていく。
そして、八人目の被害者が殺害された前後の状況と、ユイが殺害された前後の状況を確認するため、映像を確認しようとする。
スマホをスワイプしていき、映像を表示させる。
まずは数日前の夕方に、八人目の被害者が殺害された映像だ。
画面にはミツキと八人目の被害者であるサラリーマンが映し出されている。
特に不自然な様子はない。
ポツポツと街灯が点き、よりはっきりと姿を確認できるようになる。
そしてその直後、サラリーマンは全身から夥しい量の血を噴き出し、そのまま倒れてしまった。
マキナは画面を操作し、映像を巻き戻してみるが、特にこれといった怪しいところはなかった。
強いて言うなら、突然前触れもなく傷だらけになって血を噴き出していることの方が奇怪であるが。
次にユイの時の映像も見てみるが、これも手掛かりはなかった。
映像だけでは情報量が少ないと判断し、当時の状況が記された情報を漁り始める。
なにか・・・・・・なにか有力な情報はないのか!
割れる勢いで画面を指で叩いていき、血眼になりながら探していく。
最早まともに思考ができなくなり、ただ目に映る情報だけを頼る。
だから、背後に忍び寄る存在に全く気が付かなかった。
『マスター!』
アテナの声でやっと我に返る。
が、真後ろの殺気に気付くのには遅かった。
振り向いた時、悪鬼の如く歪んだ顔で獣が刃を振り翳す瞬間だった。
硬直して動けない。
そのまま刃が自身の頬を掠めようとした。
腹部に感触が走る。
景色が変わっていた。
住宅街であることは変わりないが、建物や電柱の位置が若干違う。
つまり、瞬間的に別の位置に移動したということになる。
そして、足が地面に付いておらず、腹部を圧迫する感覚がする。
抱きかかえられているのか?
では誰が?と思い、視線を向けようとする。
「良かった~。ギリギリ間に合ったみたいで」
そう言って彼女は、抱きかかえている手を退け立たせる。
聞き覚えのある声。
だが、脳が理解を拒絶しようとする。
彼女の姿を見ても、それは変わらなかった。
「時島・・・・・・ユイ」
まさに本人だった。
魔装が解かれると、破れた箇所が一つもない綺麗な衣服を着た姿が露になる。
顔や腕、足にも傷はなく、血の跡もない。
まるでそもそも身体中を斬り付けられたことがなかったかのようだ。
「どういう・・・・・・ことだ?」
咄嗟に漏れた言葉がそれだった。
「えーと、ちょっと記憶が曖昧なところがあるけど、気付いたらわたし倒れていて、また嫌な予感がしたと思ったらマキナが魔物に襲われる瞬間で、それで咄嗟に助けたというか・・・・・・」
なんともたどたどしい説明だ。
前からそうだが、彼女はどこか落ち着きのなさを感じる。
それでも、説明は取り敢えずはできているが。
「気付いたらって、その前後の記憶は覚えてないのかい?」
問うと、ユイは歯切れが悪そうに首肯した。
「そうか・・・・・・」
今はそれで納得することにした。
他に考えなければならないことがあるからだ。
「あのさ」
マキナが今後の対処について考えようとした時、ユイに声を掛けられた。
「さっきの話の続きなんだけど」
この期に及んで、私情を持ち出そうとしていた。
マキナは呆れて溜息を吐きながら答える。
「何を考えているだい?今はそういう状況じゃないだろ?もう少し時と場を考えてくれ」
先程は感情的になったが、無事生還している事実を知ったことで冷静になることができた。
そして、もう結果は出ている。
人は何度も過ちを犯す。
今はその兆候がないにしろ、いずれまた同じことを繰り返す。
どんなに後悔しても、反省しても、もうしないと誓っても。
また、突発的な負の感情が湧き上がる可能性だってある。
それを向けてしまった対象がいるなら尚更関わらない方がいい。
先程だって、自分のせいでユイを危険な目に遭わせてしまったのだから。
その事実があるだけで、許されることではない。
「これだけは言っておく。ボクはもう金輪際君には関わらない。だが、悪く思わないでくれ。寧ろ君にとって快適な生活を送るためには、それが最善だと思ったからだ。今回は共闘の序にそれを言うために協力を了承したんだ」
こんな話、今することではないことは自分が一番分かっている。
連携に支障をきたすかもしれないから、後にすべきだということも。
「でも、今は協力してほしい。ボクだけじゃあいつを倒すことはできない。勝手なことは言っているけど、力を貸してほしい」
これは彼女に対する最初で最後の願い。
「嫌」
「え」
そうなるはずだった。
今、彼女は『嫌』と答えた。
それも真っ直ぐ澄んだ瞳で、だ。
先程まで頼りない雰囲気を出していたが、今は嘘のような変わりようである。
「そんな頼まれ方して、はいそうですかって認める訳ないでしょ。それに今のあなたに人の生活のことをとやかく言われる筋合いはないと思う」
淡々と自分の意見を話していく。
「わたしとの関係を切るためって言ったよね?それは伝わったわ。でもわたしは認めない。だって、わたしはあなたと友達になりたいと思っているから」
「は?」
思わず間抜けな声が出てしまう。
「君は何を言って」
「もちろん、あなたの言うように自分を殺そうとした相手と友達になろうだなんて頭可笑しいことだって分かっているよ」
「なら」
「でも、それだけじゃない。さっきも言ったけど、あなたはわたしにとっての恩人、そしてミツキの・・・・・・わたしの大切な友達のことを助けてくれた恩人でもある。それに自分の罪を反省して、気を遣ってくれる優しさだってある。そんな人を悪人だなんて思いたくない。わたしはあなたの優しさを信じたい!」
その言葉に、優しさと強さ、ある種の覚悟と決意のようなものを感じた。
何で____。
何で____。
何でそんなことが言えるんだ。
あんなに酷いことしたのに、あんなに冷たく拒絶したのに。
どうして他人のためにそこまでするんだ。
彼女の優しさの根底が分からない。
でも、なぜか束縛から解放されたような気分だった。
本当は誰かにそう言われてほしかった。
こんな自分でも、信じてくれる誰かが。
「彼が君に惹かれている理由が分かった気がする」
不意にそんな言葉をこぼしていた。
「え?」
「あ、いや、何でもない。気にしないでくれ」
マキナは一旦落ち着こうと深呼吸をする。
そして改めて言葉を返すことにした。
「・・・・・・その、ありがとう。でも少しだけ時間をくれないか?」
すると、ユイは笑顔で、
「いつまでも待つよ!」
と、答えてくれた。
さて、話の区切りをつけたところで、あとは魔物をどうするかだ。
結局、何の策も立てきれていない。
いったいどうしたものか。
「あ、そうそう、マキナに伝えたいことがあるんだけど」
「ん?」
ユイはポケットからスマホを取り出し、画面を見せた。
見たところ何かのメモのようだ。
「ミツキの伝言で、魔物の対策になればって教えてくれたんだ。わたしは見ててさっぱりだけどマキナなら分かるって言ってたよ!」
「そうか・・・・・・もしかしなくても、最初からあったのかい?」
「え、うん。仲直りしたら伝えようと思って・・・・・・」
「・・・・・・」
「え?」
彼女は優しくて強い人間だ。
だが、アホでもある。
書いている時、展開に既視感を覚えたのは自分だけでしょうか?
次回は少なくとも来月になりそうです。
暑い夏にはぴったりの海のフォームが登場します!
お楽しみに!