第八十六話 君にできるエール
「ただいま~」
扉をゆっくり開け、極力小さな声で呟く。
案の定、玄関の灯りは点いておらず、廊下の先は真っ暗闇だった。
足音を立てず、そろりと足を入れていく。
靴を脱ぎ、息を殺しながら階段を上がっていった。
そして、自分の部屋の前に立つと緊張が解れ、ドアノブを捻ろうとした。
「ミツキ」
「うわ、んご!?」
思わず大声を上げそうになったが、途中で口を押さえられてしまった。
「しー、大きな声出さないでよ!お母さんと兄さんが起きるでしょ!」
俺の口を塞いだユイが、小さな声で注意してきた。
手を離し左右を確認すると、俺の手を掴んだ。
「ちょっとわたしの部屋に来て」
ユイは有無を言わさず、俺を自分の部屋へ連れ込もうとした。
なんだか嫌な予感がするな・・・・・・。
そんな不安を抱きながら、促されるまま部屋に入ることにした。
照明が点き、部屋全体がはっきり見えるようになる。
一言で言うなら、如何にも女の子らしい部屋だった。
壁や天井は普通の白色で、俺の部屋と同じだ。
ただ、違うとすれば置かれている家具がお洒落で可愛いデザインになっていることだ。
特に部屋の隅に置かれているベッドは、ピンクの生地にウサギ柄の可愛い模様と、どこか子供っぽい。
枕元に積まれたぬいぐるみは、恐らくゲーセンの景品だ。
前にカオルとマルコと遊びに行った時に取った犬の人形があった。
「あんまりジロジロ見ないでよ」
ふと視線を向けると、ユイがベッドの上に腰掛けて、不機嫌そうな表情でこちらを睨んでいた。
夜遅くということもあり、既にパジャマに着替えている。
「ああ、悪い。その・・・・・・前にこの部屋水浸しになって一瞬大変なことになったよなぁって思ってよ」
「ああもう忘れてたのに止めてよ」
そう言ってそっぽを向いてしまった。
ユイが魔術を本格的に学ぶことになった直後、資料だけ渡して独学でやるように勧めた時だ。
早速魔術を使おうとして、ユイは水魔法を発動したそうだ。
本来なら知識と感覚をある程度慣らしてからするものだから、当然力の制御が上手くいかなくなってしまった。
結果的にこの部屋が水浸しになってしまったという訳だ。
これが土魔法なら泥だらけ、風魔法なら部屋中の家具が無茶苦茶になっていただろう。
一番最悪なのが火魔法で、下手したら家が全焼するところだった。
だから、やむを得ずユイの魔術訓練のお目付け役として買って出ることになったのだ。
まあ、今は全然不満はないけど。
「しかし、前は水も滴る新米魔法少女だったお前が、獰猛な獣も凍らせる程の実力を付けちまうなんて・・・・・・」
俺が指導しているとはいえ、短期間で実践レベルまで成長できたのは、ユイ自身ポテンシャルが高いからなのだろう。
嬉しいという感情よりも、複雑な気持ちだ。
「何それ、ちょっと言葉の端に悪意感じるんだけど」
ユイはジト目で睨んできた。
俺は笑って誤魔化す。
「・・・・・・」
俺は表情を警戒しながら、その場に腰を下ろしあがらをかいた。
それから無言の時間が続くことになった。
時計の秒針が動く音だけが虚しく鳴り響く。
壁に掛かっている掛け時計に目をやると、十一時を回っている。
俺が帰宅時間のことを考えると、中高生が外出していい時間帯ではない。
まあ、いないことはないと思うが、そういうのは大抵門限を破って友達と遊んでいるような人たちのことを指すのだろう。
俺の場合、友達と夜遊びしたことがないから分からないが。
だが、俺の場合は魔物による殺人を目撃したことで、協会の魔術師たちに事情聴取を受ける羽目になっただけだ。
『だけ』と表現するにはあまりにも大きな出来事に巻き込まれているが、この際置いておこう。
「ミツキ」
「はい」
ようやく口を開いたユイの問い掛けに、思わず正座の態勢を作った。
「気付いていると思うけど、どうしてわたしを誘ってくれなかったの?」
予想通りの内容だった。
敢えて何かを言ってないようだが、状況を考えれば自ずと理解することができる。
ユイは魔物絡みの事件に助力を求めてくれなかったことに怒っているのだ。
「確かにやりたいようにやればいいとは言ったけどさ、一人で抱え込まないでとも言ったよね?」
「・・・・・・」
確かに前にそんな風なことを言っていた。
だから、その言葉通り自分の意思に従い、極力助けを求めるようにしてきた。
が、今回は少し事情が違う。
『ユイのこと、今後もよろしく頼める?』
ユカリに言われたことだ。
だから、その直後に危険が伴う場所にわざわざ連れていくことに抵抗が生じたのだ。
「別に、一人で行動していた訳じゃねぇよ」
とはいえ、一応誰かに助力を求めて行動しているから、そのことで責められることはないと思うが。
「エリさん?」
首を傾げながら訊いてきた。
表情は相変わらずだ。
「いや、あいつは今回別の用事で参加しないって言ってたから・・・・・・」
すると、ユイさらに目を細めた。
「・・・・・・マキナ?」
「・・・・・・おう」
ヤバい、圧がヤバ過ぎる。
鬼嫁に浮気を疑われる旦那ってこんな気持ちなのだろうか?
まあ、結婚もしていなければ誰かと付き合ったことがないから分からないが、そもそも俺高校生だし。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
気まずい。
ユイはずっとこちらを見ている。
しかし、どんな眼差しを向けているのか、確認したいけど確認したくない。
というか、怖い。
いったい俺は何を言われるのだろうか。
もしかしたら、朝まで説教されるかもしれない。
そんな不安を抱きながら、次の発言を待った。
「もしかして、わたしを連れて行かなかったのって、マキナがそうするよう言ったから?」
今の発言で顔を上げると、ユイが悲しそうな表情を浮かべていた。
「わたしと会うの、そんなに嫌なのかな・・・・・・」
「ユイ、お前・・・・・・」
何度もマキナと仲直りしたいと聞いているから、知らなかった訳ではない。
だが、そんな今にも泣きだしそうな表情は初めて見た。
多分、自分を殺そうとした相手というよりも、自分を救ってくれた恩人としてマキナのことを見ている。
確信という程ではないが、そもそも和解したいと思っている時点で憎い相手とは微塵も思っていなかったのだろう。
どうやら俺は認識を誤っていたのかもしれない。
「少なくとも嫌がっている訳じゃないと思う。あいつ自身、心の整理ができてないというか。そりゃあそうだよな、だってあいつお前に酷いことした訳だし」
「でもわたしは気にして・・・・・・」
言い掛けるが、言葉を閉ざして俯いてしまう。
「ごめん、やっぱりちょっと不安かも・・・・・・」
「まあ、そう思うのが普通だろうな。逆にあいつも、主犯で罪の意識があるからお前より深刻だと思うぞ」
今までのマキナの挙動や言動で、彼女の意思はなんとなく察していた。
しかし、コハナやアテナとの会話でいろいろ見えてくるものがあった。
「正直、今のままだとすぐには和解できないな。でも時間を掛けて接していけば何かしらの変化が生まれるかもしれない。少しずつ受け入れていくしかないんじゃねぇのか?」
俺は三年間距離を取っていたユイと友達になれた
それはお互いに思うところがあったからなのだろう。
そのことを考えれば、もしかすると可能性はあるかもしれない。
「お前は迷わず、ありのままの気持ちをぶつければいいんじゃないのか。ていうか、もう少し食い気味に言ってもいいと思うぞ。お前はちょっと奥手な部分があるし、ああいう奴はそれくらいしねぇと折れないだろうな」
「そう・・・・・・なの?」
「そうだな。まあ、中学の時みたいに周りのことお構いなくやるってのは控えた方がいいが、それでも自分の気持ちは素直にちゃんと伝えていった方がいいな」
正しいかどうか、言っている自分でも分からない。
相手が避けようとするなら、それに付いていくくらいはした方がいい。
そしたら、いつかは立ち止まって話を聞いてくれる。
そう思っての助言だ。
「・・・・・・ねぇ、ミツキ」
「何?」
「次・・・・・・次もマキナがいるならわたしも一緒に行ってもいいかな?」
顔を上げたユイの瞳は、不安が混じりつつも真っ直ぐな目をしていた。
膝の上に置いている手が震えている。
それでも勇気を持って行ったのだろう。
なら、答えてあげるのが道理だ。
「・・・・・・分かった。なんとかする」
すると、ユイは表情が柔らかくなり、いつものように優しく微笑んだ。
「それはそうとして・・・・・・」
「?」
「わたしを誘わなかったこと、マキナが理由じゃないとしたらどうして一言も相談してくれなかったのかな~?」
笑っているが、明らかに憤怒のオーラを感じる。
他の人と協力したとはいえ、頼ってくれなかったことを根に持っているのだろう。
朝までとはいかなかったが、小一時間は説教を受ける羽目になってしまった。




