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第八十三話 意思の再確認

 俺は雨が嫌いだ。

 空気がジメジメして気持ち悪くなるし、最悪頭痛に苛まれることにもなる。

 外で傘を差してもズボンの裾は濡れるし、頭しか防御できない。



 何より洗濯物を外に干せない。

 一応家には浴室乾燥機があるから、干す手段がない訳ではない。

 ただ、干せる洗濯物は限られているし、何よりその間は風呂に入ることができない。

 今みたいに足元が濡れている時に、湯船に浸かれないのは辛い。

 俺は帰ってすぐに風呂に入れることを願いながら歩いていると、家に到着した。



 玄関前に立つと傘を畳み、鍵を使って扉を開けた。


「おかえりー、ミツキ君!」


 出迎えてくれたのは、ユカリだった。

 ユイとその兄であるツバサの母親であり、俺の父の旧友でもある。

 数日前、ヨーロッパでの仕事を終え、現在は日本に帰ってきている。

 当分は海外の出張はないそうだ。


「寒かったでしょ?お風呂沸いてるから入りなさい」


 そう言うと、俺が持っていた学生鞄を手にして、台所の方へ戻っていった。



 俺は靴と靴下を脱ぎズボンの裾を上げると、風呂場に直行した。

 靴下の湿った感覚はないが、裸足なので床の冷たさが直に伝わってくる。

 気温は冬程ではないが、それでも寒い。

 風邪を引く前に、早く湯船に浸かってしまおう。

 そう思いながら、浴室の引き戸を開けようとした。



 だが、そこで一旦手を止めて、掛かっている札を確認した。

 表札には『未使用』と書かれている。

 これは誰も風呂を使っていないということの証明だ。

 それを確認できたので、今度こそ引き戸を開けた。



 が、すぐに違和感に気付くことになる。

 まず、洗面所の灯りがついている。

 誰も使っていないのにだ。

 まあ、単に消し忘れたからという理由もあるかもしれない。



 では、浴室に灯りがついている場合はどうだろうか。

 しかも、人影が見えるし、シャワーが流れる音も聞こえる。

 つまり、誰かが入っているということだ。

 そして、それが誰なのかもすぐに理解した。

 洗濯物かごの中に、女性ものの衣服と下着がある。

 つまり、そういうことなのだろう。


「・・・・・・はぁ」


 俺は呆れて果てて溜息をつくと、洗面所を出て引き戸を閉めた。

 もちろん、札を裏返して『使用中』の面にしておくことも忘れずに。



 すっかり冷え切った身体でリビングに向かう。

 中を覗き、周囲を見回す。


「あら?ミツキ君()()()お風呂に入らなかったのね?」


 と、台所から顔を出し、白々しい態度で話し掛けてきた。

 というか、『一緒に』と言っている時点で確信犯だった。


「入れる訳ないでしょ。てか、あんた分かってやっただろ?」


 しばらく話してなかったから忘れていたが、そういえばユカリはそういう人だった。



 この前も家に帰ってきた時、変なお土産買ってきている。

 所謂衝動買いだ。

 今はユカリの部屋に置いており、近々オークションに出すと言っている。

 売れなければ処分するとか。

 気分屋というか、その時のノリで行動しているような人だ。



「あら?ラッキースケベにはならなかったのね。ざ~んねん」

「残念って、いい年した大人がすることか?入浴中の娘のところに男を一緒に入らせようするとか、倫理的にマズいって考えなかったんですか?」

「え?でも後々結婚するんだったら、それなりに裸の付き合いとかしていても損はないと思うけど」

「後々いろんな意味で損するわ!この人言っていることが滅茶苦茶だな・・・・・・」


 このように思いつきで突拍子もないことをしてからかってくるのだ。


「てか、俺がいつユイと結婚するって言った?そういう関係じゃないって言ってるでしょ?」

「またまた~、そういうこと言っちゃって~、ホントに素直じゃないんだから♡」

「あんたなぁ・・・・・・」


 まったく、カオルやマルコもそうだが、どうして俺とユイを恋人関係にしようとするんだ?

 だいたい勝手に盛り上がられても、俺たちにそんな意思がないのでは意味ないだろ?

 ヤバい、急に頭痛がしてきた。



「ごめんなさい、流石にからかい過ぎたわね。はいこれ」


 ユカリは俺に近付くと、マグカップに注がれた牛乳を差し出してきた。


「・・・・・・ありがとう、ございます」


 渡されたマグカップを手に持つと、丁度いいくらいの温かさを感じた。

 口につけ、ホットミルクをゆっくり流し込んでいく。

 すると、冷え切った身体に温もりが広がっていった。

 ふぅと、温かい息を吐く。

 顔を上げると、ユカリがニコリと微笑んでいた。


「・・・・・・はぁ、ちょっと着替えてくる」



 俺はマグカップをテーブルの上に置いて、自分の部屋に行った。

 部屋着に着替えると、再びリビングに戻る。

 ユカリは台所で夕飯を作っていた。

 俺は近くの椅子に座ると、先程一口飲んだホットミルクを飲み始めた。



「・・・・・・」


 さっきまで騒いでいたのに、静かになると妙に落ち着かなくなるのはなぜだろう。

 話そうと思えば話せる。

 が、全然話す気になれない。

 そういえば、ユカリと話す時ってからかわれて文句を言うこと以外何もないな。

 まあ、それに不満があるという訳ではないが。

 そもそも、初めて会った時からずっとそうだった。


 何なんだろうな、この違和感?


 俺はホットミルクを口に注ぎながら、外の景色を眺めることにした。



 相変わらずの雨で、窓越しでも雨音が聞こえる。

 まるでシャワーが静かに流れているようで、心地良い気分にさせてくれる。

 途中蛙の鳴き声が聞こえ、それが音楽を奏でているように感じた。

 特に庭にある花壇に植えられている紫陽花は彩りがあり、梅雨の景色を映えさせてくれる。

 窓枠を額縁とするなら、これは一種の芸術作品だ。



 俺は雨が嫌いだ



 ____だが、景色として見る分は好きである。



 そんな感じで物思いにふけていると、マグカップの中身がなくなっていることに気が付いた。

 椅子から立ち上がり、流し台に置こうとした。


「聞かないのね、今日も」


 突然、話し掛けられた。

 視線を向けると、ユカリは目を合わせずフライパンに火をつけようとしているところだった。

 コンロのスイッチを何度か押し続け、点火する。


「何を?」


 問い掛けると、


「本当は分かって聞き返したでしょ?」


 と、返された。

 いつもの明るいトーンの声色ではない。

 落ち着いていて、真剣で、緊張感のある声。

 それの意味することを俺はすぐに、いや、もう既に理解していると言った方が正しいだろう。



 鼓動が鳴る。

 でも、安定した呼吸をすることで無理矢理落平常心を保とうとした。

 そして、意を決して口を開いた。



「正直、問いただしたい気持ちがないと言えばウソになる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()って責めたい気持ちだってある」


 湧き上がる怒りの感情を抑え込み、自身の本音を一つ一つ口にしていく。


「でも、ユカリさんも事情があるんじゃないかって思うと責めることはできなくなってさ」

「・・・・・・ミツキ君」

「俺にとってユカリさんは恩人だから。一人になった俺に居場所をくれた人でもあるからさ。だから、ユカリさんが自分から話してくれるまで待とうと思ったんだ」



 あの時の俺ならそう思わなかっただろう。

 大事な人を亡くした喪失感。

 他者からも、自分でさえも、自分の存在を否定してきた。

 下手をすれば、心が壊れていたかもしれない。

 でも、ユカリはそうなる前に手を差し伸べてくれた。

 それでも長い間辛い思いはしてきたが、後にユイのお陰で前に進む勇気を貰った。

 俺とユイを出合わせてくれた大切な人。

 それが俺にとっての時島ユカリだ。



 ユカリはコンロの火を止めると、そのまま天を仰ぐように顔を上げ目を閉じた。

 そして、顔を下に向けると、ゆっくりと目を開けた。


「本当は渡すつもりはなかったの。ずっとわたしの手元に置いておくつもりだった。けど、それを許してくれなかった。運命って、本当に残酷よね」


 ユカリはここでやっと顔を合わせてくれた。


「あの子、昔は全然明るい性格じゃなかったの。無口で、友達のことを聞いてもだんまりで、この子将来どうなっちゃうんだろうって不安だった」


 俺の肩に細い両手をそっと置く。


「でも、君が来てから変わったの。正直あの変わりようはビックリしたわ。それから、まあ・・・・・・いろいろあったけど、今もこうして普通に明るく過ごしてくれている。それも君がいてくれたからだよ」


 表情からは複雑な心境を察した。

 本当はその役割を自分がやりたかった。

 そんな悔しさが滲み出ているようにも見えた。


「無責任なこと言うと思うけど・・・・・ユイのこと、今後もよろしく頼める?」



「・・・・・・」


 すぐに返答できなかった。

 それもそうだ。

 俺はそれを引き受けることができないと思っているからだ。

 もちろん、ユイのことを見捨てるとかそういう訳ではない。

 ただ、いつまでも一緒にいられる保証はないからだ。



 できない約束はするべきではない。

 以前にそれを体現したような出来事があった。

 本当に散々な目に遭ったし、もう二度と御免だ。



 それに俺は死と隣り合わせの戦いを強いられている。

 毎回死に掛けている。

 今までは運が良かったから生き残れたかもしれないが、次はどうなるか分からない。

 最悪今度こそ死ぬかもしれない。

 だから、首を縦に振ることができないのが現実である。



 だが、同時に首を横に振ることができないのも現実だった。


「・・・・・・少なくとも、俺が傍にいる間だけなら」


 そう答えるしかなかった。

 ユカリの、恩人の、母親としての気持ちを汲み取れば、簡単に断ることなんてできない。

 そのために条件を付けた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そういう意図で____。

 まあ、逆に守られることも多いが、敢えて言わないでおくことにしよう。



 ユカリは俺の発言に一瞬困惑したような表情を見せたが、すぐに笑顔になった。

 ただし、どことなく不器用な作り方をしていた。


「分かったわ」


 そう言って、ユカリは再び夕飯の準備をし始めた。


「もうすぐユイちゃん、お風呂から上がると思うから入ってきなさい」


 声のトーンはいつもの明るい感じに戻っていた。



 俺は言われるがまま、浴室の方に再度向かうことにした。

 途中、リビングの入り口近くでユイと遭遇することになる。


「あ、ミツキ。おかえり」


 たった今風呂から上がってきたところのようで、タオルで長い髪を拭いている。


「あ・・・・・・ただいま」


 一言言うと、俺たちはそのまますれ違うように歩を進めた。



「お母さん、またミツキからかったりしてないよね?」

「さてさて、何のことかしら~?」

「やっぱりそうだ!もうホントみっともないから止めてよね!」

「そうよね~、愛しの彼がからかわれていい思いしないわよね~」

「んなっ、そういうところだっての!」


 そんな会話がリビングの方から聞こえた。

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