第四十二話 一緒に背負う覚悟
「はぁ、マジで疲れたわ~」
エリは疲労が蓄積された首をポキポキと鳴らしながら呟いた。
長い時間ほとんど同じ姿勢でいたから、血流が詰まったような感覚がする。
それが一気に流れ始めて、少しだけスッキリしたような気がする。
「あーホント生き返るわ~」
夜勤明けのサラリーマンみたいな発言をしながら校門の方へと歩いている。
「全く、ただでさえ協会の仕事とか家の習い事とかで大変だっていうのに、補修とかマジ勘弁してほしいわ~」
交互に肩を回しながらぼやき続ける。
黄昏の空が広がり、周囲の影がより色濃くなっている。
先程までサッカー部と野球部、陸上部がグランドを三つに隔てて練習していたが、今はもうその光景はない。
トンボ掛けをしている数名の部員がちらほらいる程度になっていた。
恐らく、一年生だろう。
そんな殺風景は光景を暫し見て、他の部活も終わっているのか確認するように体育館の方に視線を向けた。
掛け声が聞こえるどころか、灯りすら点いていない。
どうやらそっちも終わってしまったようだ。
つまらなくなったエリは視線を校門に戻そうとした時、ある光景が視界に入った。
体育館裏に入っていく二つの人影が見えたのだ。
それが不思議と気になってしまった。
日が傾いているとはいえ、その後の予定まで時間はたっぷりある。
ほんの少し覗くだけなら_____。
湧き上がる好奇心を抑えながら、体育館の方へと足を運んだ。
近付いてみると、建物は割と大きく見える。
それでも自分が住んでいる屋敷と比べれば小さい方だ。
渡り廊下にある下駄箱には一足も靴は入っておらず、引き戸も閉まっていた。
それをなんとなく確認した後で、例の二人がいる場所に向かう。
その途中で話し声が聞こえた。
突き当りのところで壁に身体を寄せ、恐る恐る顔を出した瞬間だった。
「僕は君のことが好きだ!」
あまりにも突然のことで、思わず顔を引っ込めてしまった。
それから急に恥ずかしくなり、熱くなった顔を両手で覆い隠してしまう。
そして、自分がとんでもない場面を目撃してしまったことを思い知らされる。
「え、ええええぇぇぇ~~~~~~~~っ!?」
動揺して、この後の行動をどうすればいいかわからなくなってしまう。
普通なら盗み聞きは良くないので、その場を立ち去るのが礼儀だ。
しかし、好奇心は未だ強く根付いており、その場から離れられない。
そもそも陰に隠れてコソコソと聞き耳を立てている時点で礼儀なんてないが。
「・・・・・・」
しばらく悩んだ末、エリはこのまま最後まで付き合うことにした。
途中から話は聞けてないが、今どういう状況なのだろうか。
「あんたはミツキの何を知っているっていうの?」
この時、告白された相手がクラスメイトであり、未確認の魔道具の所有者である時島ユイであることに気が付いた。
同時に不穏な空気が流れていることを察知した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ごめんね。部活が長引いちゃってさ」
「別にいいわ。バスケの練習、見ていて結構面白かったし。それに誘ったのはこっちだから」
謝罪するタクミに、ユイは淡々と言葉を続けた。
確かにバスケ部の練習は見ていて新鮮なものがあった。
かつて自分も陸上部で練習をしていたが、基本走ってばかりだったので、ボールを扱うバスケとは当然のことながら全く違っていた。
それを取り巻く空間も、音も、臭いも_____。
ただ残念なことがあるとすれば、練習しているバスケ部員の中で一人、こちらをチラチラと見てはドヤ顔を向けてくる人がいたことだ。
それが、今目の前にいる高宮タクミである。
部活の練習が終わり、やっと本来の目的を達成することができる。
「部活が終わるまで待ってくれないか?」という要望を聞いた時は流石に気が引けてしまったが、今は特に気にしていない。
因みに体育館裏を指定したのも彼の要望である。
とにかく、これでタクミとゆっくり話せる。
「それで話というのは?」
部活後とは思えない程の爽やかな笑顔で聞いてくる。
しかし、全くときめかなかった。
「えっと、お昼の時も言ったけど、あなたに聞きたいことがるのよね」
「何でも言いてくれたまえ。僕が答えられることならなんでも答えてあげるよ」
これはもう早々に要件を言った方が良さそうだ。
正直、ちょっとウザい。
「聞きたいことっていうのは、ミツキのことなんだけどね・・・・」
すると、笑顔だったタクミの眉間が、一瞬ピクッと動くのが見えた。
明らかに何かを知っているような反応だ。
「あなたミツキと勝負するはずだったんでしょ?そのことについてミツキに聞こうとしたんだけど、全然取り合ってくれなくて・・・・だから、あなたなら何か教えてくれるんじゃないかって」
「それで?」
「だから、実際に勝負をするようになった経緯とかそういうのを聞きたいってことなんだけど・・・・・・」
あれ?何かがおかしい。
そう思ったのは、タクミの表情から笑顔が消えた時からだ。
話を淡々と受け応えしているが、次第に表情が曇っていき、最終的には俯いてしまっている。
なんだか嫌な予感がする。
「あの、大丈夫?」
流石に心配になったので、話を中断することにした。
すると、ブツブツと小声で何かを呟いているのが聞こえた。
「・・・・・・・・してあんな奴を」
突然タクミから両肩を掴まれる。
「きゃっ」
思わず悲鳴を上げてしまい、恐怖を覚え始める。
「ちょ、何、離して!」
振り払おうとするが、指の一本一本がくい込んでいるようでビクともしない。
恐怖心がさらに増幅されていく。
「ちょっと、急にどうしたの?」
「もう君はあんな奴のことを気にする必要はないんだ!あんな人の心を弄ぶ外道のことなんて忘れるべきだ!」
「は?」
全く何を言っているんだ?
人の心を弄ぶ?
外道?
言っている意味が理解できない。
「そうか、まだあいつに脅されているんだ。間違いない、きっとそうだ。時島さん、もう大丈夫僕が付いているから安心して!」
「ちょ、ちょっと待って!いったい何の話?全然わかんないんだけど!?てか、さっきから痛い!」
そう言うと、タクミは我に返って掴んでいた手を離した。
「あ、ごめん。少し取り乱したみたいだ」
「え、ええ・・・・大丈夫」
少しどころの問題ではなかった。
いったい彼の情緒はどうなっているのだろうか。
「そんなことよりも、どういうことか教えてくれる?『あいつ』って、もしかしてミツキのこと?」
一歩後ろに下がり、警戒しながら質問した。
それからタクミは事情を洗いざらい話してくれた。
ミツキに対して、今後ユイとは関わらないでほしいと言ったこと。
承諾しなかったため、半ば強引に勝負を挑んだこと。
そのことを自身の友人に伝えて情報を拡散したこと。
正直、聞いているだけで腹立たしく感じた。
「まあ僕から勝負を挑んだはずが、あいつから挑んできた事実に変わっていたのは予想外だったけどね」
そんな後付けをしていたが、最早どうでもよかった。
「でもこれは君を助けるためだったんだ。あんな悪い噂しかない男の傍にいたら君は不幸になってしまう。そんなの僕は望まない」
「・・・・・・」
「それに君は彼に酷い目に遭っていたんだよね?だけど、もう大丈夫だ。僕なら君を大切にできる。一生を掛けてね」
「・・・・・・」
「僕は君のことが好きだ!だから、あんな奴のことなんか忘れて、僕の傍にずっといてくれ!」
「・・・・・・」
しばらく無言で話を聞いていた。
なぜか湧き上がっていた怒りは治まっており、代わりに頭がしーんと静まり返るのを感じた。
そして、落ち着いた口調でタクミに問う。
「一つ聞いていい?」
「何だい?」
タクミは見ていて清々しいほど満足げな表情をしていた。
ありのままの気持ちを全て吐き出したことで、優越感に浸っているのだろう。
本当に愉快な人だ。
「あなたは噂で人の人格を判断しているようだけど・・・・・・」
だからこそ伝えたいと思った。
「ミツキの何を知っているっていうの?」
直後、タクミの顔は一気に青ざめ、「ひっ」と情けない声を漏らしていた。
ユイはそんな委縮した彼を他所に、発言を続けた。
「ミツキはね、中学に入学する前に唯一の家族を失っているのよ。だから、最初合った時とかホント見ていられないくらいやさぐれてた。わたしが声を掛けても素っ気ない態度ばかりしていて、学校でも誰とも友達を作ろうとしなかったの。まあ、それでも一緒にいるうちに少しは元気になってくれたけどね」
多分、こんな話をしたのは、自分の気持ちを整理したかったからだと思う。
そうすることで憎悪といった負の感情を除去したかった。
今はその解釈で十分かもしれない。
「高校に入学してからも殆ど変わらなかった。だけど地道に声を掛けていけばいつか笑顔を見せてくれるって信じていたし、ちゃんと友達になりたいと思ってた。そしたらあることがきっかけでミツキの秘密を知ってね、力になろうとしたのよ。そしたら喧嘩になっちゃって」
その時は本当に何も知らなかった。
守られる側から見た景色と、守る側から見た景色が違うということを、ミツキが強く拒絶した理由も今ではわかる。
「でも、やっぱり力になりたかった。大切な友達が一人だけ傷付くくらいなら自分も一緒になって傷付きたい。守る責任も、失う悲しみも、戦う痛みも、その半分を共有したい。そして、ありふれた幸せも、当たり前の日常も、生きる喜びも一緒に共有してほしい。そう思ってわたしは、わたしの気持ちを全部ぶつけた」
もっと早く知っていれば_____。
もっと早く伝えていれば_____。
そんな後悔も一緒に感じながら。
「そしたら変わったのよ。最近じゃよく話し掛けてくれるし、積極的に手助けしてくれるようになった。そして何より、わたしたちはやっと友達になれた」
本当に心の底から嬉しかった。
無愛想だけど、それでも前を向いて歩き出す気になってくれた。
「わたしが今まで見てきた光剣寺ミツキは、朴念仁で皮肉屋でたまにイラっとすることもあるけど、根はもの凄く優しい人間なのよ」
ユイは真っ直ぐタクミの目を見据えて言った。
「あなたはそれ以上にミツキのことを知っているの?知らないよね?」
タクミは俯いたまま何も答えない。
「わたしはあなたを認めない。わたしの大切な友達を否定するような人と、今後付き合っていくつもりはないわ!」
そう強く言い切ると、彼はその場で膝をついてしまった。
「さようなら。もう二度とわたしたちに関わろうとしないで」
ユイはそのまま背を向けて、その場から立ち去った。
曲がり角を曲がると、当然誰もいなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あっぶなかった~」
エリは咄嗟に魔装し、体育館の屋根裏に飛び移っていた。
見下ろすと、ユイはスタスタと体育館の横を歩いている。
そして、体育館裏では今まさにフラれたばかりのタクミが、地に手をついて嘆いていた。
しかし、同情する気にはなれなかった。
「・・・・・・」
それからしばらく考えた後で、スマホを取り出し番号を入力した。
数秒間の着信音が鳴り、電話の応対相手が出る。
「もしもし、わたくしです。急にお電話を掛けて申し訳ありません」
お嬢様口調で前置きを話すと、要件を伝えた。
「前回お話しした件についてですが・・・・はい・・・・新しい魔道具を支給する件についてです」
それからは「はい」と何度も受け応えをしていく。
相手が電話を切るのを待ってから、エリは通話をオフにした。
「さて、後はあいつの行動次第ね」
ニヤリと笑みを浮かべながらそう呟いた。