第四十話 空白の怠惰
あれから何日が経っただろうか、もう覚えていない。
ただ茫然と毎日が過ぎていくだけだった。
気が付けば、誰も座っていない席を見ている。
ユイは心にぽっかり穴が開いた気分で、喪失感に苛まれていた。
「おーい、生きてるかー?」
そうやって誰かに呼び掛けられるまで、意識は上の空になっている。
「っ!ごめん、ぼーっとしてた。えっと、何だっけ?」
はっと我に返り、慌てて返事をするのが日課となっていた。
そんなユイに呆れて、カオルとマルコは思わず溜め息を吐いた。
「あのさ、ここ数日ずっとそうだけど、大丈夫?」
「なんかもう事あるごとにぼーっとしてるよね?口から魂が抜けてくみたいに」
二人ともジト目で見ている。
その間に一口、二口と弁当箱からおかずを口の中に放り込んでいる。
「な、何でもないよ。本当に何でもないから・・・・・・ほんとう・・・・」
「ほら、また目線が戻ってる」
カオルが箸の先端を向けて指摘してきた。
「・・・・・・ごめん」
「・・・・・・そんな弱々しく謝られると、こっちもなんだか悪い気がしてくるな・・・・」
カオルは申し訳なさそうな表情になったが、箸の動きは安定している。
それから沈黙が続いて、周囲の話し声が際立って聞こえるようになる。
ゲラゲラと大きな声を上げて笑う男子のグループや、キャッキャッとはしゃぐ女子のグループは、自分たちを他所に活気に溢れていた。
「なあなあ、今日もあいつ来てないらしいよ」
「マジで!?まあ無理もねぇよな。あんな恥かいてんだし」
「それな!」
そんな会話が矢鱈と強調的に聞こえた。
多分、『あいつ』という言葉に反応したのだと思う。
そのことで会話はまだ続いていた。
「しっかし、バカなことする奴もいるよな?高宮って、中学の時全国大会に出場した経験があるんだろ?それなのにバスケ未経験の帰宅部が勝負を挑んだところで、勝てるわけねぇだろ」
「その上直前で逃げ出すとか、クソダセー。超ウケるわ!」
三人の男子生徒は、あからさまに笑い声を上げた。
「・・・・・・」
不快だった。
ちゃんとした理由があるのに_____。
人助けという、素晴らしいことをしていただけなのに_____。
それなのに、どうしてミツキが罵倒されなきゃいけないの?
そんなのおかしいよ!
立ち上がって文句を言ってやりたい。
それでミツキの誤解を解きたい。
だけど_____。
わかっている。
そんなことをしたって、誰も相手にしてくれない。
本当のことを言ったって、誰も信じてくれない。
内心では嫌という程理解している。
でも、納得はしていなかった。
「ユイ・・・・」
声がした方を向くと、カオルとマルコが心配そうにこちらを見ていた。
「だ、大丈夫よ!ホント全然大丈夫!うん、この肉じゃが美味しい!」
無理やり笑顔を作り、一口サイズに切られたジャガイモを頬張る。
出汁が程よく染みたジャガイモの味が口の中に広がっていく。
「ホントコレ美味しい~。流石ミツキの作った料理・・・・」
直後、つい口にしてしまった名前によって悲しみが湧き上がり、視界がぐにゃりと歪んでいく。
「うぅ・・・・みつき・・・・」
そして何もできなかった自分に罪悪感を覚えてしまう。
「重症じゃん、コレ」
「逆にあんたのメンタルが心配だわ」
二人は若干引いたような表情を見せる。
「ところで光剣寺・・・・彼は今どうしているの?」
「まさかずっと部屋に引き籠ってる感じ?」
周囲に警戒しつつ、顔を近づけて小声で話し掛けてきた。
『ミツキ』を敢えて『彼』と言い換えたところに優しさを感じた。
「・・・・えっと、家にはいないよ。どこかにいると思うけど場所がわからなくて。でも夕方には帰っていて、それからずっと部屋に籠ってるわ。それが同じように毎日続いている」
それからユイはここ数日に起きたことを、順を追って説明した。
バスケ勝負が行われるはずだった日に関しては、ずっと部屋に引き籠っていた。
特にこれといって何もなかったが、問題はそれ以降からだ。
翌日の早朝、ダイニングを覗くと作り置きの朝食がテーブルに並べられていた。
その端には風呂敷に包まれている弁当箱が二つ置かれていた。
嫌な予感がしたユイは、ミツキの部屋に行った。
しかし、中には彼の姿はなく、制服もハンガーに掛かったままだった。
要するに学校に行っていないということだ。
それから兄と協力して家の中を探し回った。
学校も休んで街中を駆け回った。
何度も連絡しようとしたが、返事が来ることはなかった。
夕方になっても見つけることができず、渋々家に帰ることになった。
だが、ダイニングに入ったところで今朝のように夕食が並べられていた。
慌てて部屋に行くと、ミツキは何事もなかったかのように居座っていたのだ。
どうやら家出をしたわけではないらしく、ユイたちがいない間家事を代行していたようだ。
とはいえ、説教から逃れられる理由にはならなかったが_____。
「何それ?コメディードラマ?」
「話聞いてる限り、『時島家の愉快な日常』みたいな笑い話っぽいんだけど?」
二人は各々感想を述べていった。
「その後はどうなったの?」
「その日以降も大体同じ感じ。朝起きたら朝食と弁当が作り置きされていて、本人はいつの間にかいなくなっているし。帰ってきたら家中がピカピカになってたり夕食が作り置きされていたりで、肝心のミツキは部屋に引き籠ったままなの」
「専業主婦か!・・・・・・なんか別に大丈夫なような気がしてきた」
ツッコミを入れたカオルは、呆れて背もたれに寄り掛かる。
「そ、それで他に何か変化とかなかったの?」
若干顔を引きつらせたマルコから更なる情報を求められる。
「あまり口を利いてくれなくなったかな。話し掛けても適当な返事ばかりで全然相手にしてくれない」
それはもう、以前のミツキに戻っていっているような気がする。
日に日に悪化しているのだから恐怖でしかない。
「やっと距離が縮まったと思ったのに・・・・・・」
あの時は家出ではなかったから良かったものの、今後そうならないとは限らない。
いつかいなくなってしまうかもしれない。
その『いつか』がわからないから、一日が過ぎる度に不安が募るばかりだ。
「だったらさ、聞けばいいじゃん」
「へ?」
カオルが素っ頓狂な発言をしたため、思わず呆気に取られてしまう。
「いやだから話し掛けても相手にしてくれないって今・・・・」
「光剣寺君じゃなくて、もう一人の方だって」
隣に座っているマルコは納得したようで、何度も頷いている。
「成程、確かに名案ね!てか、今まで全然忘れていたわ」
「え、誰?」
「いたじゃん?光剣寺君とバスケ勝負するはずだった相手、確か・・・・・・」
マルコが思い出そうと頭を抱えると閃いたように名前を口にする。
「高宮タクミよ!つまり、そいつに詳しいことを聞けば、解決の糸口に繋がるんじゃないかな?」
そこまで説明してくれて、ユイはカオルの発言の意味を理解した。
マルコの言う通り名案、というかすぐに実行すべきことだった。
ここ数日ミツキのことばかり気にし過ぎていて、タクミの存在をすっかり忘れていた。
今思い出したのなら、やることはただ一つ_____。
「わたし、タクミ君と話してみようと思う。どうしてバスケ勝負をすることになったのか、詳しいことを知りたい!」
やるべきことが決まった。
もしかすると、ミツキを救えるかもしれない。
少しでも可能性があるなら懸けてみたい。
「あのー、ちょっといいかな?」
ここにいる三人とは別の声が聞こえた。
野太い男の声。
三人は一斉に振り返る。
「なんかさっき僕の名前が聞こえたような気がしたけど・・・・僕に何か用があるのかい?」
どうやらマルコが大声でタクミの名前を叫んでしまったことで反応したらしい。
それも当の本人が声を掛けてしまう程に。
だが、それはそれで丁度いい。
「高宮タクミ君」
ユイは席から立ち上がり、真っ直ぐタクミの目を見据えた。
「放課後、話したいことがあるの」