第三十九話 選べない現実
俺が帰宅した時には、すっかり日が陰っていた。
夕日が真っ赤に燃えており、思わず目を逸らしてしまうくらい眩しい。
それから逃れるべく日陰の中に入り、玄関の扉に近付いた。
俺はドアノブを掴むが、どうしても腕を引くことを躊躇ってしまう。
それでも腹をくくることにし、重い扉をゆっくりと開けた。
中を覗くと、誰もいない廊下が広がっていた。
まだ帰っていないのか?と少し安堵しながら、扉をしっかり閉める。
ガチャッと音が鳴り、再度廊下の方に振り返った時だった。
「っ!」
はっと息を呑み、思わず腰を抜かしてしまうところだった。
いないと思っていたが、どうやらいたみたいだ。
制服から私服に着替えたユイが腰に手を当てて立っていた。
その表情はご立腹のようで目が据わっている。
「た、ただいま」
不意に出た言葉である。
しかし、「おかえり」と返されることはなかった。
「今日、学校来なかったよね?」
落ち着いた口調だが、その深部に憤りが隠れていることを察した。
「わたしより先に家出たのにおかしいなって思ったわ」
「・・・・・・」
無言で話を聞く。
「もしかして、また魔物が出たの?」
その質問に対し目を逸らす。
一応、「はい」と頷いているジェスチャーのつもりだ。
ユイは顔を顰めて、こちらを見据えている。
目を合わせまいと、壁や天井に視線を動かした。
すると、ユイは溜息を吐き、諦めたような口調で言葉を続けた。
「別に責めたりしないわ。わたしも逆の立場なら同じことしていたと思うし、今後絶対しないとは言い切れないし」
どこか自信のない発言から、完全に納得したわけではないのだろう。
「その・・・・心配かけて悪かった」
今度は誠心誠意をもって、頭を下げて謝った。
ユイはそんな俺を見て堪忍してくれたようで、再度溜め息を吐いた。
「まあいいわ。一応先生には体調不良で学校に来れないってことは伝えておいたから、サボったことにはなっていないわ」
「こういう時、クラスに同居人がいると便利だよなぁ」
うちのクラスの担任は俺とユイが一緒に住んでいることを知っている。
もちろん、従妹だとか親戚だとか誤魔化すことなく、『ただお互いの両親が古い友人同士』という関係で説明している。
同居している理由も包み隠さず伝えている。
無関心で適当な雰囲気に見えたが、話してみれば割と根は真面目でいろいろ配慮してくれている。
だから、「何で体調不良だってこと知っているんだ?」という話にならなくて済むということだ。
「配布されたプリントとかはリビングのテーブルの上に置いてあるから、後で確認しておいて」
「わかった」
ここまで気が利くと、ユイ様様って感じがする。
今度何かしらの形で恩を返そう。
俺は絶対借りを返す男だからだ。
そう意気込みながら、座って靴を脱ごうとした。
「それともう一つあるんだけど」
ユイが言い掛けた時、俺は右の靴を足から脱がした時だった。
「今日、タクミ君っていう人とバスケ勝負するはずだったんでしょ?」
一瞬手が止まる。
それから何事もなかったようにもう片方の靴の紐を解いた。
「わたし、聞いてなかったんだけど」
靴を脱ぎ、学生鞄を持ってその場から立ち去ろうとする。
「どうしてそのこと話してくれなかったの?」
落ち着きを取り戻していたはずの声が、再び荒くなる。
「別に、お前には関係ねぇよ」
ウソだ。
少なくともその勝敗によってユイとの今後の付き合いが関わっていた。
だけど、話すつもりはない。
でないと、必ず彼女は『何か』をするに決まっている。
ほぼ間違いなく。
「それでも相談してくれたって良かったじゃん!」
だから話したら、お前が何やらかすかわからないんだって_____。
「ミツキ今日来なかったから負け犬だとか腰抜けだとか散々言われてるんだよ!」
あいつ本当にクラス中に話したのかよ・・・・素人相手に容赦ねぇなぁ_____。
「悔しくないの!?ちゃんとした理由があるのに、蔑まされて見下されて、なんとも思わないの?」
そこまで言われところで、階段を上ろうとする足を止めた。
「じゃあ何?怪物と戦ってて勝負に間に合わなかったって説明して、本気で信じてもらえると思ってんの?」
「それは・・・・・・」
「お前まさか誤解を解こうとして余計なこと言ったりしてねぇよな?」
「言ってない・・・・・・けど、体壊して休んだことは伝えた・・・・・・」
「それで?」
「誰も納得してくれなかった。それどころか仮病で休んでまで勝負から逃げた臆病な奴だって言って状況が悪化した」
「・・・・・・」
正直、あまり責める気にはなれなかった。
まあ口実としては懸命な判断だと思う。
担任にも話していることだから、否定する理由にはならないはずだ。
だが、クラスメイト達はそれで納得してくれなかった。
それにしてもここまで批判するとは、タクミはいったいどんな風に情報を発信して、煽ったのだろうか。
恐らく、あることないこと捏造したのかもしれない。
しかし、今更それを知りたいとは思えなかった。
「とにかく、このままじゃホントにクラスから孤立しちゃうよ?」
気遣ってくれているつもりだが、今の俺はそれに動じる気にもなれなかった。
「別に・・・・もういいよ」
「え?」
「そもそも俺、クラス全員と友達になるとか、そんな幼稚な考えしてないし。ある程度の人数で仲良くバカやってりゃいいかなってなんとなく思ってただけだし」
「それに・・・・」、震えそうになる声を必死になって抑えながら言葉を続けた。
「俺、魔術師だぜ?普通の生活を送ろうなんて、そもそも無理だろ?」
それはもう魔物出現で呼び出されてから理解していた。
けれど、いざ口にすると、なんだか胸が苦しくなった。
「そういうことだから・・・・」
何が『そういうこと』なのだろうか?
わからないが、とにかく一人になりたい気持ちでいっぱいだった。
俺は止まっていた足を動かし、階段を上って自分の部屋に向かった。
その間、ユイから呼び止められることはなかった。