第十九話 急ぐ少年
気が付くと、夜空が広がっていた。
街灯がポツポツと灯し始め、道を照らしてくれる。
俺はそれに沿って、全速力で住宅街を走っていた。
本来ならそんな街灯が点く前に、家の前に着いているはずだった。
しかし、アーケード街の魔物騒動で交通規制がかかり、いつも使っている近道を通ることができず遠回りする羽目になってしまった。
普段通らない道なので途中迷いそうになったが、着実に自宅に向かっていることには間違いない。
というか、もう大分身体が限界に近いので、出来るだけ早めに目的地に到着したいのだ。
身体中の部位が筋肉痛で痛み、足が重い。
先程まで紅茶を飲んでいたため多少体力は回復しているものの、やはり疲労を完全に除去することはできなかったらしい。
しかしそれでも、ここまで来るのに一度も立ち止まっていない。
そもそもそれが許される状況ではないのだ。
もし一瞬でも前に進むのを止めてしまったら、ユイを救えずに手遅れになってしまう可能性がある。
それだけは避けたい。
もう自分のせいで誰かが危険な目に遭うのは嫌なんだ。
しばらくして、目の前に突き当たりが見えてきた。
そこを曲がれば、いよいよ我が家であるユイの家の前に到着する。
ゴール直前で一瞬気を抜いてしまいそうになるが、警戒心を怠らないように自分に言い聞かせた。
問題はユイがまだ無事であるかだ。
俺は徐々にスピードを落としていき、曲がり角から五メートルくらいのところで歩きだした。
息も荒く、胸に手を当てると心臓がバクンバクンと鼓動を感じ、口から内臓が飛び出してきそうだった。
呼吸を落ち着かせ、コンクリートの塀に寄り掛かり、短い歩幅で横に足を動かしていく。
まるで刑事ドラマでよく見る張り込みのようなことをしているようだが、生憎それで胸を踊らせる余裕はない。
俺は塀の陰から頭を出して覗いた。
そこには何もなかった。
ただし、視覚で認識できる限りでは_____。
しかし、微弱ではあるが魔力を感じる。
家の前に結界魔法を張っている可能性が高い。
となると、あの中にユイも_____。
俺は近くにある素行のブロックの一つから短剣を生成し、ゆっくり歩み寄った。
三メートルくらい進んだところでそよ風が吹き、その風向きに違和感を覚えたところで立ち止まった。
ここが結界の境目か!
確信すると俺は短剣を構え、刃先に魔力を収束させた。
刀身が藍色に薄く光る。
ある程度溜まったところで、勢いよく短剣を上空に振り上げた。
そして、大きく一歩踏み出すと、身体を捻って振り落とした。
「せいっ!」
藍色の閃光のラインが空中に描かれる。
その終点部分で何か固い物がぶつかり、甲高い音が鳴り響いた。
直後空間に亀裂が入り、瞬く間にドーム状に広がっていくと、硝子が割れるような音と共に砕け散った。
空中に散乱している破片は地面に接触をすると粒子となって消滅していく。
すると、先程までそこにいなかったはずの人間の姿が露となった。
フードを被った黒ずくめの男たちが三人と、塀に寄り掛かっている女性一人が確認できる。
しかし、肝心なものの姿が見当たらなかった。
ユイがいない。
何度も確認したが、やはり彼女の姿はなかった。
焦った俺は黒ずくめの三人組に近付き、内一人の胸倉を乱暴に掴んだ。
「おい、ユイはどこだ!」
「はい?」
「答えろ!」
俺は今にも殴り掛かりそうな勢いで、そいつに怒鳴り散らした。
しかし尚も怯えるそいつは、何も答えようとしない。
その様子を見て余計に腹が立ち、手が出てしまいそうになった時だった。
「時島ユイなら私が逃がした」
少し離れたところから女性の声が聞こえ、俺の動きを静止させた。
それから殴ろうとしている方の手を見て、自分が短剣を持っていることを思い出した。
危うくそれで斬ってしまいそうになっていたのだ。
俺はそれで平常心を取り戻し、手を離した。
そして声の聞こえた方向、つまり塀に寄り掛かっている女性に視線を向けた。
「どこにいるんだ?」
「残念だけど、それは分からない。魔物との戦闘でそこまでは見てなかった」
「魔物?」
俺は周囲の状況を見回した。
地面や塀には所々に青紫色のドロドロとした液体が付着しており、何かが突き刺さった跡で抉られている。
先程まで人だけしか注目しておらず、それ以外は見向きもしなかったが、改めて重要なことがあったことに気が付いた。
「それで魔物は倒したのか?」
「いえ、倒していないわ。突然消えたのよ」
「消えた?」
女性のその発言に眉を潜める。
詳しく聞こうとさらに質問しようとした時だった。
ズドーーーンッ!
遠方から激しい爆発音が聞こえた。
俺を含めてその場にいた人間は驚き、その方向へと視線を向けてしまう。
見ると、黒煙が狼煙のように上がっていた。
恐らく、あの方向にいるのだろう。
どうやらこれ以上聞く必要は無さそうだ。
そう思った矢先、地面を勢いよく蹴り走り出した。
正直ユイのことは気になるが、魔物のことは放っておくことはできない。
それに逃げたユイが万が一魔物と遭遇していたとしたら________。
「頼むから、無事であってくれよ」
しかし、後に底知れぬ恐怖を味わうことになるとは、この時の俺は知るはずもなかった。