第百二十九話 湯煙の会合
早朝、午前四時半。
まだ誰も寝静まっている頃、俺は大浴場に来ていた。
なぜそんな時間に来ているのか?
朝風呂に入りたかったという理由もあるが、それは二の次に過ぎない。
ただ、大浴場から眺める日の出を一望すること。
景色を独占するためである。
大浴場は露天風呂となっており、周囲には竹林が設けられ、その向こうから海が見える。
自然と一体になることがこの風呂のコンセプトのようだ。
当然頭上は広大な空が広がっており、夜は満点の星空を湯船に浸かりながら天体観測もできるということだ。
生憎、周りの騒々しさで天体観測どころかゆっくり風呂に入ることが出来なかった。
そのため、誰もいないこの時間帯に日の出を見ることでリベンジを果たそうと考えた。
そして、その念願が叶ったのだ。
外に出たことで冷えてしまった身体も、湯船の程良い熱さのお陰で温まっていく。
頬を伝う潮風の香りも、木の葉を揺らす音も、心地が良い。
地平線から昇る朝日は、今日という一日の始まりを告げ、俺自身を出迎えてくれるように照らしてくれる。
五感を通して、心を浄化してくれるのだ。
自分一人しかいないことに背徳感を覚え、大自然に魅了されていると、背後から引き戸を開く音が聞こえた。
自然を独占できなくなったことに不満を抱くも、この時間帯に人が来ることに疑問を覚える。
特別に許可が降りた俺以外出入りすることはできないはずで、仮にあり得たとしてもエリか施設の関係者からの許可が必要である。
許されるにしても、相応の権限がある人間しか入れないだろう。
だからこそ、今大浴場に入ってきた人物が何者であるか気になり、その顔を確認することにした。
結果として、見知らぬイケメンだった。
金色に近い色素の茶髪に、吊り目気味たが物腰柔らかそうな目をしている。
端正な顔立ちで鼻筋も通っており美形である。
長身で手足が長く、筋肉の付き方に無駄がない。
アイドルと言っても、誰も疑わないような容姿だ。
そこまで理解した上で視線を外し、日が昇る海の景色を眺めることにした。
しばらくして、身体を洗い終えた男が湯船に入ってきた。
右三、四メートル離れた位置で、吐息を零すのが聞こえる。
会話が始まる訳でもなく、水の音が時折聞こえるだけの沈黙の時間が続くことになる。
「「あ」」
そして、話し掛けようとして声が重なる。
男から「君から言いなよ」と話の主導権を譲られたので、遠慮なく聞きたいことを聞くことにした。
「単刀直入に聞くが、あんた、魔術師だろ?」
すると、男はやはりなと言わんばかりに溜息を吐き出した。
「君は人に会う度にそんなことを聞いているのか?」
「んな訳ねぇだろ、確信があるから聞いてんだ。それに普段は、相手が同業者だと分かってもいちいち聞いたりしねぇ」
「ならなぜ聞いた?」
「あんたも俺に用事があるんじゃねぇかと思ってよ。なんとなくこっちに意識を向けている気配を感じたからな」
男は「そうか」とだけ言って、一瞬だがそこから会話が途絶えることになる。
「この海の向こうには巨大な魔物がいるらしいな。いいのか?こんな状況で風呂なんか入って」
それはお互い様のような気もするが。
「こんな状況だからこそだろ。万全な態勢で戦闘に臨みたいんだよ。魔術の発動は精神状態に左右されるからな」
「あー確かにね、戦ってる最中にお腹痛くなって敵にやられたとか、カッコ悪いし洒落にならない。葬式の時、事情を知ってる奴らは笑いを堪えるのに必死だろうね」
「・・・・・・まあ、そうだな」
戦闘中ではなかったが、以前無茶し過ぎて体調を崩してしまったことがある。
その日以来、少しは身体を労る努力はするようになった。
しかし命懸けの死闘を繰り広げているため、完璧に健康であり続けることは不可能であるが。
因みにユイも戦闘前のウォーミングアップとして、海岸でジョギングをしに行くと言っていた。
もちろん、魔物が上陸する方向とは反対側の場所である。
陸上をやっていた頃の名残りらしいが、それで少しは気が紛れてくれることを願いたい。
「そういえば、さっき例の魔術師の捕獲作戦が行われて失敗したってな」
「今サラッと言ったけど、結構一大事じゃねぇか、それ」
まさか風呂場で今日初めて知り合った男から作戦の報告を受けるとは、なんとも斬新なことである。
因みに例の魔術師というのはフードの魔術師のことであり、その捕獲作戦をエリ指揮のもと行われることになっていた。
失敗に終わったらしいが。
昨夜、今後の方針について作戦会議を行った後、エリに呼び止められてフードの魔術師の正体を聞かれた。
ユイは聞くのは後にすると言ってくれたが、エリの場合そうはいかなかった。
当然と言われれば当然で、これ以上はぐらかすのも無理だったので、彼女にだけ伝えることにしたのだ。
もちろん捕獲作戦を実行すると言い出したため、俺は「ユイには絶対悟られないようにしろ」と念を押した。
島に来てからの彼女は比較的落ち着いていたが、その前で不安定な部分を見せていた。
だから今回においてはあまり信用しきっていない。
失敗したという報告を受けた今、より一層彼女のことが気掛かりになった。
「ただ今捜索中らしい」
「呑気なこと言ってるけど、あんたこそこんなところで風呂なんて入っていいのか?」
正直今すぐ風呂から出て、エリの様子を確認した方がいいのではないかと思っている。
「俺の仕事じゃない」
「マジか・・・・・・」
「俺は俺の仕事をやるだけだ。だから、君も自分の仕事に集中した方がいい」
のんびり風呂に入ってる奴に言われても説得力がない。
まあ、俺もそうだが。
「因みにあんたの仕事って?」
「言う義務はない」
「・・・・・・」
なんだかこいつと話していると疲れるな。
そう思い、湯船から出ようとした。
「それと、いつまで悲劇のヒーローでいるつもりだ?」
突然投げてきた言葉に、足を止める。
「は?」
今度は何?
そう思いながら訝しむ顔を隠さずに視線を向ける。
「確か、君は協会では『化け物』と揶揄されるていることで有名だよね?そこのところはどう思ってるのか気になって」
彼の遠慮のない質問に少々苛立ちを覚えるが、答えないとしつこく聞いてきそうな気がするので、気は進まないが答えてやることにした。
「特に気にしてねぇよ。言いたい奴は言わせておけばいいし、こっちも構っている程暇じゃねぇからな」
協会のことは歯牙にも掛けていないし、もしこちらに危害を加えるようなら問答無用で潰すと考えている。
それは昔から変わっていない。
何より今は____。
「今は友達がいるから?」
「・・・・・・」
なんだか心の中を見透かされているみたいで気持ち悪い。
一刻も早くここから立ち去ろう。
「その友達は一生大事にしろよ」
そう答える彼の言葉は先までとは違い、悲壮感や焦燥感を漂わせるようなもので、無理矢理笑顔を作っているように見えた。
彼の友人間で何かあったことは容易に察することが出来る。
だが、どこの誰かも分からない赤の他人の事情まで詮索する程、俺はお人好しではない。
それにこの後の戦闘のことを考えて、精神に負担を掛けるようなことはしたくなかった。
「悪いがどこの誰だか知らない奴にそんなことを言われる筋合いはない」
そう言って、今度こそ大浴場から出ようと扉の前まで歩く。
「白神アマト、それが俺の名だ」
突然の自己紹介に引き戸の持ち手を持ったまま静止する。
「いつかどこかでまた会うかもな」
何の確証を持ってそう言っているのか疑問だが、取り敢えずこう言葉を返しておこう。
「一秒でも早くあんたの名前を忘れる努力はする」
一言吐き捨て、俺は引き戸を引いて大浴場から出て屋内に入った。