第百二十四話 ユイの苦難
「ホントに泳げちゃったよ」
パラソルの影で休んでいるユイが、海で難なく泳いでいるヨミに向けてぼやいた。
最初は泳ぎ方が少し下手で波に流されていたが、少しアドバイスをしたらすぐに改善して、今ではクロールで端から端まで泳いでいる。
希望通り海で泳げるようになったのは嬉しいが、先のバレーのこともあり、いろいろ複雑な心境である。
それにしても、バレーで動き回った直後に何往復も泳ぎ続けるとか、どこにそんな体力を持っているのだろうか?
正直人間業ではないし、張り合って勝てるかどうか怪しい。
それでも負けたことが悔しいと思っており、自分の負けず嫌いで諦めが悪い性格を自覚してしまう。
その頑固な性格を否定するつもりはないが、度を過ぎれば子供みたいに感情的になってしまうため自重したい。
後になってメチャクチャ恥ずかしくなるから。
「お疲れだね」
不意に声を掛けられ、ぼーっとしていた意識が呼び覚ます。
顔を向ければカオルとマルコがおり、両脇に挟むように座ると、買ってきたラムネを渡してきた。
表面に水滴が付いた瓶を受け取ると、液体の冷たさが瓶越しに手の平に伝わる。
「ありがとう」
蓋を押し込み開けると、口に付けて瓶を傾けた。
シュワシュワと口内を炭酸が刺激し、仄かな甘さと液体の冷たさが喉を潤す。
「負けたら奢りみたいな話になってたはずなのに、結局分担して買いに行くことになったね」
マルコは苦笑気味に話し掛けながら、缶ジュースを飲む。
「そういえばそうだったね」
カオルもペットボトルのスポーツドリンクを飲みながら頷く。
バレーボール勝負が終わった後、昼時というのもあり大半が空腹を訴えるようになった。
そのため、海の家で昼食を調達する人と自販機でジュースを買う人に分かれた。
途中、マキナとコハナも名乗り出たことから四人になり、体力が回復してからそれぞれ買いに行った。
因みにカオルとマルコの二人だけになったのは、ユイがヨミに海での泳ぎ方を教えるという話をたまたま聞き、自分たちで買いに行くと進言したからである。
「なんなら今から人数分買いに行く?」
「遠慮しときます」
そんな会話を両サイドでしていると、今度は海の方に顔を向ける。
見ているのは恐らく、ただ今絶賛泳いで燥いでいるヨミで間違いない。
「あの子って、どこにあんな体力を持ってんのかな?」
やはりヨミのことだ。
あと、それはさっき自分が心の中で呟いたよ。
「底知れないっていうか、最早超人だよね」
言いたい放題のカオル。
しかし、自分も似たようなことを考えていた。
「水を得た魚って、ああいうのを言うのかな?」
「どうなんだろ〜。ユイはどう思う?」
ここで話を振られた。
「んん、どうだろう。船で聞いた時は少し苦手意識みたいなのはあったかな?でもすぐに克服してあんなにいきいきと泳いでるから、そうなのかもね」
ユイの返答に「へ〜」と相槌を打つ二人。
それからしばらく会話が途絶え、広大な海をぼーっと眺め始めた。
青い空の下に広がる青い海。
どこまでも続く地平線が端から端まで延びている。
島らしい影は一切見えない、はずだった。
一瞬だが黒い影のようなものが見えたのだ。
あれ、何?
不思議に思い、目を凝らして見ようとする。
「ていうかさ」
「わっ!」
突然話し掛けられ思わず声を出してしまった。
「っくりした〜、急にどしたの?」
マルコが眼鏡と同じくらい目を丸くしている。
「あ・・・・・・ごめん。なんか海の方で変なのを見て」
「「変なの?」」
二人は怪訝そうに海の向こう側に向けて目を細める。
「なんにも見えないけど」
カオルの指摘に、ユイはもう一度海の方を注視する。
しかし、彼女の言う通り黒い影は見えなかった。
「・・・・・・ごめん、気のせいだったかも」
そう思うことにして二人に苦笑いを向けた。
「それで、何か話し掛けようとしていたみたいだけど、どうしたの?」
話題を変えようと、話しを切り出そうとしていたマルコに尋ねる。
「ん、ああ別に大したことじゃないから。ただユイって肌白いな〜って言おうとしただけ」
そう言われたので、ユイは自分の腕と二人の肌を交互に見比べた。
「まあ、わたし昔から全然日焼けしなくて、精々赤くなるくらいだったんだよね〜」
「羨まウザッ」
ちょっと自慢ぽく言うと、カオルから白い目で見られた。
「いいな〜、わたしなんて毎日炎天下の中ラケット振り回してるからこの通りよ」
日焼けで褐色になっているマルコは眼鏡を外すと、目の周りだけ丸い肌色になっていた。
ユイとカオルは飲んでいたジュースを噴き出す。
「ち、ちょっと、それは無しでしょ」
「絶対狙った、絶対狙ったでしょそれ」
文句を言うが、更に変顔をするものだから笑いが止まらない。
マルコは勝ち誇ったようにニヤリと笑った。
「それにしても遅いね、ミツキたち」
ジュースを飲み干し、ヨミが海から上がってきたタイミングで、カオルに今別行動を取っている人たちのことを聞いた。
一応後四人分のジュースは買っているが、このままでは温くなってしまう。
「そういえば戻ってくる時店混んでたわね。もしかしたらまだ並んでいるのかも」
答えた直後、この場にいる全員の腹の虫が鳴った。
「ちょっと様子見に行く?」
マルコの提案に一同は賛成した。
「あの、身体が重いんですけど」
「そりゃああれだけ泳いだらそうなるよ」
ヨミが身体の不調を訴えるが、ユイは軽く受け流すことにした。
「えっと・・・・・・これは、どういう状況なの?」
ユイは目の前の光景に困惑していた。
海の家の前には長蛇の行列ができている。
そこまで人気なの?と疑問に思ったりしたが、問題はそこではない。
最前列まで辿って店の中を覗くと、タイヨウとコハナがテーブルの間を掻い潜りながら、料理を運んでいた。
そして、店の奥にある厨房を見ると、ミツキが焼きそばをヘラを使って手際良く焼いていたのだ。
「いや何してんの!?」
いろいろツッコみたいことはたくさんあったが、まず最初に出た言葉はそれであった。
「昼食買いに行ってると思ったら、何で店員として昼食振る舞ってんの!?無駄に手際良いし凄いけど、今はそんなのどうでもよくて。ていうか先に食べてましたってオチならまだ分かるよ。それはそれで腹立つけど!でも何で焼きそば焼いてんの?一体何をどうなったらそうなるの!?」
次々と浮かんだ疑問をシャウトするユイ。
横にいる三人も何とも言えないような表情を浮かべている。
すると、
「それはボクから説明しよう」
と、突然マキナが後ろから話し掛けてきた。
しかも焼きそばを手に持っている。
「びっくりした・・・・・・ていうか、マキナは手伝ってないのね」
「人聞きの悪い事をモガモガ言わないでモガモガくれ。これでもモガモガちゃんとモガモガ手伝ってモガモガいるさモガモガモガモガ」
「わたしにはそうは見えない」
ひたすら焼きそばを食べているようにしか見えない。
「手伝っているさ。助手が会計を担当している。そしてボクはその売上状況を端末で確認しているのさ」
「ああそう・・・・・・いやそうじゃなくて、何でミツキたちが店で働いてるのかって話」
話が逸れたので軌道修正を行う。
マキナはゴクリと飲み込むと、口に付いたソースを拭き取りながら話を切り出した。
「ボクらも最初はすぐに買って君たちのところに戻るつもりだったよ。だが、ここの料理は見栄えも悪ければ味も微妙で、とてもじゃないが食えたものじゃなかったよ。だからボクは提案したのさ。『ミツキ、君とボクならこの店を立て直すことが出来るんじゃないか』って」
「いやそうはならないでしょ。てか言い出しっぺあんたかい」
ツッコむが、マキナは動じず話を続けた。
「最初は『何言ってんだお前』と白い目を向けられたが、『ユイにこんな不味い焼きそばを食べさせる気かい?それなら君が作ったものを振る舞った方がさぞ喜ぶと思うよ』と言ったら納得してくれたね」
「ミツキ・・・・・・」
最早呆れるしかなかった。
ミツキは身内の中で一番の常識人だと思っていたのに。
「ですが、よく許可が降りましたね。店員もそうですし、教諭も反対しなかったんですか?」
今まで黙っていたヨミが問う。
「もちろん許可は取っているさ」
「因みになんて?」
「『好きにすれば』、『自由時間だしいいんじゃない』と」
「ホントにそれでいいの?」
どうやら周りにはバカを止めてくれるまともな人はいなかったようだ。
この惨状に嘆いていると、マキナは手に持っていたレジ袋を徐ろに差し出してきた。
中にはトレー容器に入った焼きそばが四つ、袋詰めされている。
「頼まれていた昼食だ」
ニコリと微笑みながらそう言った。
「せめて直接持ってきてほしかった」
愚痴を零しながらレジ袋を受け取ろうとして、手を止めた。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「何だい?」
「これ食べたらわたしたち、手伝わされるってことは、ないよね?」
恐る恐るそのことを聞くと、マキナは目を伏せた。
「ユイ、君は働かざる者食うべからずという言葉を知っているかい?」
「今のあんたに絶対言われたくない言葉よ!」
再燃した怒りを怒声と共にぶつける。
直後、腹からぐぅ~と空腹を知らせる音が鳴った。
横にいる三人の腹からも同じ音が鳴る。
ユイは腹を擦りながらマキナを睨んだ。
相変わらずヘラヘラしており、焼きそばの入ったレジ袋をちらつかせるように掲げている。
そして、いろいろ諦めたユイは溜息を吐き出し、レジ袋を奪い取る。
「ホンッッット、あんたいい性格してるね!」
これ以上ない皮肉をお見舞いして、焼きそばを自棄食いした。