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第百二十話 出航前夜

「よし、これで明日は大丈夫だな」


 荷物準備の最終確認を終え、ボストンバッグのファスナーを閉めた。

 時計を見ると、もうすぐ八時を回ろうとしている。

 後四時間もすれば、臨海学校一日目になる。

 集合時間は早朝六時だ。

 そこから逆算して五時前に起きるとすると、今から寝た方がいいだろう。

 夜更かしをして体調を崩したら元も子もないし、昔の自分に言ってやりたいものだ。

 早速寝ようと思ったが、その前に喉が渇いたので潤すために台所に向かった。



 中に入ると、先約が一人テーブルの椅子に腰掛けていた。

 この家の家主でユイとその兄であるツバサの実母、ユカリだ。

 年齢にしては若々しい顔立ちだが、目元は疲弊しており、手に持っているビール缶を口に付けて液体を流し込んでいる。

 口を離す度に溜息をついていた。

 そして俺の存在に気付くと、柔和な表情で微笑んできた。


「あらミツキ君、どうしたの?明日早いんだからもう寝た方がいいんじゃないかな」


 頬はほんのり赤くなっているため、ほろ酔いといったところだろう。


「ちょっと喉が渇いたんで、水かお茶飲んでから寝ようと」


 そう答えると、ユカリは手に持っているビール缶に視線を向けた。


「飲みませんよ」

「まだ何も言ってない」

「でも勧めるつもりでしたよね?」


 すると目を逸らしたので、呆れて溜息を吐いた。



 キッチンの棚からグラスを手に取り、冷蔵庫から取り出した麦茶を注ぐと、一気に飲み干す。

 冷たい液体が口と喉に流れ込んでくる。

 「ぷはっ」と息を吐いて、全身に水分が染み渡るのを感じた。

 もう用事は済んだので、グラスを洗って自分の部屋に戻ろうとした。



「明日は、楽しみ?」


 すれ違う瞬間、ユカリから声を掛けられた。

 立ち止まって振り返る。

 ビール缶に視線を落としたままこちらを見ようとしない。

 どういう意図で聞いたのだろうか?

 そんな疑問が残りながらも質問に答えることにした。



「そうですね。以前と比べれば結構楽しみではありますね」


 今まで経験した課外活動では、メンバーとは距離を取って自主的に孤立していた。

 一緒に行動する場面では協力していたが、最低限の手助けでそれ以上関わろうとしなかった。

 その時の俺は望んでそうしていたから、今更自身の行動を嘆いたりするつもりはない。

 だが、楽しかったかと問われれば、正直な話退屈でつまらないと感じていた。

 更にはそんな俺に哀れな目を向けてくるので、あまりいい気分ではなかった。

 それでも孤立を選んだのは、自分は皆とは関わってはいけないと戒めていたからである。

 それも今となっては過去の話となっているが。


「そっか・・・・・・」


 俺の言葉を聞いて、ユカリは安堵した表情で呟く。



「寧ろ、一番楽しみにしているのユイだと思いますよ。今頃興奮して眠れなかったりして」


 冗談交じりに言うと、ユカリはクスリと笑った。


「そうね、あの子ならそうなっていても不思議じゃないかも。全然寝れないって言って起きてくるかも」


 しばらく口を押さえて笑うと、はぁと息を吐き出し、こちらに視線を向けた。



「あの子のこと、頼める?」


 落ち着いた声色から発せられた言葉。

 その言葉がどれだけ重い頼み事であるか理解しているのは、以前にも似たようなことを問われたからである。

 託しているようにも聞こえるが、どこか縋っているようにも聞こえる。


「少なくとも一緒にいる時は手助けすることはできます」


 だからあの時と同じ答えを、いや____。


「でも、あいつは守られるだけの弱い人間じゃないです。まあ時折いや割と毎回か、落ち込んでしまうことはあります。でもすぐに立ち直って昨日までの自分を超えて強くなっていきました。何度も、何度も。だから、あいつは俺なんかすぐに追い越すって確信してます」


 俺はこれまでユイとの特訓した日々や一緒に戦った出来事を思い返した。

 最初の頃は無関係な一般人であるユイを巻き込むことには難色だった。

 それは今でも変わらない。

 だが、それを通じて彼女の成長を見ていく内に、少しだけ嬉しさも感じていた。

 何事にも真っ直ぐひたむきに頑張るユイは、昔から眩しくて憧れていた。

 だから、そんな彼女のことをちゃんと伝えるべきだと思ったのだ。


「でもあいつには支えてくれる誰かが必要だ」


 俺はユカリの目を真っ直ぐ見つめた。


「俺がいなくなって、もしユイが辛い思いをした時彼女を一番に支えてあげられるのは、他でもない家族であるあなたやツバサなんじゃないんですか?」


 俺がそう指摘すると、ユカリは口籠る。



「俺は、縋りたくても縋る人がいなかった」


 伝えたいことは伝えたが、やるせない気分になった。

 昔感じた嫌な感情が想起した気分だ。

 ユカリも俯いたまま黙り込んでいる。



 気不味い空気がリビングを充満する。

 マズい。

 重くなりそうな空気を和ませようと思ったら更に重くなって、相手も嫌な気分にさせてしまった。

 話を振っていたのはユカリであるが、わざわざ負荷を掛けるようなことを言うべきではなかった。

 この後、どうすれば____。



 しばらく立ち尽くしながら思案を巡らせていると、リビングの入口から人が入ってくる気配がした。

 見ると、既に寝たはずのユイがいたのだ。

 半ば寝ぼけているのか目が開いていない。

 そのためだろうか、俺たちの存在に気付いていないようでそのまま素通りしてしまった。

 台所で足を止めると、冷蔵庫から麦茶を取り出しグラスに注ぐと一気に飲み干した。

 グラスから口を離し息を吐くと、ここでようやく俺たちに気が付いたようだ。


「あれ?お母さんにミツキだ。どうしたのこんな時間に」


 こんな時間といっても、九時すら回っていないまだ良い子も起きている時間だ。


「そういうお前はなんだ?まさか明日が楽しみ過ぎて眠れないとかか?」


 からかうつもりで質問したが、躊躇いなく頷かれてしまった。

 どうやら先程ユカリと話したことは当たっていたようだ。



「もしかして添い寝して子守唄とか歌ってくれるの?」

「は?」


 俺はユイのトンデモ発言に目を丸くした。

 間違いなく寝ぼけているのは分かっているが、普段の彼女からは想像できないような発言をしていることに耳を疑ってしまったのだ。

 多分、いや絶対ユカリに向けて言った言葉に違いない。

 だから、俺が動揺する必要はない、はず。


「ミツキ」

「俺かよ」


 最早呆れるしかない。


「羊でも数えたら?」

「数えたけどダメ」

「じゃあ山羊」

「それもダメだった」

「もう諦めて寝るまで粘ってろ」


 俺はユイの背中を押して、リビングから追い出した。

 ユイは頬を膨らませてブーと口を尖らせ、そのまま階段を登っていった。

 そして、ユカリに視線を戻す。

 安堵したような呆れたような、どちらも含まれているような苦笑気味な表情を浮かべている。


「その・・・・・・あの子のこと頼める?」


 先程言ったことをもう一度お願いされる。


「・・・・・・はい」


 俺は頷くしかなかった。

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