第百十五話 舞い降りる天使
「これって・・・・・・」
白鳥ユメは目の前の光景に驚愕していた。
人が二人倒れている。
しかも、最近仲良くなった二人だ。
一人は女の子で、名前は時島ユイ。
先程怪物から襲われた時、自身を家まで瞬間移動で送り届けてくれた。
心配になって結局戻ってきたが、案の定ボロボロになっている。
もう一人の男の子の方に手を差し伸べていた。
その男の子、光剣寺ミツキは、塀に寄り掛かり意識が朦朧としているようで息苦しそうだ。
彼もまたボロボロで、特に片足から大量の血を流していた。
「助、けて・・・・・・」
か細い声が聞こえ視線を戻すと、ユイが力尽きるように動かなくなった。
もしかして、死んじゃったの?
頭が一気に冷めて変な汗が額に滲み出る。
脈を測ろうと、傍らに膝をつく。
震える手で、手首に触れようとした。
スー、スー・・・・・・。
寝息のような音がする。
見ると、背中が一定のリズムでゆっくり動いている。
どうやら寝てしまっただけのようだ。
少しだけ安堵すると、すぐにミツキの方に駆け寄った。
スカートのポケットからハンカチを取り出して傷口を押さえる。
「ミツキ君、ミツキ君!」
大声で何度も呼び掛ける。
すると、ぴくりと目が反応し、薄っすらと口が動く。
「先、輩・・・・・・」
声は掠れているが、意識はあるようだ。
「ユイは・・・・・・ユイは無事、ですか?」
必死に声を絞り出しながら問うてくる。
「大丈夫。今は眠っているだけだから」
答えると、ミツキは安堵の表情を浮かべた。
「それよりも、今は自分の心配をして」
傷口を押さえているハンカチに視線を戻す。
真っ白な生地が真っ赤に染まり、湿っているのを感じる。
ユメはポロシャツを脱ぎ、今度はそれで出血を押さえる。
薄着になってしまうが、今はそんなことを意識している場合ではない。
事は一刻を争う事態だ。
すぐに救急車を呼ばなければならないし、できるなら人の手が欲しい。
ここが住宅街だから、確実に人はいるはず。
大声で助けを呼べば来るだろう。
そう思い、ユメは大きく息を吸った。
「ちょっとあんた何してんの!?」
思わず息が止まる。
振り返ると、帽子を被った少女が立っていた。
貴族や狩猟の要素を混ぜたような格好をしているが、気品のある高貴さを感じる。
だが顔は、折角の美人が台無しになるくらい鬼気迫るような表情を浮かべている。
「まさかあんたが・・・・・・」
そう言いながら怒り気味に近付いてくる。
思わず身構えてしまう。
「ち、違う!」
エリの行く手を止める声。
ミツキだ。
無理に大声を発したため、過呼吸になってしまう。
「落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから」
ユメは手を握る。
すると、呼吸が安定してきた。
「ごめんなさい」
少女が謝罪してきた。
顔を見ると、憤った表情は消えている。
どうやら勘違いはなくなったようだ。
「あなた、さっき電話してきた・・・・・・白鳥ユメさん、よね?」
そう聞かれて、ユメも気付く。
「早乙女エリさん?」
エリはコクリと頷いた。
それからもう一度倒れている二人を見て、顔を上げた。
「ありがとう。あなたのお陰よ。後はあたしに任せて」
そう言ってエリはミツキの傍らにしゃがんだ。
そこから入れ替わるように、ユメは立ち上がって後ろに下がった。
ここで漸く安堵の表情を浮かべた。
今二人の知り合いっぽい人が来てくれた。
きっと彼女が二人を助けてくれる。
ミツキの怪我も治してくれる。
自分ができる精一杯のことをした。
これ以上できることはない。
そういった安心感に満たされる。
助かる。
きっと助かる。
願望めいた感情を抱きながら、エリを見守る。
だが、彼女の険しい表情を見て、それが崩壊することになる。
エリの視線の先は、ミツキの足の傷。
植物の蔓のようなもので弄っている。
治療なのだろうか?
しかし、蔓が消えると、エリは口を押さえた。
目元だけ見ても余裕がないことが分かる。
声を掛けようと思った。
だができなかった。
声を掛けたら、その瞬間に絶望しそうな気がしたからだ。
それを自覚している時点で、もう既に気付いていることになるが。
満たされかけた安心感が、じわじわと黒く侵食されていく。
寒いはずなのに、汗を掻く。
眼鏡が曇る。
髪が肌にへばり付く。
気持ち悪い。
そしてエリが立ち上がる時、別の確信に変わる。
彼女ではミツキを助けられない、と。
確かに絶望もした。
でも、それよりもどうやったら助けられるかを考えていた。
もちろん、医者でもない自分が助ける方法を知っている訳がない。
必然的に誰かを頼るしかない。
では、その『誰か』は誰なのだろうか?
それを考えている内に、助けたいという使命感が膨れ上がっていく。
膨らんで、膨らんで、そして破裂した。
「・・・・・・」
気付いていたら足が動いていた。
気付いていたら手が動いていた。
気付いていたら彼のポケットの中を漁っていた。
「ちょっと、あなた何するの!?」
退かしたエリが文句を言ってくる。
ユメは無視して、ポケットの中に手を突っ込んでいく。
そして、あるものを取り出し掲げた。
ここ数日悩みのタネとなっていたもの。
もう目にすることはないと思っていたが、今はこれに賭けるしかないと思った。
「それって、『ナイチンゲールの魔道具』。それにもう名前を刻まれて、ウソ・・・・・・」
エリも存在を知っているようで、「なぜ?」と教学した表情を浮かべている。
「前に怪我をした時、これが反応して治ったんです。もしかしたら、これでミツキ君の怪我を治せるかもしれません」
もちろん、どの程度効くかは分からない。
だが、他に助けを呼ぶ時間はないと思うし、その間に今度こそ死んでしまうかもしれない。
「確かに治癒能力があるそれなら可能だけど、こいつの怪我は神経や血管をズタズタにされているような状態で、ただ能力を使うだけじゃ回復が間に合わないわ。それも魔装して能力を全開するしか・・・・・・」
「魔装をすれば助かるんですね?」
魔装というのが何なのか分からない。
ただそれをすることで、ミツキを助けられる確率が上がることは間違いないようだ。
それなら早速方法を聞けば____。
「・・・・・・あんたそれがどういう意味か分かってんの?」
「っ!」
エリの威圧的な態度に思わず息を呑む。
先程までの丁寧な物腰でない。
況してや出会ってすぐの敵意を向けるようなものでもない。
静かな怒り、そう表現するしかなかった。
「止め、ろ」
ミツキも静止に入る。
しかし、声は相変わらず掠れていて、明らかに無理をしている。
一刻も早く治療をしなければ命に係わるだろう。
「お願いします!」
ユメは悩むことを放棄し、頭を下げて懇願した。
エリは躊躇うように視線を逸らす。
ミツキに視線を向けると、血が滲むくらい唇を噛み締めた。
それが何かを思い悩んでいるように見えた。
瞼を閉じ、ゆっくりと息を吐きだす。
そして、真っ直ぐ目を見てきた。
「『ナイチンゲール』、そう言えば魔装が完了するわ」
何かを諦めたような口調でそう教えてくれた。
ユメは呆気に取られた表情になる。
「え、それだけ?」
エリは迷いなく頷く。
「っていうか、名前が刻まれているってことは、一回は経験しているはずよ」
「?・・・・・・あ」
指摘されて思い出す。
そういえば、前に『ナイチンゲール』と言った時、自分の姿が変わった。
あれが魔装のようだ。
「分かりました。やってみます」
ユメは倒れているミツキに向き直った。
「エリ・・・・・・てめぇ」
ミツキはエリを睨みつける。
「勘違いしないで、これ以上殉職者を出す訳にはいかないのよ。恨むならうっかり怪我した間抜けな自分を恨みなさい」
割と容赦のない言葉を浴びせた。
この二人がどういう関係かは定かではないが、今は考えるのを止めよう。
ユメは魔道具を手の上に乗せ、そっと目を伏せる。
ドクン、ドクンと鼓動が強くなるのを感じる。
そよ風が肌を撫でるのを感じる。
僅かな物音が鼓膜を震わせるのを感じる。
不思議と落ち着いてきたのを実感すると、ゆっくりと口を開いた。
「ナイチンゲール」
その名を口遊むと、瞼越しに発光しているのが分かった。
目を開けると、魔道具が緑色に輝いており、徐々に大きくなっていく。
元々の十倍くらいまでのサイズになると、施錠されていた箇所が解除されページが開く。
足元に円形状の模様が浮かび上がり、白い羽が溢れ出す。
それが収まると、光も消えた。
近くにあった反射鏡で自分の姿を見てみる。
全体の印象としては、白衣を羽織った看護師のような格好だ。
ただよく見ると、白衣はコートぽく、看護師の服装もフリルに近いようなデザインをしている。
以前と同じ姿で間違いない。
これが、魔装。
ユメはミツキたちの方に視線を戻した。
そして本を広げ、能力を発動する。
魔法陣が展開され、自身を含めた三人を囲うように光のドームが広がっていく。
これにより、外界と遮断され衛生面も保たれるようになる。
誰にも邪魔されない、治療には最適な環境だ。
倒れた二人を宙に浮かし、様態を再度確認する。
なぜか、やるべきことが分かる。
本で見知った知識しか持ち合わせていなかったはずなのに。
今まで知らなかったはずのことが、既に知っているような不思議な感覚で、この後何をすればいいか迷いなく行うことができる。
ただ助けること以外何も考えていない、そんな状態だ。
一通り様態を確認し終えると、回復魔術で擦り傷や打撲を治していった。
残るはミツキの足の傷。
それが一筋縄ではいかないことは理解している。
エリの言う通り、体組織が損傷している。
対応が遅れれば、足の切断もやむを得なかったかもしれない。
だが、今なら間に合う。
ユメは目を伏せて息をゆっくり吐く。
目を開き覚悟を決めた。
「これより手術を開始します」
ここから三時間に渡る戦いが始まった。
如何でしたか?
誤字脱字などの報告も受け付けてます。
第五章もいよいよ大詰め!
次回もお楽しみに!