今世 4
「それから、そうね……。あなたを買った代金は、護衛の先払いって事にしましょう。ルークはAランクの強さがあるって商館で言われていたでしょ?傭兵ギルドでAランクの護衛の依頼料がどのくらいか聞いて、それで計算しましょう」
金銭のやりとりはしっかりしておかなくてはね。
「それで、護衛はしてもらえるという事でいいかしら? 後は……、奴隷になった経緯によるとは思うけど、あなた、無事を知らせたい人や会いたい人はいる?」
さらわれて売られたのなら、家族に会いたいと思うわよね。
だけどもしも、親に売られたとしたら……、会いたいと思うものかしら?
繊細な問題だと思う。けれど大事な事だと思うからあえて聞いた。
「私の里は余所者を受け付けません。ジェニファー様をおひとりでお待たせする事はできませんので、そのうち便りを出します」
「それでいいの?」
「はい」
揺るぎない答え。
ルークにはルークの考えや、言ったように何かしきたりもあるでしょうし。
何も知らない私は口を出せないわね。
それではそれで解決と立ち上がる。
「さっそく傭兵ギルドに行きましょう。それとルーク、あなたギルドに登録はしてある?」
「いいえ」
「それなら登録もしちゃいましょう。旅をするのに、冒険者や傭兵になっていると国境越えも手続きなしでできるそうよ。
それからあなたの身支度と、旅に必要な物のお買い物もしなくてはならないわね。今日中に終わるかしら」
楽しくなってきたわ。
先に立ってドアを出ようとして、そうだ、と振り返る。
「ルーク、私は正式にあなたに護衛を依頼して、あなたはそれを受けたのだから、私たちは対等だって事を忘れないでね」
「ですが……」
ルークは困惑して言葉を詰まらせた。
商館では感情が抜け落ちたようだった彼。
無表情だった彼が、この短い時間に僅かながら色んな顔を見せてくれるようになった。
目と手が癒された事はかなりの衝撃だったと思うけど、感情が見えるのは素直に嬉しい。
奴隷の彼がどんな扱いを受けていたのかはわからない。
けれど、あんな状態だったのだから辛いものだったのだろうと想像できる。
これから私と一緒に旅をしていって元気になってほしい。
私、癒すのは得意ですもの。
……もう無表情はいらないわ。
前世でだけど、文字通り一生分つき合った。今世では普通に接してくれる人とつき合いたいのよ。
ルークと何か、なんて思っている訳ではないけど。
ずっと先、想う人に想われて幸せになりたい。
それがルークみたいな人ならいいなぁと、ふっと心に浮かんだ。
「それから、様はなしよ。ジェニファーって呼んで」
「……」
「お願い」
「わかりました」
「それと、敬語もなしね」
「はい」
その「はい」はどうなのかしら……。
ジッと見つめると
「わかった」
落ち着いた、心地いい声で言い直してくれた。
嬉しくなって満面の笑みで手を差し出す。
ルークは遠慮がちに手を取った。
「ルーク、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
まずはルークと二人で傭兵ギルドに向かった。
ルークは登録手続きに、私はAランクの傭兵の護衛一日分の依頼料を尋ねに。
受付で聞いたところ、シンプルに依頼料だけなら一日金貨十枚。宿代食事代込みならその分を引いて。その辺は依頼側と受ける側との話し合いにもよるけれど、だいたい金額的には一日金貨十枚くらいだそう。
ルークの買値は金貨二千枚だった。
これが戦闘奴隷の価格としてどうなのかわからなかったけど、一般庶民の金銭感覚でいったら、まぁ大金よね。金貨が十枚もあれば、一家がひと月暮らせる額だもの。
冒険者ギルドのお姉さんも、よくこんな小娘に奴隷を買う事を勧めたものだわ。口座の残高を知っていたのかしら……。
大金だったけど、私は迷わなかった。大陸中を旅するには、身の安全はとても大事だもの。ルークの実力は知らないけど、何故か彼に任せたら大丈夫だと思えた。
前世では、時にはこういう直観的な判断も必要だった。瞬時に利益、不利益を計算して計りにかける。商人は決断力がとても大切なのよ。
貯めていたお金のかなりをルークに使ってしまったけど、私はまったく気にしていなかった。私の祈りがあれば、この先ずっと困る事はない。治癒魔法の需要はかなり高い。私は自信を持って強気でいられた。
ロートゥス領主の紹介状もある。
稼ぐのは貴族相手と決めている。
治癒魔法がどのくらいの報酬か、ご領主様に聞いて驚いた。
庶民には払えない額だわ……。
貴族にだって法外な金額に思えるけど、命には代えられないものね。
私はそんなに阿漕に稼ごうとは思っていない。
お嬢様と同じ、宮廷魔法使いの半額と決めている。私は正規の治癒魔法使いじゃないし、そもそも魔法ではなく祈りだと思っているのだもの。
それでもご領主様曰く、宮廷魔法使いより効果があるとの保証付きに、更に自信をもった。
そういう訳で、ルークの報酬を計算するとざっと二百日になる。半年ちょっとね。
半年後、私たちはどこにいて、どんな風に過ごしているのかしら……。
元気で楽しく旅していますように。
翌日、旅の始まりは船旅でオルキス領に向かった。
オルキスはパエオーニア第二の港町で、規模でいうと大国第四位の領地になる。
ロートゥスより小さくなるけれど、東方の国々との貿易が盛んで、東国の珍しいものがたくさんあるという。
前世では、ロートゥスの我が家と王都の往復しかしていなかったので、オルキスには行った事がなかった。往復の間にある領や町にも宿泊しかしていない。
行った事のない土地、本でしか知らない土地。これからたくさん冒険できると思うと本当に楽しみ。船旅も初めてなので、こちらもとっても楽しみ。
甲板で潮風を受けながら広い海を眺める。
隣にはルークが立っている。
二百年前はこんな客船はなかった。こんなに気軽に船旅ができるようになるなんて……。
港町だから、貴族や商家は個人で船を持っていた。けれどそれは仕事用で、旅に使うという考え方はなかった。
他には漁船なんかもあったけど、それも仕事用だものね。
時の移ろいに、たくさんの変化を知る。
知らなかった事を知っていくという事も、これからの楽しみだわ。
船旅といっても、朝ロートゥスから出航すればお昼過ぎにはオルキスに着く。
降り立ったオルキスの港は、これはどこも似たような造りなのかもしれないけど、ロートゥスと大差なかった。
船から降りると石畳が広がっている。船に上げ下ろしする荷物が運びやすいように道幅も広い。
正面は大きな倉庫が並んでいる。馬車のたまり場もあって、すぐに町中に運べるようこちらも広く作られている。
右を見れば少し先に市場が見える。水揚げされた新鮮な魚介類が売られていて、午前中はかなりのにぎわいと思われる。
左は船乗りが使う宿屋や酒場が軒を連ねている。
その辺りは商船ではない個人の船着き場もあるようで、小洒落た食堂なんかも見える。地元の人たちも利用しているようだ。
私は船から降りて、第一歩を感慨深く踏み出した。
因縁深いロートゥスではない、新しい土地。新しい人生の始まり。
忙しく往来する人たちのジャマにならない場所で深呼吸する。
さぁ、行きましょう!
待ち望んでいた旅の始まりだ。