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前世 1




前世の話をしましょう。


生まれたのは今世と同じ、ここロートゥス領。

今も二百年前も変わらない、活気のある港町は他国との貿易で富んでいて、大国パエオーニアの第三都市ながら、王家に次いで公爵家と並ぶ程の資産家の多い領でした。

生家はその中でも筆頭の豪商で、私はとても恵まれた環境で育ちました。


貴族社会とは異なりますが、平民の中にも階級があって、多くの上流階級の家がそうしたように、我が家も慈善活動に力を入れておりました。

ロートゥスの婦人会では一家にひとつ、教会や療養所を担当していました。


小さい頃から厳しく教育されていた私は、外に出ても恥ずかしくないマナーを身に付けた五歳の時に、初めて母に連れられて我が家担当の教会を訪れました。


清潔だけど簡素な教会。

様々な年の子供たちに紹介されると、子供同士遊びなさいと小さい中庭に出されました。


遊びなさいといわれても、私は同年代の子供と一緒に遊んだ事がありません。

どうしていいかわからず立ち尽くす私に、近寄りがたかった子供たちは遠巻きに遊び始めました。


ふと、私と同じようにひとりでいる男の子に目が止まりました。

同じ年くらいに見えるのに、子供らしからぬ冷え冷えとした表情の子が妙に気になって、その子のそばまで歩いて行きました。


印象的な、その表情に合う酷薄とした水色の瞳は何も見ていないようでした。

近づいた私も映していません。

私は何も話しかけませんでしたし、その子も何も話しませんでした。

ただ並んで座って、帰るまでの時間を過ごしました。


忙しい母がその教会を訪れるのは月に一度か二度でしたが、初めて連れて行かれた日から、私も毎回一緒に行くようになりました。

そして滞在中はあの子を探して、ただ黙って隣に座っていました。


誰かと何かをするより、私の存在さえ気づいていないような男の子と一緒にいたかったのです。


後から思えば一目惚れだったのかもしれません。

早すぎる初恋は自分でもその気持ちがわからないまま、一年程そんな風に過ぎていきました。




ただ隣で過ごすだけの一年程が過ぎて、私は彼の声が聞きたいと思うようになりました。


「エリック、おはよう」


初めて名前を呼んで挨拶した時は緊張しました。

エリックは、初めて私に顔を向けました。

反応してくれるとは思っていなかったのでびっくりです。


でも挨拶が返される事はありませんでした。

一瞬その瞳に私を映すと、興味をなくしたようにまた何も映さなくなりました。

それでも嬉しくて、私はそれまで以上に勉強も習い事も頑張って、毎週教会にいけるようにねだりました。


何にも興味を示さない、話もしない、同じ教会で一緒に暮らしている子供たちとも親しくしているようには見えないエリックでしたが、何か障害などがある、という訳ではありませんでした。


教会では初歩の教育や躾はされていて、エリックはそれらをきちんと理解していましたし、私が訪れる時は休日の自由時間だったのでみんな遊んでいましたが、平日は教会の仕事も、生活していく日々の家事分担もしっかりこなしていました。




返事のない挨拶の日々が、また一年程すぎました。

始めて挨拶を返された日の衝撃は生涯忘れる事はありません。


「エリック、おはよう」


いつものように言って、彼のとなりに座った私に、小さな声が聞こえました。


「…おはよう」


驚いて跳ねるように顔を向けると、エリックは私を見ていました。

驚きすぎると何もできないものだと知りました。

ただ、初めて聞いたエリックの声に、こういう声だったんだと嬉しくなって笑いかけただけでした。


少し見開かれたエリックの瞳には、笑顔の私が映っていました。

それはほんの少しの間の事で、エリックの瞳はまた何も映さなくなりましたけど。

その日は嬉しくて嬉しくて、彼の隣にいる間中、帰ってからもずっと笑顔でした。




挨拶をしあうようになって、また一年程すぎました。

人はひとつ手に入れるともうひとつほしくなる欲深いものなのだと、八歳にして悟った私は、私を見てほしいと思うようになりました。


挨拶を返してくれたあの日以来、エリックはそれまでと同じに私を見る事はありません。

まずは存在を意識してもらおうと、独り言をいうようになりました。


返事を求めず、うるさくならないように、ポツリポツリと一週間にあった事を小さい声でつぶやきます。それを少しずつ少しずつ、だんだんに増やしていきました。


後から思い返した時、なんて忍耐強い八歳児だったのだろうと我ながら感心しました。


そのうち歌もうたうようにもなりました。

私、歌の先生からは褒められていたのですよ。

耳に心地いいよう子守唄のように、聞き流せるような鼻歌のように。


そんな風に過ごして、また一年程になりました。

四年かけてあまりに進展のなさに…。

その日はとうとう心が折れそうになりました。

いつものように勝手に話していた私は、声が出なくなったのです。哀しくて空しくて、となりにいるのに淋しくて。

涙がこぼれないように目を閉じてこらえていると、視線を感じました。


まさか?


ゆっくり隣を見ると、エリックが私を見ていました。

その瞳は、それから?と話の続きを促しているようでした。

恋心というものは単純なもので、私は、もうそれだけで復活してしまいました。


「それからね…」


独り言だった話は語りかける口調になり、話を聞いている間中、エリックは私を見ていました。




それからの一年は、エリックからの相づち程度の返事や、時々ですが短い言葉も加わるようになりました。

エリックは極端に口数の少ない子でしたが、私とは会話があったのです。

教会のシスターたちや子供たちも、会話をするエリックに驚いていていました。

それは五歳から、子供にとっては長い時間をかけて諦めず、信頼関係を築けたからだと思います。


大勢いる子供たちを世話しているシスターに、一人の子供だけと向き合う時間は難しかったでしょうし、子供同士で気遣う事などできなかったでしょう。

私はただ、一緒にいられる時間があったのと、初恋の想いだけで彼の心に触れることができたのだと思います。




エリックが私より一足先に十歳になった時、魔力持ちだとわかり王都の王立学校に行く事になりました。


魔力持ちは授業料免除で魔法を学べるのです。その代わり卒業後は成績に応じて国に従事する事になります。

遠い王都と離ればなれになる事はとても淋しかったですが、エリックの将来のためです。

孤児のエリックは、このままでは選べる仕事も少ないでしょう。魔法使いとして宮廷に勤める事ができるなら、庶民からは大出世です。


それに私もすぐ後を追うつもりでした。

エリックの四ヶ月後に十歳になる私も、王都の商業者ギルドが経営する学校に行けるよう、父と母に頼み込んで、渋々ですが了承してもらっていました。


「エリック、身体に気をつけてね。私も後からいくから!」

「うん…」


エリックは何か言いたそうでしたが、結局、何も言わずに行ってしまいました。





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