榊麗也6
「そういえば、麗也くんの部屋にあったチョコレート冷蔵庫に入れといたからね。」
完全に忘れていた。
そっと隣を見ると優雅にコーヒーを飲んでいたのでひとまず安心した。
「ああ、それともう一つ麗也くん……」
栞が言いかけたその時、足に激痛が走った。床にはコーヒーカップが転がっている。母親がコーヒーを飲みながら居眠りをしたらしかった。
「うわ、麗也くん大丈夫?」
栞が急いでタオルをとりに行く。
幸いほとんどが床にこぼれため制服もそこまで汚れなかった。とは言ってもコーヒー独特の匂いが残ってしまう、けれどそんなことはその時の僕にはどうでも良かった。
栞がタオルを持ってきてくれた時、今日初めて目を合わせてくれたのだ。
「じゃあ私もう出るね。」
朝ご飯を片付けた後、そう言って家を出ていった。
時刻は七時二十分。そろそろ僕も家を出ようと二階にいく。
「ちょっと待って。」
母親の声だった。
普段だったら無視をするのに,今回はそうはできなかった。そうはさせない何かがあった。
「なに?」
「いやぁ、まさか麗也が色恋事で悩むなんてねぇ。私も老いを実感せざるを得ないね。」
「……どう言うこと?」
「まぁ詳しい事はよくわからないけどね。高校生のうちに甘くない恋愛をするのは悪くないよ。私もそうだったからね。」
「なんのこと?」
「とぼけなくてもいいよ。放任しているけどこれでも麗也の親だからね。なんとなくわかるのよ。」
親らしいことを久々聞いた気がする。
「ほら、学校にいってらっしゃい。私もそろそろ行かないといけないから。あと、これ。」
母親の手元には一粒のチョコレートがあった。
「うん、行ってきます。」
そのチョコレートを受け取って外に出ると、さっきまで重たかった体が嘘のように軽くなっていることがわかった。
学校に着くと麗華が校門で待っていた。
「おはよう。」
「……おはよう。」
「あら、元気がないのねこんな清々しい朝なのに。嫌なことでもあったの?」
今日一番の嫌な事はお前にあった事だよ。
「元気のない麗也くん、今日はどこに行きたい?」
「どこでも。」
「じゃあカラオケにでも行きましょう。」
「わかった。」
ぶっきらぼうに答えたあと麗華と別れて靴を履き替え、階段を上がる。教室に入って席に座る。途端に不安になった。人が僕をどんな目で見ているのかが気になってしょうがない。
麗也くんは、いわゆる『自意識過剰』なのよ。
『ナルシスト』と言っても過言ではないかもしれないわね。
昨日の麗華の言葉が嫌でも思い出される。このクラスの中でもし、麗華と同じように思っているひとがいたら。
怖い。そう思った。
不意に視線を感じてそれでなく振り返ると一人の女子が見ていた。そちらも僕が見たことに気付いて、目を逸らした。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い……
あの子はなにを思って僕を見ていたんだ?
朝から天国と地獄を行き来している僕の心はギシギシと唸りを上げる。
助けてよ——お母さん
お母さん????
こんな状況でお母さんに頼りたくなってしまう自分に嫌気がさしたが、その言葉に抗う術を持っていなかった。
僕は二時間目が終わった後、早退した。
家に帰ってもお母さんは居ないことはわかっている、むしろいない方が都合がいい。そう思いながら帰路についていた。
今日の授業中、お母さんがコーヒーをこぼす前に栞が何か言いかけていたのを思い出した。
あの時、なんて言いたかったんだろう。
ただ、冷静じゃなかった僕には思い出すだけで考えることはできなかった。童心に戻って石を蹴りながら歩き、考える。
なんの答えも出ないままいつのまにか家に着いていた。
まぁいいか。今日、栞が帰ってきたら聞こう。
冷たいドアノブを引いて家の中に入る。
こんな時間に家にいるのがひさびさで、自分の家のはずなのに後ろめたさを感じた。
リビングに入って、昨日母親が座っていたソファーに寝転んだ。ゆっくりと呼吸していると、そのまま寝てしまった。




