神田麗華4
「……そう、否定も肯定もしないのね。」
ガラスの声は僕に当たる前に地面に落ちた。
その方向、ガラスが飛んできた方向には感情の抜けた人形があった。僕の眼はその人形がふわっと吸い込まれていくような錯覚を起こして一枚の絵を形成した。
絵になった麗華はなんとも形容し難い表情をしていた。
「一つ聞いていいか?」
「えぇどうぞ。」
パッと平面から立体に戻った麗華はそう言った。
「どうして僕に嫌がらせをしたんだ?」
「どういうこと?私、嫌がらせをした覚えなんてないわ。」
見えすいた演技をしながら麗華はとぼけた。
「最初は美伶だと思ってたんだよ。匂いがそうだったからな。とでもな、初めて会った時、お前からもおんなじ匂いがしたんだよ。」
麗華は黙って聞いていた。立場が逆転してつい、笑ってしまった。
「だからなんですか?」
麗華から飛んできた言葉は思っていたものと違って唖然とした。
なんで謝らないの?ショックを受けないの?
困惑、驚嘆、畏怖、様々な感情が混沌とし,暴徒と化して僕を内側から壊していった。
「えぇそうよ、私がした。……って言ったら納得するの?」
違うのか、間違っていたのか、
嫌な汗がどっと吹き出した。
「正確には私は何もしていないわ。麗也くん。あなたは多分、メロンパンの話をしてるのだろうけど一回目は肩を叩いただけだし、二回目なんて本当に偶然よ。」
言われてみるとそうだった。誰かが僕に嫌がらせをしたなんて考えるより偶然だったと思う方がよっぽど現実味がある。じゃあ何故僕は「嫌がらせ」だと思ったんだ?
自問しても答えは出なかった。
「……まぁそうよね。誰かが自分に嫌がらせをしていると思っていた方が気持ちいいものね。だってそうでしょう。誰かの人生の登場人物になれない人生なんて考えたくもないもの。あなたがそう思いたいのは当然なのよ。でもね、限度があるのよ。」
麗華の声の表情が一変した。
今まで可愛がっていた猫に突然引っ掻かれた、そんな感じだった。
「麗也くんは、いわゆる『自意識過剰』なのよ。」
またもガラスの言葉が飛んできた。ただそれは、さっきのと違って大きく、鋭利なガラスだった。飛んできた方向には人形のような優しいものはなく、今にも噴火しそうな火山があった。
「いいえ、『ナルシスト』と言っても過言ではないかもしれないわね。すみれさんと遊んでいた時だって、ねぇ?」
美伶の言葉は容赦なく僕を傷つけた。
会って間もないこんな奴に色々言われる筋合いはない。
僕は目の前の火山に憤慨していた。
「とやかく言われる筋合いはないとか思っているんでしょう?」
図星だった。
今日はやけに嫌なことが起こる。無性に腹が立ってきた。
「そう思うのも無理はないわ。もうこんな時間だし帰りましょう。」
麗華は気味の悪い笑みを浮かべていた。
あぁ、そういうことか。
昼に芽衣が言っていたことを思い出した。
『……なんか、変な顔してるの』
変な顔と言いたくなるのも分かる。この表情は—
麗華は恍惚の表情を浮かべていた。
外を見ると、ライトがないと1メートルも見渡せないほど暗くなっていた。
「あぁ、送っていくとかそんな彼氏面しなくていいからね。」
「まっ—」
待ってと言う前に麗華は出ていった。続けて僕も出ると店には客はいず、外にも麗華らしき女は見えなかった。
闇がねっとりと僕にまとわりついて視界が歪んだ。
あいつ、何がしたいんだ?
帰り道、僕は麗華のことしか考えられなかった。




