第九話 繋がる心
大きな象がゆったりと歩いてきて柵越しに積まれた干し草を鼻で掴み食べ始めた。
「ぞうさーーん!」
柵の前には子供達が手を伸ばして並んでいる。
象が鼻を伸ばしてくれたら届きそうな距離だ。
秋と苗は晴れた土曜日だと言うのにお互い夫は仕事なので、子供達を連れ一緒に動物園へ来ていた。
二人で飲みに行ってからまた二週間が経っていた。
「子供って何で象が好きなのかね?」
真希達も柵の前にギュウギュウと並んでいる。
「大きくて優しそうだから?」
「でもよく見たら怖いと思うんだけど、だって鼻があんなに長いんだよ?!」
秋は象の鼻を指差した。
「汚れた大人の目で見たらダメよ。」
「ちょっと!」
ここの動物園のメインは象だけのようなもので、後はサルとかヤギとかシカとかリスとか。
鳥類とかである。
手頃な値段と割とすぐ見終わるので秋も苗も土日に一人でよく子供達を連れて来ていた。
園内には子供の遊具があり、ちょっとした公園もある。
半分まで見終わるとテーブルと椅子がいくつかある芝生広場でお弁当を食べる事にした。
「いただきまーす!」
「はいはい、手を拭いてからね!あ!勇気!気をつけて!お茶こぼすよ!」
「桜、ご飯だって、ちゃんと座って。」
「えー遊びたいー!」
「ご飯食べてからって!」
「ママ〜おしっこ〜!」
「あー、分かった分かった!」
「いいよー苗ちゃん行ってあげて!桜ちゃんと食べてるから。」
「ありがとう、ほら、柊行くよ!」
「おしっこ〜!」
食べるまでも食べてる最中も大騒ぎ。
しかしせっかく作ってきた弁当もそこそこに子供達は芝生の広場で走り回っている。
「こういう時ってだいたい食べないよね。」
「わかる。」
何度か促しても食べないので諦めて残された弁当を片付けた。
一人なら腹が立って仕方がなかったりするが、二人なら同じ腹立たしい気持ちを半分にして諦められる。
シャボン玉やボールを持ってきてきたので、子供達は今度はそれぞれ勝っ手に出して遊び始める。
二人はそんな自由な子供達をベンチから眺めた。
季節は春と言えどまだ風は冷たい。
秋は持ってきたブランケットを広げ、自分と苗の膝にまたがるように掛けた。
「ありがとう...」
苗が口を開いた。
「旦那さんにちゃんと話せた?」
「何を??」
「旦那さんに感じてしまう気持ちの事。」
「?話してない。」
秋はキョトンととしている。
「何で?」
「何でって、言えないし、言いたくないよ。」
「それじゃ、ずっとそのままだよ?」
秋はムッとした。
「私は別に旦那に嫌悪感を感じるから代わりに苗ちゃんといたいって言ってるんじゃないよ。」
「そんな事は思ってないよ。」
「私が旦那と話して旦那と上手く行く事を望んでるの?」
「それは私じゃなくて、秋ちゃんがだよ。」
「私が?!」
「このままじゃ、辛いでしょ?我慢してるの。」
「...私が苗ちゃんを好きなの分かってて言ってる?」
「...」
「私は旦那に触れられるのも辛いよ。それは旦那が悪い訳じゃないし、仕方ない。」
「でも。」
秋は隣同士に並んで前を向いて話していたが、苗のほうをバッと向いて苗の目をジッと見つめた。
「私が苗ちゃんを好きなの、やっぱり迷惑だった?」
「違うよ。」
苗の目は迷っているように見えた。
フーッとため息をついて秋はまた前へ向き直った。
「ごめん。」
「あ、私が余計な事言ったのが悪いよ、ごめん。」
「苗ちゃんは現実ちゃんと見てるよね、私も分かってるんだよ、これでも。」
苗は秋を怒らせただろうかと不安そうに秋の横顔を覗き込んでいる。
「苗ちゃんが、現実見て間で板挟みで辛いのも分かってるよ、同じ立場だから、それこそ『不倫』だもの、当たり前だよね。辛い思いさせてるの私だよね。」
そう言って秋は困った顔をして笑った。
苗は胸が苦しくなった。
「...ただ本当に今の状態で旦那さんといるのは秋ちゃんが辛いと思って。そんな...旦那さんと上手くいって体良く私から離れて欲しいとかそんな事は思ってなくて...」
「すぐ泣く。」
「泣いてないって。」
ズバズバ言うかと思いきや苗は基本的には優しく気弱だ。
自分で言ってしまった後で後悔する事がよくある。
二人は膝にかけたブランケットの下で手を握った。
「冷たい手だねー苗ちゃん。」
秋の声は優しい。
「冷え性だから。」
苗はその声に安心する。
「自分こそ、この小ちゃくて細い手で一人で子育てしてて、大変だって、旦那さんと話さないの?」
「仕事大変なんだよ、旦那は。帰りも遅いし。」
「そうだろうね、みんな仕事は大変。私達の『家事育児』って仕事は大変って分かってもらえてるのかなぁ?」
「...ねぇ、私に旦那とちゃんと話してもらいたい?」
ふと。苗は思いついたようにポツリと秋に聞いた。
「ん??」
「私が旦那と上手く行ってたら好きにならなかった?」
「え?苗ちゃんそんな事言うの??」
「何でもないよ。」
苗はプイと横を向いた。
「あはは!何〜!私と同じ事聞いてるじゃない!どうしたの?違うでしょ、上手く行ってたら苗ちゃんの方が私を相手にしてくれなかっただけだと思うよ?」
「そんなのどっちが先かわからないじゃないっ。」
「そう、かな?」
「そうよ。」
苗は秋の手をぎゅっと握った。
秋はあんまりぎゅっと握ってくるので細くて小さな苗の手の方が折れてしまうじゃないかと思った。
秋の手は暖かくて柔らかく、冷たい苗の手にも温もりが伝わっていく。
まるで体温が混ざって溶けていくように。
二人の気持ちが通じた日から何ら今までと変わらないように日々は過ぎていたが、心が違っていた。
離れていて忙しく毎日を過ぎて行く中でふとした時に心の中にお互いがいるのがわかる。
疲れた時。辛い時に側にいなくてもお互いの心をお互いの存在が支えているのを感じた。
それは二人がずっと欲しかった感覚に似ていた。
子供達は交互に風邪をひき、習い事や幼稚園の行事、秋と苗の子供達は別々の幼稚園に通っているので、週に一度会えればいい方だ。
会えば気持ちは溢れてくる。
受け入れてもらえた事で満足するのではなくて、もっと、もっと。と溢れてくる。
秋は自分の抑えられない気持ちが苗を苦しめるのではないかと不安だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!拙い文章でお恥ずかしいですが、目を通して頂けて嬉しいです!
更新が遅くて申し訳ないです。
書き溜めてはあるのですがまとめる頭がありません。